生命力
今日は20時台から寝かしつけしながら、目覚めたら夜の1時だった。
はぁ。
あれ。
うそ。
私が尊敬する人が、亡くなった。
ネットニュースに浮かび上がっている。
早すぎる。
しばし呆然とする。
私はすぐに寝直すのがばからしくなって、深夜のダイニングテーブルでアイスコーヒーを飲みながら、関係ないことをノートに日記を書き始めた。
ノートに日記なんか書いていたのは学生時代ぶりやけど、最近また書き始めたのが二度目。
誰にも見られたくないことを書いていた。(負の感情ちゃうよ?)
ふと、さくらももこさんのことがまた頭によぎる。
早すぎる。
いや、もう命に早すぎるとか遅すぎるとか、ないけど。
私にとっては偉大すぎる。
悲しい。
有名人が亡くなって泣けてきたのは初めてではないだろうか。
本当にこの人の書く文章が大好きだった。
文章でこんなに天才的にふざけられるなんて。
そして自身の青春時代を簡単な言葉で綴りながら、心にグッとこさせてしまうようなエッセイを数ヶ月前に再読して、やっぱりこれは本当に素晴らしいなと思っていた。
そんなことを考えている間にも、いまだにたまにある夜泣きの対応を促される。
そして対応をしながらも考え続ける、誰しも何が起きるか分からない。
学生時代の頃に「誰が一番早く結婚しそうか」みたいなノリの延長線上で、「サークルで一番生命力が弱そうなのは、佳代やんやな」と言われ、傷つくとかじゃなく、「え?!周りからもやっぱりそう見えてるんや……」と妙に納得してしまったことがあった。(まぁたまにギョッとさせるようなネガティブぶろぐを更新したりするので)
なんとなく自分にいつ何が起こっても不思議ではないと考えがちで、まぁ実際何か起こったら絶対うろたえるでしょうけど、だからこそ「今日は○○ができた」と生きた証を残しながら過ごしたいと思っている。
なので私にとって、なろうのマイページは生きた証。
かっぽうとか作品とかバーって並んでて、おばあちゃんになった私はベッドの中でスマホをいじりながらその羅列に目を通す。
いただいた感想やコメントやレビューも、再び読んでみる。
そして満足して微笑んで。
目を閉じる。
そんな光景を何度も想像してしまうアラサーの私って、やっぱり「佳代やんは生命力が……うんぬんかんぬん」と言われてしまうのも頷けるよね。
はい、明日からも一生懸命生きます。




