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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
7/11

桜と幽霊 前編

 私の自宅は中学校から歩いて十五分程の距離にある7階建てのマンションだ。

 そのマンションの401号室、エレベーターから近い場所にあるのが私の家。和室がひとつと、両親の寝室がひとつ。キッチンと繋がったリビングに、5畳ほどの自室があるその家に、私と両親は3人で暮らしている。

 父さんと母さんは正社員で働いて、小学校の間、私は学童保育に預けられていた。学校に行くときは家の鍵を持っていき、鍵をあけて誰もいない家に帰る。いわゆるカギっ子というヤツだ。

 両親との関係は良好だった。父さんも母さんも穏やかで優しい人だったし、二人に対して何か不満があったわけじゃない。

 だけど、私はいつもどこか、忙しい彼等に対して遠慮をしていた。

 仕事で平日はずっと家にいない二人は、それでも私のことを気にかけてくれていた。学校で何があったかとか、授業にはついていけているかとか、私の生活を気にする二人にいつだって無難な答えを返していた。


「学校はまあまあだよ」

「授業にはそこそこついていけてる」

「なんの問題もないよ」


 明音ちゃんに裏切られた日も、教室で空気になってしまった後も、私は二人にそう言い続けた。

 お父さんとお母さんは、いつだってあっさりと私の言葉を信じた。当然だろう。娘が学校で上手くやれていないなんて、二人は想像したくないのだ。

 私が学校へ行くよりも早くに出勤する二人は毎日とても忙しい。そんな両親を患わせたくないって気持ちと、変な心配をさせたくないって気持ち。あとは、学校で皆から無視されてるなんて言うのが恥ずかしいって気持ちから、本当のことを言い出せなかった。


 だけど、もしかしたら私は気づいて欲しかったのかもしれない。

 学校なんて行きたくない。教室に私の居場所なんてないんだ。

 言いたくても言えないそんな言葉をずっと、喉元で飲み込んでいた。


「咲良も明日から新学期ね。新しいクラス、楽しみでしょう?」


 日曜の夕方。夕食の準備をしていたお母さんが思い出したように漏らした一言に、私はなんて答えればいいか分からなかった。

 新学期が楽しみ? とんでもない。

 明日からのクラスで馴染めるのか、私は不安で仕方がなかったのだ。


「――うん、まあね」

「良いわね。学生時代って人生で一番楽しい時期だもの。咲良も沢山友達を作って、青春を楽しみなさいね」

「う、うん。そうだね」


 ぐるぐると胸の中で嫌な気持ちが渦巻く。

 学生時代が一番楽しい? 毎日がこんなにも辛いのに、今が一番楽しいの?

