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路上ライブの彼、存在しなかったもの

晴れやかな空の下

ファッションビルが点在する街


特に若者たちが多く行き交う

交差点で囲まれた地で


曲そのもの、歌声、ギターの音色が

耳から私の心を捉え

足を止めさせたのだ




「どこだろう」


私は全方位に視線を走らせ

その定まらない足取りによって

スカートに軽い遠心力がかかった


「あ…あの人だ…」


それなりに聴衆を集めている

他のストリートミュージシャンの前を通り過ぎ


向かうは横断歩道を二つ渡った先

ギターで弾き語る

黒いTシャツ後ろ姿の君




近づくたびにあらわになる


無造作な黒髪に

黒縁メガネで

多少肉付きのある身体


仲間らしき若者が

一人はスマホを片手に

一人は自転車にまたがったまま

そばにいる以外は

聴衆は誰もいなかった


でも私はどうしようもなく惹き寄せられた


それは

耳にした瞬間に現実から遠のいてしまうほど

私が心を持っていかれるバンドの曲を

彼が泥臭くこの街に歌い放っていたからだった




私はすぐに近づくことができずに

ビルのショーウィンドウに背を預けた


すると彼は

次は私が知らない曲を歌い始めたのだ


いったん心を落ち着かせ

「もしまたあのバンドの曲を歌い始めたら

聴衆として目の前まで行くんだ」と

心に決めた




空は薄青


人々は賑やかに通り過ぎ


彼は一人で歌い続けていた


そして私はその

「真っ直ぐさ」だけで成り立っている歌声と

「今を生きている」ギターの若いサウンドに

一人、浸り続けていた




なのに彼がまたあのバンドの曲を

歌い始めてくれた時

結局私は動くことができなかった


こんな私が一人、目の前に現れたら

彼は本当に嬉しく思ってくれるだろうか


そして彼のその

どこにぶつけているか分からない思いを

私は一人、目の前で受け止め続けることが

できるだろうか


でも本当は言いたかった


「あなたにあのバンドの曲を歌って欲しいです」と




するとその永遠かと思われた時間が

水を飲む彼と彼の仲間の雑談により

ついに打ち切られてしまったんだ


おもむろにギターをケースにしまう彼


最後に「あのバンドの曲が良かったです!」と

告げて走り去ってしまいたいという

衝動に駆られる私


仲間と次の行動を相談しているかのような彼


でもそれ以上の会話は望んでおらず

どうやって立ち去ろうかと瞬時に考えた結果

告げてすぐ交差点の向こう側に渡ろうと

赤信号から青信号に変わるのを待ち続けた私


路上ライブ用アンプを運ぶために

キャリーの取手を伸ばし始めた彼


青信号に変わったのに

結局近づくことも

想いを告げることも出来ず

交差点に向かうことしか出来なかった私


キャリーを引きずり

仲間と話しながら

街の人混みに消え行く彼


誰も聴衆がいなかった彼を

交差点の向こう側で見つめながら

彼にとって存在しなかった「良かった」を

胸に抱えて私は

また歩き始めた

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