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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
4/11

幽霊の呪い 後編

 その後は、放課後になっても特におかしな怪我人が出たりはしなかった。

 しかしながら石川さんが幽霊に階段から突き落とされた話や、体育館の蛍光灯が不自然に割れた話は瞬く間に有名になり、幽霊の噂は学校中の生徒が知るところとなっていた。特に被害者がすべて3年5組に集中しているので、このクラスは呪われているのではないかなんて話も広がっている。

 幽霊の噂を聞くたびに、私はなんとなくそわそわした気分になった。


 「幽霊怖い!」「呪いとかマジでヤバくない!?」みたいな話が聞こえると、違うんだ。確かにちょっと過剰でやりすぎるところはあるけれど、お化けさんは怖くないんだよ。もうこんなことはしないって約束してくれたし。って言いたくなるし、「白ランの幽霊ってどうなの。ダサくない?」みたいな意見があると、違うよお化けさんは格好良いよ。と言いたくなる。

 

 つまり、私はずっとお化けさんのことを考えていた。

 お化けさんのどこか儚そうな長い睫毛とか、細くて長い指とか、私よりもずっと白い肌とか。顔の造形は美少年っていうわけじゃなく普通の男の子って感じなんだけど、それでも平均よりは格好いいって思う。男臭さを感じないというか、中性的というか――まぁ、正体は桜なんだから男臭さがないのは当たり前なのかもしれないけれど。

 お化けさんに告白のようなことを言われてから、そんな感じて私の思考はお化けさんで埋め尽くされていた。


 それだけひとり――人じゃなけれど、とにかく、ひとりのことを考えているのだ。

 これはもしかして恋なのではないかと、頭の良くない私でもピンときた。

 もしこれが恋なのだとすれば、小学校2年生の時に担任の青山先生に憧れた以来の恋愛感情だ。いや、あの時の感情はこんなにも頭の中を埋め尽くすようなものではなかったし、皆が騒いでいる芸能人に対して感じる気持ちに近かったから、下手をするとこれが初恋なのかもしれない。


 初恋。お化けさんに、初恋。


 そんなことを考えて、私はごくりと唾を飲み込んだ。

 信じられない。だって、お化けさんは人ですらないのに。

 お化けって言ったら普通は怖がられる対象だよ。しかも、正体が桜の木。

 いくら私が友達ができなくて、いじめられっこの陰キャラだからって、人外に走らなくても良いと思うのだ。

 人と桜の木だなんて成就できない恋愛だって分かっているのに、お化けさんのことを考えるのをやめられない。お化けさんを思うと胸がドキドキするし、お化けさんにキスされた額の当たりがポッと熱を持ったように熱くなる。


 人外の恋人かぁ。


 お化けさんに言われた言葉が蘇る。

 好きだって言ってくれたけど、それって、人間の恋心と同じなのかな。

 お化けさんもこんな風に私のことを色々と考えてくれているのかな。

 お化けさんが私のことを考えてくれているのだと思うと、心の中がぽっと明るくなるような、かと思えば教室から飛び出して廊下を転げまわりたいような、嬉しかったりむず痒かったりする気持ちになってくる。

 

 先生が黒板を叩きながら解説している数学の重要ポイントなんてちっとも頭に入ってこない。

 早くお化けさんに会いたい。あと10分したら授業が終わって、その後のホームルームが終われば裏庭に行けるのだと思うと自然と身体がソワソワした。

 気もそぞろなまま授業が終わると、入れ替わるように担任の先生が入ってくる。

 先生は少し難しい顔をしながら教室の中を見回した。


「今日、体育の時間に起こったことは聞いている。軽傷で済んでよかったが、今後はこのような事故が起こらないよう学校側でも管理を徹底していくつもりだ。また、石川が階段から落ちたことも含めて、一連の出来事が幽霊の仕業だとか、行方不明になった生徒の呪いだとか、色々な噂が流れているようだが、非現実的な噂を面白おかしく流さないように。いいな?」