 青春を楽しむって、どうすればそんなことができるのか。

 この話題を続けたくなくて、私は読んでいた小説をぱたりと閉じた。


「私、ちょっと出かけてくる」

「どこに行くの?」

「――散歩」


 これ以上お母さんと会話を続けるのが嫌で、私は玄関に向かった。スニーカーに足をつっこんで、携帯電話をポケットに入れるとドアノブを捻る。


「あんまり遅くならないうちに帰りなさいよ」

「うん、わかってるよ。行ってきます」


 足早にマンションのドアを潜り抜けて、私は家から逃げ出した。

 マンションから見える空は茜色に染まっている。特に行くあても無かったけれど、家にも戻りたくなくて、私は無目的に歩き始めた。

 明日からの授業が憂鬱だった。

 うまく学校に馴染めない自分を両親に知られるのが嫌で、最近は家での会話もぎこちない。

 なんだか、どこにも自分の居場所がないように感じた。

 どこか落ち着く場所に行きたい。ひとりでいても、誰にも責められないそんな場所。

 ふと脳裏に浮かんだのは学校の裏庭だった。教室にいるのが辛くなったとき、いつも逃げ出していたあの寂しい場所は私のお気にいりだ。

 マンションの前に植えられた桜は綺麗に咲いていた。あの場所に植えられた立派な桜の木も、今が見ごろなのではないだろうか。


 私は目的地を学校に決めた。今日は日曜日なので校内に入ることは出来ないけれど、あの大きな桜の木なら外壁の外からでも見えるかもしれない。

 茜色に染まる街を学校へ向かって私は歩いた。

 15分ほど歩くと中学校の表門が見えてくる。校門はしっかりと閉じられていたけれど、校門の奥に並んだ桜は綺麗な花を咲かせていた。  


 見ごろっていうよりは、見納めって感じかな。


 どうやら一番きれいな時期は過ぎてしまったようで、桜はすでに散り始め、うっすらと葉も見え始めていた。校内に入ることはできないので、私はそのまま壁にそって歩く。

 目的の桜は学校の裏手、公務員などが使う小さな通用口の近くにあるのだ。

 ブロック塀添いに歩くと、壁の向こうから目的の桜の木の頭が見えた。

 壁の上からつきでた枝には綺麗な白い花がついている。こちらの桜は品種が違うのか、今がちょうど満開のようだ。

 

 通用門から中に入れたりしないかな。

 目的の桜を見つけると、もう少し近くで見てみたくなって、そんなことを考えた。

 門のすぐ近くには、屋根のついた軽トラックが駐車されている。

 もしかして、どこかの業者の車かな。

 始業式を前に、何かの荷物を学校へと運搬しているのかもしれない。

 もしそうだとしたら、通用門が開いているかも。

 少しドキドキしながら私は通用門へと近づいた。とってに手をかけてそっと押してみると、キィッと音を立ててドアが開く。


 ――開いちゃった。どうしよう。


 中に入るか私は少し迷う。無断で学校に入ったら不法侵入だ。だけど、さっと入ってすぐに出たら見つからないかもしれない。

 それに私はこの学校の生徒だ。もしも誰かに見つかったとしても、ちゃんと謝れば許してもらえると思う。

 少しだけ迷って私は通用門から中を覗き込む。

 裏庭に人はいないようだ。いつも通りこの場所はとても静かで、けれどいつもと違って桜の木が綺麗な花を咲かせている。


 思わず視線が吸い寄せられる、見事な桜だった。他の桜と違う真っ白な花びらには、なんだか神聖さすら感じられる。

 気づけば私は通用門から裏庭へと入り込んでいた。

 桜の木の前に立って、魅入られたように美しい木を眺める。


 きれいな桜。


 突然、背後でザッと土を踏む音が聞こえた。振り返ると、年のころは40歳前後の怪しい男が立っている。男は春先だというのに、真冬みたいな真っ黒のジャンバーを着こんでいた。花粉症なのか、サングラスをかけてマスクを着用している。


「なっ、あ、うっ……」


 男は私に気が付くと驚いたように口を閉口させた。

 無断で校内に入り込んだ私よりもずっと、男の方が驚いているみたいだった。

 この人は何者なのだろうか。先生でも公務員でもない、学校で見たことが無い人だ。だけども業者の人間にも見えない。学校で何をしているんだろうか。


「あ、あの」


 私は躊躇ってから声をかけた。もしかして、この人が通用門をあけたのだろうか。だとしたら、学校の関係者かもしれない。勝手に入り込んで怒られるかも。

 私が声をかけると、男はビクリと身体を震わせた。それからポケットに手を入れて、包丁よりももう少し小さいくらいの、しっかりとしたサイズのナイフを取り出した。漫画で見たことがある。きっとあれは、サバイバルナイフとかいうやつだ。


「え?」


 いったい何が起こっているのか分からない私の目の前で、男はナイフの黒いカバーを外した。

 ぎらりと鋭い刃が赤い夕陽の中で光る。その輝きを目にして私はひっと息を飲んだ。

 早く逃げないと!

