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異世界の魔女と四大王国 〜始まりの魔法と真実の歴史〜  作者: 祐
二章 前途多難な学園生活
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2-2. ユウリ、介抱される

 暖かくて、心地よい。

 まるでゆりかごのように、安心して包まれていられる。


「……リ、ユウリ」


名前を呼ばれて、もうちょっと、と答えると、ひやりとした冷たいものが額に押し当てられて、徐々に覚醒していく。

 重たい瞼をゆるゆると上げると、きらきらする銀色に目が眩んだ。


「ああ、良かった」

「ヨルン、さん?」


 くるりと視線を巡らせて、まだ完全ではない思考でそこがカウンシル執務室であると認識する。そしてもう一度自分の状況を顧みて、ユウリの血流は一気に頭部へと集中した。


「お、起きます!」

「まだダメー」


 緩やかに押し戻されたのは、ヨルンの外套の中。

 その膝の上に抱っこされて彼女が居る場所は、彼がいつも横たわっている執務室の長椅子だ。


「レヴィ、ユウリ起きたよ」

「お加減はいかがですか」


 額に当てられた布を取り替えながら、レヴィはユウリの顔を覗き込む。

 背中に感じるヨルンの温もりとレヴィのスミレ色の優しい瞳に、真っ赤になった彼女は、心臓の加減は悪い、と心の中で零した。


「ユウリ、急に倒れるんだもん、びっくりした」

「倒れっ!?」


 これまで専ら健康優良児として過ごしてきたユウリには、青天の霹靂だ。

 実は恋愛物語によく登場する病弱な主人公に憧れたこともあったが、廊下でのあの気持ち悪さを思い出して、もう二度とごめんだと思う。

 自分の腕の中で焦ったり考え込んだりプルプルと首を横に振るユウリを見て、ヨルンはぽつりと呟いた。


「無理してたんだねぇ」

「!!」


 その言葉に、ユウリは忘れていた熱いものが込み上げてくるのを感じる。

 見られたくなくて外套に潜り込んだ彼女の頭を撫でて、ヨルンは彼女を抱える腕に少し力を入れた。


 退学したくない、と泣いた少女は、それから涙を見せることはなかった。

 魔法実技指導で、どんなにユージンに罵られても、ロッシに呆れられても、リュカに弄られても、レヴィに苦笑されても、ただ困ったように笑うだけで、決して弱音を吐かなかった。


 遠目から見かけた時、彼女は何処かピンと張りつめた空気を纏っていた。

 今にも弾けてしまいそうな雰囲気に思わず声をかけたのだが、自分の姿を認めると、また困ったように目尻を下げる。

 決して頼らない。弱みを見せない。

 どんなに危うい足場にも、自分だけの足でしっかりと立とうとしている。


「ヨルンさん、ちょっと苦しいです……」


 いつの間にやら顔を出していた涙目のユウリに、ヨルンは微かな羨ましさも込めて笑う。


 ——その高尚な潔癖さは、彼女が《魔女》だからなのだろうか。


「あの、もう大丈夫です。ありがとうございました」

「レヴィ、お茶」


 起き上がろうとするユウリをまた自分の腕の中に戻し、ヨルンは、渡されたお茶を彼女の口元へ運ぶ。


「とりあえず、水分補給」

「いや、じ、自分で飲めます……!」

「飲んで」

「むぐ……っ」


(心臓、破裂する……!)


 意外にも強引な彼に、ユウリの訴えは簡単に退けられ、『ヨルンの外套の中で抱っこされながらお茶を飲ませられる』という羞恥プレイを余儀なくされた。

 レヴィの視線が、心なしか同情的なのは気のせいではないと思う。


「いい身分だな」


 突然背後からかけられた声に、ユウリは心臓が口から飛び出るかと思った。

 不機嫌極まりないという風に極限まで細められた紺の双眸と、組まれた腕が想像できてしまう。


「もーユージン、零しちゃったよ」

「ヨルンも、何をやっている」


 心底馬鹿にしたようにため息をついて、斜め向かいにユージンが腰を下ろした。


(い、居た堪れない……っ)