 先生の言葉に噂を率先して流していた一部の生徒がブーイングを送る。

 その声を聞きながら私は目を瞬いた。


 行方不明の生徒の呪い? そんな噂、私は聞いたことがないんだけど。

 行方不明になった生徒ってなんだろう。





 ホームルームで聞いた先生の話に疑問を覚えながらも、私は放課後にまた裏庭へと向かった。

 今日は珍しく、私が声をかける前からお化けさんは桜の木の下に佇んでいる。

 お化けさんは少しうつむいて、桜の木の根元をじっと見つめていた。そこに何があるんだろうと私もおばけさんの視線の先に目を移すけれど、茶色い土があるだけで何か特別なものがあるようにはみえない。


「お化けさん、何を見てるんですか?」


 声をかけると、お化けさんはハッとしたように顔を上げた。

 私を確認するとお化けさんは誤魔化すように土を蹴る。


「ん、秘密」


 少し悲しそうな顔で笑う彼の顔は、やはりどこか青ざめているように見える。

 お化けさんは私に向かって歩いてくると、昼休みと同じように地面に腰を下ろした。


「座りなよ。また、会いに来てくれたんでしょ?」

「うん。お化けさんと話がしたくて」

「それは光栄」


 私はお化けさんの隣に腰掛けた。肩がお化けさんにぶつかって、ちょっとだけ気恥ずかしくなって座りなおす。それでもお化けさんとの距離は近くて、隣に座る彼の存在がなんだか妙に気になった。


「お化けさんに言われたこと、考えたよ」

「言われたこと?」

「その、人外の恋人はどうかってやつ」


 お化けさんの目を見ながらだと言葉に詰まっちゃいそうで、私は三角座りをした自分のつま先を眺めながら言葉を切り出した。


「多分だけど、私、お化けさんのことが、その、好き……だと思う」


 言った。言っちゃった!

 かなり尻すぼみで、最後の方は蚊の鳴くような声になっちゃったけど、届いたよね?

 少しだけ不安になってちらりと顔を上げると、白い肌を赤く染めたお化けさんと目が会った。

 わっ、お化けさん顔が真っ赤だ!

 照れているお化けさんをみるとなんだかこっちまで恥ずかしくなって、私は慌てて視線をふたたび靴へと戻した。


「咲良、その、本当に?」

「う、うん」

「本当の本当?」

「うん」

「――嬉しい」


 再び私がちらりと顔をあげると、花が綻ぶような笑みを浮かべたお化けさんと目が会った。

 それは、満開の桜よりもずっと綺麗な笑顔で、私の胸がキュッと締め付けられる。


「僕も咲良が好きだよ」

「う、うん。その……あ、ありがとう」


 顔が真っ赤に染まる。

 恥ずかしい。両想いというのは、こんなにも恥ずかしいものなのだろうか。

 次の言葉が浮かばなくて、私たちは黙ったまま静かに桜の木の下に並んで座った。

 静かな時間。なのに、心臓の音だけがとてもうるさい。


「手を繋いでも良い?」

「え、手?」

「うん。駄目かな?」


 お化けさんの申し出に、私は自分の掌に目を落とした。

 どうしよう、緊張で手が汗ばんでいる。

 だけど、お化けさんの申し出を断るのも嫌で、私はスカートの端でゴシゴシと手を拭った。


「こ、こんな手でよろしければ」


 何度もスカートで掌を拭ってから、私は右手をお化けさんに差し出した。

 お化けさんが私の掌を掴む。お化けさんの手は暖かかった。

 こうして手を繋いでいると、お化けさんが人間じゃあないってことを忘れそうになる。

 手だって繋げるし、温かい。話もできる。

 それでもお化けさんは人じゃないんだ。

 髪の色や目の色が普通とは違うし、どこからともなく現れることができる。それに……そう遠くないうちに、消えてしまうのだと言っていた。


「お化けさんはいつまでここにいられるの?」


 桜の花が散るまでと言っていたけれど、お化けさんの桜は一向に散る様子がない。桜のシーズンが終わっても綺麗に咲き誇っている桜を見上げると、このままずっと永遠に咲き続けるのではないかという気になってしまう。

 