 刃物の恐怖から私は急いで身を翻した。足をもつれさせながら通用口に向けて走る。取手に手をかけたところで腰のあたりに鈍い痛みが走った。


「あっ!」


 短い悲鳴が口から洩れて、がくりと膝から力が抜けた。ズキズキとした痛みが全身を覆う。早く逃げないとって思うのに、全身が震えて足に力が入らない。

 酷い貧血にあった時みたいに耳鳴りがする。頭がくらくらして、どうしても立っていられない感じだ。いつの間にか私は地面の上に倒れていた。


 嫌だ、なにこれ、怖い。怖いよ。


 逃げようと通用口の取っ手を探すけれど、取手ははるか頭上にあってそこまで手を伸ばせない。そうしている間に今度は肩のあたりに痛みが走った。

 悲鳴を上げて助けを呼ぼうと思ったけれど、声に力が入らない。身体のどこかしこも自分の意思で動かせないのに、震えが止まらない。全身が大きな熱のかたまりになったみたいに、ドクドクと疼いている。

 視界から色が消えた。

 世界がモノクロに変化していって、やがて目も開けていられなくなる。


 嫌だ、怖い、怖い、怖いっ、助けて!


 自分の身体がどうにかなってしまう恐怖に、呼吸さえうまくできない。

 警告みたいに鳴り響いていた耳鳴りが止んだ。世界が静寂に包まれる。

 全身から全てが抜け落ちているようだった。視界も、音も、痛みも、熱も、恐怖するという感情すらも、身体から零れ落ちていく。


 静かで、暗くて、黒くて、何もない。

 すべてが虚無に飲み込まれて――そこで私の記憶が途切れた。






「うぇっ……」


 私が殺された日の記憶が蘇ってきて、猛烈な吐き気に襲われた。

 まるで生きていたころと同じようにゲホゲホと咽ながら、私は記憶を整理した。

 そうだ。あのとき、私はあの不審人物に刺されてしまったのだ。

 この学校の裏庭で私は殺された。

 あの時の怖かった思いがすべて蘇り、震えが止まらない。


「わ、私、学校で刺されたんだ」


 自分の身体を抱きしめるように腕を回して、心を落ち着けるように何度も息を吸う。

 心臓の音が早い。生きている時と同じように身体は震える。そうだというのに、私はもう死んでいるのだ。


 こんなこと、思い出したくなかった。


 じわりと目に涙が浮かんでくる。

 止めようと思っても、止められない。この涙だって偽物のはずなのに、止まらない。


「ワケわかんない。なんで? どうして、あんなのっ!」


 初対面の人だった。見たことのない男。

 許可も得ずに休みの日の学校に入るのは悪かったかもしれないけれど、殺されるほどのことじゃあないはずだ。

 怖かった。刺されて、身体が上手く動かなくて、とても怖かったのだ。

 どうしてあんなにも理不尽な目に会わなければならなかったのか。どうして、なんで。


「死にたくなんてないよ。確かに無視されて、寂しくて、もうこんな人生嫌だって思ったこともあるけど。それでも、死にたかったわけじゃない。あんなの酷いよ」


 理不尽だった。たった十四年しか生きられなかった私の人生は、理不尽の連続だ。

 身に覚えのないことで、友人だった子におかしな噂を流されて、無視をされて。

 最後にはまったく知らない男に殺された。

 酷いよ。どうしてこんなことになったの?