 確かに、ユウリはヨルンの腕を振りほどこうと思えば振りほどけた。

 けれど彼女自身、驚くことに、心地よさを感じていたことも否定できない。

 それに甘えてしまったのは、偏に自分の弱さだということも、ユウリはわかっている。


「ヨルンさん、ちょっと濡れちゃったから」


 良い言い訳ができた、とばかりにユウリはヨルンの腕から抜け出し、ハンカチを取り出す。

 途端にいつもの舌打ちが飛んできた。


「お前は、まだ『蒸発』の水魔法ができないのか」

「あははー練習してるんですけど、ちょっとまだ……」


 笑って誤魔化せる相手ではないとわかってはいるが、実際に出来ない彼女はそう答えるしかない。

 すっと立ち上がった長身に、いつもの拳骨が飛んでくる、とユウリは首をすくめた。

 予想に反して、ユージンは彼女の左の二の腕を掴んで持ち上げる。


「これは、どうした?」


 あ、とレヴィが声を上げ、ユウリも自分の二の腕を見て、しまったと思う。

 零したお茶に濡れたブラウスが張り付いて、巻き付きけた包帯が透けて見えている。


「あれ、ユウリ、そこも怪我してるの?」


 ヨルンの言葉に、眉をピクリとさせてユージンは彼女の赤黒くなった手の甲を見る。


「起きたら治してあげようと思ってたんだけど、一緒に治そっか」

「あの、大丈夫」


 ユウリが言い終える前に、ヨルンの早口の呪文はもう終わっていて、ふわりと暖かい空気に包まれているのが分かる。

 だが。


「……ヨルン、寝ぼけているのか」

「あれー?」


 ユージンの問いかけに、ヨルンが不思議そうな顔でユウリを覗き込む。

 彼女の手の甲の痣は、少し薄くなっているものの、それが残っているということ自体がおかしい。

 ヨルンの呪文は、間違いなく上級治癒魔法だったし、魔力の流れもいつものそれだった。

 そこにあるのは、完璧に傷ひとつない肌でなくてはならない。


「おかしいですね……ユウリさん、ちょっと脱いでいただけますか?」

「いや、レヴィ、何さらっと怖いこと言ってんの」


 すかさずヨルンに突っ込まれたレヴィは、それでもその眼光を緩めない。

 目を逸らしたくて横を向くと、腕は細長い指でがっちりと捉えられているのを思い出して、ユウリは逃亡が不可能であることを悟った。

 観念して、袖口のボタンを外し、腕まくりをして包帯を外すと、三人の前に刃物で切れたように縦にさっと走る傷口が現れる。

 ヨルンが目を瞠った。


「それも、治ってない……?」

「ヨルンさんのせいじゃ、ないんです」

「ユウリさん、もしかして」


 ()()()()()()()()()()()()()、というレヴィの問いに、彼女は小首を傾げて苦笑する。


「他人から掛けられる魔法が、通りにくいんです。多分コレが私の魔力を抑える過程で、掛けられた魔法も『魔力』として認識して抑えちゃうんじゃないかって」


 コレ、のところで自分の胸元を指したユウリに、とことん常識外れだな、とユージンが溜息を吐く。


「あ、でも全体的に薄くなってますよ!あと、コレも!」


 難しい顔をして黙ってしまったヨルンに少し焦って、ユウリは傷口を掲げ、聞かれてもいない他の傷も見せながら、折角の好意を無駄にしてしまった失礼極まりない自分を呪う。


「ちょっと黙って、ユウリ」


 先ほどの優しい労わるような声音とは打って変わって、低くなったヨルンの声音に、彼女はぐっと言葉に詰まった。鼻の奥がツンとする感覚がして、慌てて下を向く。


 ——普通でない娘が学園なんて

 ——すぐ追い出されて

 ——村の恥を晒して終わりだ

 ——村長、考え直しませんか


 村長と話していたトラン村の青年団が発した言葉が、ユウリの心の中で澱のようにどろりと流れ出す。


 だから、独りでも闘えるところを見せたかった。

 だから、理不尽な嫌がらせにも屈しなかった。

 だから、普通に学園生活を送れているんだと胸を張りたかった。


「私、退学なんてしませんよ」

「ユウリさん」

「カウンシルの皆さんに反対されても、学園長に追い出されても、絶対しません」

「おい」

「どんなに嫌がらせされても、疎まれても、出て行ってなんかやらない」

「黙って」


 ヨルンの鋭い一言に、ユウリの瞳が震え、溜まっていた雫が溢れそうになる。下唇を力一杯噛んでそれを耐えて、顔を上げると、彼女の間近にヨルンの顔があった。

 ぽん、と頭に手を置かれ、反対の親指で、噛んでいた唇を無理やり開けられる。


「なんでユウリは、すーぐそっちの方向にいっちゃうかな」

「でも、ヨルンさんが」

「身体についた傷なんて、自慢するものじゃないでしょ」

「あの……私が、普通でないから……皆んなと、上手くやれないから……」


 傷をつけられて当然のことだとでもいうように眉根を寄せるユウリを、ヨルンが優しげな瞳で見つめる。


「誰も、そんなこと思ってないよ」


 ハッと他の二人に眼を向けると、レヴィはもちろんいつもの殺気立ったユージンの眼差しがなぜか柔らかく感じる。


「何をそんなに追い詰められてるの?」


 ヨルンの一言に、ユウリの我慢が崩壊した。


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