「いつまでかな。 正直なところ、僕もいつまで持つかは分からないんだ。だけど、そう長くはないと思う」

「長くないってどのくらい?」

「うーん。どれだけ頑張っても、あとひと月くらいかな」


 お化けさんの言葉にスッと血の気が失せていく。

 その時のことを思うと胸が潰れそうに痛かった。

 お化けさんが突然消えてしまわないように、私はきゅっと彼の手を強く掴んだ。


「……嫌だ」


 ぽつりと言葉が零れた。いつか消えるって初めて聞いたときも嫌だって思ったけど、でも、今はそれ以上にお化けさんが消えてしまうのが嫌だ。


「お化けさんに会えなくなるのは嫌だよ。どうにかならないの?」

「咲良」


 子供みたいに我がままを言う私の髪を、お化けさんは繋いだのと反対側の手でそっと撫でた。


「仕方がないことだよ。いくら嫌だって思っても、どうしようもないこともあるんだ」

「お化けさんが消えてしまうのも、どうしようもないことなの?」

「そうだね。花が散らないように留めることも、こうして咲良と話していることも、本当なら叶わないことだった。褒められた行為じゃないのは分かってる。それでも僕は、少しの時間だったとしても、こうして咲良と話してみたかったんだ」


 お化けさんの言葉は難しくてよく分からない。けれどもとにかく、お化けさんが消えてしまうのは避けられないんだろうっていうのは、なんとなく理解した。


「友達や恋人になったって、消えてしまうなら悲しいだけじゃない」


 私は足元に視線を落とした。

 お化けさんのことが好きだ。だからこそ、別れが決められているというのはとても悲しいし、苦しい。


「そうだね。だけど、終わらないものなんてないよ」

「そんなことない」

「そんなことあるよ。始まるものはすべて終わる。出会いがあれば別れがあるし、命はいつか尽きる。だからそれまでに何をするかが大切なんだよ。限りある出会いを、時間を、命を、どう使うか」


 お化けさんの言葉を私は不思議な気持ちで聞いていた。

 自分の過去を振り返る。自分の時間をどう使うかなんて、考えたこともなかった。

 私はただ周囲に合わせていただけだ。浮かないように、弾かれないように、はみ出さないように。

 そうして頑張って周囲に合わせていても、結局のところ私は弾かれて、はみ出してしまった。


「僕は咲良と話してみたかった。だからそのために命を使うことになっても、後悔はしないよ」


 お化けさんは迷いのない目をしていた。

 自分が消えると分かっていて、どうしてそんな風に笑えるんだろうか。


「お化けさんが消えてしまっても、桜は残るんでしょ? だったら、また会えることもあるんじゃないの?」


 例えば、お化けさんが人の形をとるための力を使い果たしてしまったとしても、再び力を溜めることで会えたりはしないのだろうか。

 そう思ったけれど、お化けさんは首を左右に振った。


「ううん。多分――別れが来てしまったら、もう咲良と会うことはできないよ」

「どうして?」

「どうしても」


 お化けさんは理由を誤魔化すように短く言った。


「僕のことは良いんだよ。それよりも、咲良は友達が欲しいって言っていたけど、友達ができたらやりたいこととかはなかったの?」

「友達ができたらやりたいこと?」

「うん。せっかくだから、僕に叶えられることなら協力するよ」

「考えたこともなかった。ただ、一緒にくだらない話をして、放課後に遊んだりしたかったの」

「放課後に遊ぶ、かぁ。僕はこの木からあまり離れられないからなぁ」

「そうなの?」

「うん。でも、この学校の中くらいなら移動できるよ」


 お化けさんはそういうと、私の手を掴んだまますっくと立ちあがった。


「それじゃあ、遊びに行こうか」

 