 私、そんなに悪いことなんてしていないよ。無視されたり、殺されたりする理由なんてないのに。


「あの男は、時々学校に侵入していたんだ。それで、あちこちにカメラを仕掛けていた」

「カメラ?」

「うん。盗撮なのかな。それの回収に来ていたんだと思う。それで、咲良と鉢合わせて動揺した」


 なにそれ。なんなのそれ。本当にワケわかんない。

 盗撮とか犯罪じゃない。あげく殺人とか、最悪じゃないの。


「意味わかんないよ。そんな人に、どうして殺されなくちゃいけないの。何の理由があって!」

「理由なんて無いよ。咲良は運が悪かったんだ」

「運が悪いって、そんなので納得できないよ!」


 たった十四年だ。それだけしか生きてない。

 しかも、ロクな思い出がないのだ。どうにか毎日をやりすごし、必死で周囲に合わせていただけ。

 たったそれだけの、本当につまらない人生だ。


「嫌だよこんなの。だって、もっと色々したかったよ。友達を作って遊んだり、何かの仕事について働いたり――幸せになりたかったのに」


 特別じゃなくても良かったのだ。

 ただ、普通の子達がしているみたいに、友達とおしゃべりして、一緒にお弁当を食べて、笑いあって。大人になったら仕事をして、それから結婚なんかもして、人並みの幸せを掴みたかった。

 けれどもそれは、もう二度と叶わないのだ。


「酷いよ。こんなの、酷い」

「――そうだね。死は酷いことだ。だけど、誰もが逃れられない。みんな、いつかは死ぬんだよ」

「そうだとしても、こんなに早く死ぬ予定なんてなかった!」

「予定通りに死ねる人なんて、きっとほとんどいないよ」

「っ、でも、こんな風に殺される人だってほとんどいない!」


 涙が止まらない。お化けさんに八つ当たりをしたってどうしようもないって分かってるけど、感情のやり場がなかった。

 死にたくない。もう死んでるっていうのに、死にたくなんてないんだよ。


「やりたいこと、いっぱいあったのに。死んじゃったら、何もかも全部できないじゃない」


 お父さんやお母さんだって、私が死んだら悲しむはず。

 あの日、お母さんは遅くならないうちに帰りなさいって言っていたのに、私はそのまま帰らなかったんだ。心配しているに決まってる。

 迷惑をかけたくないって思っていたのに。最悪の形で親不孝をしてしまった。


「そうだよ、死んでしまえば全てが終わりだ。だから、生きているうちに、どう生きるかを考えなくちゃいけないんだ。絶対にやってくる死を迎える前に、何をするのかを」

「そんなの、今さら言われたって遅いよ」


 お化けさんの言う通りなのかもしれない。だけど私は、結局のところただ何となく生きていただけだ。

 何もできなかった。何も残せなかった。


「そうだね。でも、ひとつくらいはできるかもしれない」

「どういうこと?」

「友達が欲しいって、咲良はずっとそう言っていたでしょ?」


 お化けさんの言葉の意味がよく分からなかった。


「死んでるのに、友達なんて作れないよ」

「普通はね。でも、咲良はこうしてここに残っている」

「残ってるっていっても、幽霊なんでしょう? なんにもできないよ。誰にも見えない、声もろくに届かないのに」


 こんな中途半端な存在で、何もできるわけがない。

 生きていたときよりももっと酷い。本当に、誰からも見えない空気になってしまったんだ。


「ごめんね。本当は咲良を生き返らせることが出来たら一番いいんだろうけど、それはどうしてもできないんだ」

「どうしてお化けさんが謝るの」

「咲良を助けられなかったから」


 お化けさんの姿は相変わらず見えないままだ。

 だけどなんとなく、困ったように眉を下げるお化けさんの顔が脳裏に浮かんだ。


「咲良が殺されるのを、僕はただ見ていることしかできなかった。助けたいって思ったのに、何もできなかったんだ」

「助けたいって思ってくれていたの?」

「うん。言ったでしょう? 僕は咲良が好きなんだ。去年の秋ごろから毎日僕の近くにやってきて、悲しそうな顔をしている君が気になっていた。どうしていつもそんなに悲しそうな顔をしているのか聞きたかったし、できることなら慰めてあげたかった。笑って欲しかったんだ」


 すごく悲しくて辛い時なのに、お化けさんの言葉は心に染みる。私にもそんな風に思ってくれる存在が居たのだと思うと、少しだけ救われたような気分になった。


「それなのに僕は何もできなかった。君が一番助けを必要としている時に、その一部始終を見ていたのに、何もできなかったんだ」

「それは仕方がないよ。だって、お化けさんは桜なんでしょう?」


 桜は普通、動いたりはしない。誰かを助けることなんてできるはずがない。


「それでも。今ほどの力があの時にあれば、何かができたかもしれないのに」

「今ほどの力?」


 そういえば、お化けさんは人の姿をとれるようになったのはつい最近だって言っていた。

 それはいつのことなんだろうか。あの時は、人化することは出来なかったのか。


「僕が力を得たのは咲良のおかげなんだ。あの時、君の血が地中に流れて僕はそれを吸った。それで僕は力を得て、人の形をとることができるようになったんだ。酷いよね。僕は君の命の一部を食べたんだよ」

「私の血? そんなので力を得られるの?」

「普通の血じゃなくて、あれは桜の命が流れ出たものだからね」


 力を得たというのに、お化けさんの声はどこか暗いままだった。


「お化けさんは酷くないよ。酷いのは、私を殺したあの人だもん」

「それでもだよ。こうして力を得ても、僕が助けたかった君は死んでしまった。何もかもが遅くて、それでもどうにかしたくって、僕は消えゆく君の魂の欠片を捕まえたんだ」

「魂の欠片を捕まえた? それじゃあ、私がこうして死んでも幽霊みたいに存在しているのって、お化けさんの仕業なの?」

「うん。ごめんね、勝手に」


 どこかしょんぼりしたお化けさんの声に、私は咄嗟に何も言えなかった。

 勝手なことをされたとは思うけれど、それでも、完全に消えてしまうよりはよかったのかもしれない。


「咲良があのまま消えてしまうのは嫌だったんだ。君と話してみたかった。どうにか君が消える前に捕まえることができたんだけど、君の記憶は不安定だし、この学校から出ることができない地縛霊みたいな形で君をこの場所に縛り付けてしまった。おまけに君は自分が死んでいることも忘れてしまっていたみたいだし」