 お化けさんに軽く手を引かれて、私もつられるようにして立ち上がった。


「遊びに行くって、どこに?」

「うーん、適当に。学校内の散歩?」

「え!? 散歩って、学校の中をウロウロするってこと?」


 それは少しマズイのではないだろうか。

 お化けさんの容姿は目立つ。白髪に白の学生服を着た生徒なんでまずいない。

 先生に見つかったら大変だし、そうでなくてもお化けさんは学校の幽霊として噂になっているのだ。生徒にだって見つかるわけにはいかない。


「散歩なんてして、他の人に見つかったら大変なことになるよ」

「大丈夫だよ。生徒達には僕の姿は見えないだろうから。実際、時々校舎を歩くこともあるんだけど、声をかけられたことはないし」

「6組の吉田さんが、白い学ランの幽霊を見たらしいよ」

「あー……うん。ちょっと鋭い子には、影が見えちゃうことはあるかもしれないけど」


 お化けさんはそういうと、気まずそうにポリポリと頬を掻いた。


「でもまぁ、そんな子は滅多にいないし。大丈夫だよ」

「お化けさんが大丈夫でも、私はちょっと変な子にならない? お化けさんと喋っていたら、独り言を言いながら歩く女の子になっちゃうよね」


 ただでさえ私は学校での立場がよろしくないのだ。独り言を言いながら学校を徘徊しているなんて噂までたってしまったら、教室での肩身がさらに狭くなる。

 私がそういうと、お化けさんは困ったように笑った。


「うーん……そうだね。咲良が気になるのなら、こうしよう」


 お化けさんは一歩私に近づくと、前髪を持ち上げて私の額にキスをする。

 いつものおまじないだけど、不意に触れられて私の顔が赤くなる。


「今のは、いつもとちょっと違うおまじない。これで、咲良の姿も皆から見えなくなったよ」

「そんなことまでできるの!?」


 私は驚いて自分の身体を見下ろすけれど、制服が見えるだけで透明になった様子はない。探るように身体をパンパンと叩いてみたけれど、触感もあるし何かが変わったようには見えなかった。


「何も変わったようには見えないんだけど」

「咲良の目にはそう見えるだろうね」

「本当に他の人からは見えないの?」

「疑うなら試してみてよ。――それじゃあ、行こうか」


 お化けさんは私の手を引いて校舎に向かって歩き出した。

 私の目にはお化けさんの姿も自分の姿もはっきりと写っていて、本当に大丈夫なのか、騒ぎにならないのかとハラハラした。

 周囲を警戒しながらおっかなびっくり歩く私と違って、お化けさんは堂々たる足取りで校舎の中へと入り込んでいく。放課後のこの時間、校舎の中は人通りが少ないとはいえ、普通に何人もの生徒や先生が徘徊している。通用口に置きっぱなしにしていた上靴に私が履き替える隣で、お化けさんは下靴のまま学校へ上がった。


「お化けさん、校舎は土足厳禁だよ」

「大丈夫だよ、汚れてないし」


 私が注意すると、お化けさんは自分の足を持ち上げて靴の裏を私に見せてくる。

 お化けさんの白い靴は、今まで土の上にいたことが信じられないくらいに何の汚れもついていなかった。


「え、どうして汚れていないの?」

「この姿は幻みたいなものだから。そうじゃなきゃ、僕は汗臭くて咲良の前に出れないよ。お風呂に入ったりもしないんだから」


 なるほど。確かにお化けが汚れるというのもおかしな話なのかもしれない。


「それじゃあ、どこから散歩する?」

「えっと、人が少なそうな場所で……」


 私が言うと、お化けさんはくすりと笑う。


「咲良は慎重だね」

「臆病なんだよ」

「どうかな。本当に憶病なら、僕に付き合ったりしないはずだけど」


 ごもっともだ。お化けさんという得体のしれない存在に恋心を抱けるのだから、私は意外と図太いのかもしれない。


「それじゃあまずは、本当に僕たちが見えていないことを証明しようか。こっちにおいで」


 そう言って私の手を引くお化けさんが向かったのは、通用口からそう遠くない場所にある職員室だった。職員室のドアは開けっ放しになっていて、ディスクに座りながら忙しそうに何かの作業をしている先生達の姿がよく見える。


「ちょっとまって。いきなり職員室はハードルが高くない!?」

「まあまあ。流石に先生が僕たちに気づかなかったら、見えてないんだって理解できるでしょ?」

「そりゃあそうだけど」

「大丈夫だよ」


 お化けさんはそういうと、まったく怯むことなく開け放たれたドアから職員室の中へと入り込んでいった。私は先生達が悲鳴を上げないかビクビクしながら見守ってたけれど、先生達はまるでお化けさんが見えていないみたいに、すぐ近くを歩く彼に気づく様子がない。