「どうして黙っていたの? 私が死んでいるんだって」

「言えなかったんだ。いつかは言わなきゃいけないと思ったけど、言い出せなかった」


 お化けさんは優しい人だ。

 知れば私が傷つくと分かって、できるだけそれを引き延ばそうと黙っていたんだろう。

 きっと、だから、私に他の人と喋るなって言ったんだ。喋ったところで、私の声は他の人に届かないから。私がもう死んでいるんだって気づいてしまうから。


「私、これからどうなるの? ずっとこのままなの?」


 皆からは私の姿は見えない。声だって届かない。幽霊だっていうなら、きっと成長だってしないのだろう。


「ごめんね。僕ができたのは消え去る君の魂を留めるだけ。元通りに生き返らせることは、どうやったって不可能なんだ」

「それじゃあ、やっぱりずっとこのままってこと?」

「うん。それか、完全に消えるか」


 お化けさんの言葉に私は黙った。幽霊として存在し続けるのも、消えてしまうのも、どっちだって嫌だ。


「消えてしまったらどうなるの? 天国とか地獄に行くの?」

「それは僕にも分からないよ。死んだらどこに行くのか、どうなるのか。知ってる人はいないと思う」

「お化けさんは色々と知っているのに、死んだらどうなるかは知らないの?」

「僕が分かるのは狭間のところまで。その先は分からないよ」

「狭間?」

「そう。君が今いる場所。普通の人には見えない、幽霊とか妖怪とか、そういうモノが住む世界」


 お化けさんの言葉に私は首を傾げた。


「私がいる場所は学校だよ。狭間じゃあない」

「うん。現世も狭間もほとんど変わらないから。だけど、現世の人に狭間に棲む存在は見えないんだ。時々、見えちゃう人もいるみたいだけどね」

「それって、霊能力者とか?」

「そんな大層な名前を背負っていなくても、ふっと波長が合ったりしたら、見えることもあるんだよ」


 お化けさんの言葉に、私はふぅんと小さく頷いた。


「私はこのままだと、狭間にずっとすみ続けることになるの?」

「――いや。このままだったら、遠くないうちに咲良は消える」

「消える?」

「幽霊っていうのはとても不安定なんだ。僕ら妖怪は現世に本体があるけれど、幽霊にはそれがない。だから、力をコントロールしにくいし、悪いものが溜まりやすいんだ」

「悪いもの?」


 言われて私は、何ども無意識に人を傷つけてしまったことを思い出した。

 地震がおきたり、蛍光灯が割れてしまったり、石川さんを突き落としたり。

 あれは全部、私が嫌な気持ちになったときに起きたことだ。傷つけられた報復をするみたいに、おかしな力が暴走した。


「嫌な気持ちが溜まると攻撃的になるんだ。実体があればそういうものをコントロールしやすいんだけど、咲良の場合、魂がむきだしの状態だからすぐに影響を受けてしまう」

「でも私、あんなことしたくなかったよ」

「そうだね。――だけど、あれは本能みたいなものなんだ。魂が傷つかないように、勝手に自分を守ってしまうんだよ」


 私は自分の手を見下ろした。あんなよく分からない現象を起こせる力が自分にあるなんて、とても不思議だ。


「私、消えちゃうのは嫌だよ。怖い」


 死んでしまったなら、消えてしまうのが自然なことなのかもしれない。

 幽霊として残り続けるなんていうのは、不自然なことだ。

 だけど、消えるっていうのはとても怖い。その先どうなるのか、お化けさんも知らないのだ。

 天国や地獄があるのならいい。転生なんてものがあるなら、受け入れられる。

 だけど、本当にただ消えるだけなのかもしれない。何もかもなくなって、ただ、消滅してしまうだけ。


「だけど、ここに残り続けて誰かを傷つけちゃうのも嫌だ。またさっきみたいに地震が起きて、自分で止められないのは怖いよ」」


 どうすれば良いんだろう。

 こんな現実を受け止めるのが、嫌で仕方がない。


「もっと生きたかった。こんな風に幽霊として残るんじゃなくて、お母さんやお父さんとも喋りたい。誰かを傷つける存在になんてなりたくないけど、消えるのだって嫌だよ」


 こんなことをお化けさんに言っても仕方がないんだって分かってる。

 それでも嘆かずにはいられない。

 死にたくないよ。消えたくない。


「大丈夫だよ」


 ふっと、お化けさんが笑うような気配がした。


「生き返ることは出来ないけど、消えずに済む方法ならある。人を傷つけずに済む方法も。それに、力の使い方だって分かるようになるよ。少しだけなら人に姿を見せることだってできる。きっと、咲良のお父さんやお母さんとも話せるよ。友達だって作れるかもしれない」

「本当に?」

「本当に。だから、泣かないで咲良。君が会いたい人を思い浮かべて。その人のところに行ってごらん」


 ふわりと、なんだか額のあたりが温かくなる。お化けさんにキスされているような、柔らかいものが額に触れる感触。

 私の中から黒いものが出て行って、額からあたたかいものが流れ込んでくる。

 きっと、お化けさんが私に何かをしてくれたのだと分かった。

 とてもやさしい、お化けさんの気配。姿は見えないけれど、近くにいてくれるのだと感じる。


 ふわっとした浮遊感が私の身体を包んだ。


「僕が力を貸してあげる。会いたい人を思い浮かべて。もう、咲良はどこにだって行けるよ」


 言われて、脳裏に浮かんだのはお母さんの姿だった。

 あの日、早く帰って来なさいって言ったまま、会えなくなってしまった人。

 私が死んでしまったって知って、悲しんだに違いない。

 お母さんの姿を思い浮かべると、フワフワした感覚が強くなった。身体がどこかに引っ張られるような感じがする。

 お母さんのところに行けるのだと、本能的に理解した。そうできるように、お化けさんが力を貸してくれたのだ。


「お化けさん、ありがとう。行ってくるよ」

「うん。バイバイ、咲良」


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