「ね、大丈夫でしょ?」


 職員室の真ん中で立ち止まると、お化けさんはにっこり笑って私にそう言った。

 彼は職員室の中央で両腕を広げてくるりと回ってみせる。とても目立つ行動なのに、先生たちは誰一人としてお化けさんに注目しない。

 本当に見えていないのだとようやく私も理解した。


「咲良もおいで」


 お化けさんが手招きをするけれど、私はどうしても躊躇ってしまう。職員室の入り口の前でもだもだしていると、お化けさんが再び「おいで」と私に声をかけた。意を決して私も職員室の中に足を踏み入れる。

 いつもなら職員室にやってきた生徒にすぐに気が付く先生達は、私が部屋の中に入っても仕事の手を止めることはなかった。そのことに勇気を得て、私は堂々と先生達の机の横をすりぬけてお化けさんの隣へと立つ。


「本当に見えていないんだ」


 お化けさんに話しかけても、先生達は私に気がつかない。

 自分が透明人間になるなんて、とても不思議な気分だった。


「見えてないよ。でも気をつけて。時々、声だけは届くことがあるみたいだから」

「そうなの?」

「うん。こうやって僕らが喋る分には大丈夫だけど、その人に向かって話しかけると、声が届くことがたまにあるんだ」

「ということは、今は先生に向かって話しかけないほうが良いってこと」

「そういうこと」


 姿が見えないのに声だけが聞こえたら、先生もきっとびっくりするだろう。

 私は頷くと、なんだか悪戯をしているような気分で職員室の中を歩き回った。先生が作っているプリントをのぞき込んだり、机の上に散らばった書類を確認したり。


「物には触らないようにね。いきなり動いたらびっくりさせちゃうから」

「あ、うん。そうだね」


 お化けさんに指摘されて、書類に伸びかけた手をひっこめた。代わりに先生の視界に入るように移動する。どう考えても私に気がつかないはず無い位置関係だけど、先生と視線が合うことはなかった。

 先生がこんな悪戯をするはずがないし、私が見えていないのは明らかだ。

 しかし、いったいどうやって私が見えなくなってるんだろう。

 お化けさんが何かをしたのは間違いないだろうけれど、不思議で仕方がない。


「別の場所に移動する?」

「うん」


 お化けさんにつられるようにして職員室を出た。そのまま廊下を歩いていると、数人の生徒とすれ違う。けれども彼らは誰一人として私やお化けさんに気づく様子はなかった。お化けさんは全身真白でとても目立つ容貌なのに、無視されるのは不思議な感じだ。


「どこか行きたいところはある?」

「ううん、とくには」

「じゃあ、適当にウロウロしようか」


 お化けさんと私は気の向くままに学校中を闊歩した。空き教室の中に入ったり、吹奏楽部の練習を見学したり。普通なら追い出されるような場所でも、見えない私たちは入り放題だった。

 やがて私達は3年生のクラス――私の教室へとやってきた。


「ここが咲良のクラス?」

「うん、そう。そこの隅が私の席だよ」


 私は教室の端にある自分の机をぽんと叩いた。お化けさんはそっとその席へ近づくと、机を撫でながら少し目を伏せた。


「昼間、咲良はずっとここにいるんだね」

「そりゃあ授業中はね。あ、でも移動教室だと体育館や家庭科室なんかにいる場合もあるよ」

「ちゃんと授業を受けてるんだ」

「そりゃあそうだよ。友達がいなくて無視されていても、ちゃんと授業は受けてる」

「そっか。真面目だね」


 お化けさんの言葉に私は苦笑した。

 私ってば、学校をサボるような人間に見えるんだろうか。そりゃあまあ、あんまり酷いときはクラスに居るのが嫌になることもあるけれど。


「放課後はどうしてるの?」

「部活には入ってないから、最近はこうしてお化けさんに会いに来てるけど」

「うん。でも、その後は? 僕と会って話した後、何してるの?」

「何って、家に帰ってるよ」

「家?」


 お化けさんは不思議そうに首を傾げた。


「自宅のことだよ。お化けさんは桜だから、自宅なんて無いんだよね。ずっとあの裏庭に居るの?」

「そうだね。こうして具現してないときは、桜の木の中で眠っているよ」

「それじゃあ、あの桜の木がお化けさんの家みたいなものなんだ」

「うん、まあそうなるのかな」


 お化けさんは曖昧に笑う。

 昼間の学校は生徒が大勢いて賑やかだけど、日が暮れてしまうと誰もいなくなる。

 そんな場所でひとり取り残されるなんて、お化けさんは寂しくはないのだろうか。


「お化けさんって、仲間とかいないの?」

「仲間?」

「うん。お化けさんみたいな人。他の桜とかが意識を宿していたりはしないのかなって」


 学校には他にも桜の木が植えられている。花のシーズンが過ぎてしまい、今は散ってしまったけれど、表門から校舎にかけては小さな桜並木ができるほどだ。その桜の中に、お化けさんみたいに喋ったり動いたりできる桜の木はないのだろうか。


「学校の桜に僕みたいなのはいないよ。桜じゃあなくても、僕みたいに意識を宿してる物は、この学校にはないんじゃないかな」

「それじゃあ、お化けさんは一人ぼっちなの?」

「咲良がいるよ」

「でも、私は人間だもん。同じ仲間がいないと寂しくない?」


 私の言葉にお化けさんは首を捻った。


「学校の中に仲間はいないけれど、僕と同じような存在なら見たことはあるよ」

「そうなの?」

「うん。時々この学校にやってくるカラス」

「カラス? 植物じゃあないんだ」

「植物は会ったことがないかな。基本、植物っていうのはあまり動かないものだしね」

「お化けさんも学校から出られないって言っていたもんね」

「うん。そういうこと」


お化けの世界にも色々あるんだなぁと、私は感心する。


「そのカラスさんも、お化けさんみたいに人になるの?」

「どうだろう。喋ったことはないから分からないよ」

「喋ったことがないのに、どうして同じだって分かったの?」

「うーん。気配というか、纏っている空気というか、そう言うのが普通と違うんだよ。だから、そういう存在がこの学校の中に入ったらなんとなく気づく」


 よく分からないけれど、お化けさんには人とは違うものが見えているらしい。

 茜色に染まりつつある空を窓ガラス越しに眺めるお化けさんの横顔に、なんだか神秘的なものを感じる。


「お化けさんは仲間が欲しいとは思わないの?」


 話を聞く限り、お化けさんはそのカラスにあまり興味を持っていないらしい。

 私は友達が欲しくて仕方がないのだけど、お化けさんはそうではないのだろうか。


「仲間が欲しいと思ったことはないかな。だけど、誰かに話しかけたいと思ったことはあるよ」

「話しかけたい?」

「うん。僕の意識はこの学校ができた頃からあったから、いろんな生徒を見てきたんだ。中には咲良みたいに気になる子もいた。だけど、僕にはこうして人の形をとる力が無かったから、ただ見ていることしかできなかったんだ。泣いている子を見つけても、なんの力にもなってあげられない自分が嫌だった」


 お化けさんはそう言ってから、私に視線を合わせてふんわりと笑った。


「だから僕は今の自分が好きだよ。こうして咲良と話すことができて、咲良の望みを叶えることができる」

「すごいな、お化けさん。私は自分を好きだなんて思ったことないよ」


 胸を張って自分が好きだと笑えるお化けさんを、素直に凄いと思った。

 私は自分のことが大嫌いだ。何をやってもトロくて、人見知りが激しくて、誰からも好かれることがない。


「咲良は自分が嫌いなの?」

「うん、嫌い。大嫌い」


 私がきっぱりそう言うと、お化けさんは悲しそうな顔をした。


「自分で自分を嫌っちゃいけないよ。誰かが咲良を嫌いだって言っても、自分だけは自分を好きでいてあげないと」


 お化けさんの言いたいことは分からないではない。だけど、それはとても難しいことだ。


「無理だよ。だって、みんなが私のことを嫌いなんだもん。私がそこにいないみたいに無視をして、その癖に失敗するとくすくす笑うんだ。誰も友達になってくれない。誰も好きだなんて言ってくれないのに、どうやって自分を好きなれるの?」


 漫画やドラマで見るような、酷いイジメや嫌がらせはなかった。

 けれども無視をされるたび、嘲笑されるたびに、嫌な気持ちが心の奥に溜まっていって醜く大きなシコリができるのだ。

 そのシコリは劣等感という名前になって、私から自信を奪っていく。

 自分の中にある大きな劣等感は、どうすれば消えてくれるのか分からない。


「僕は好きだよ」


 いつの間にか私の近くに歩いてきたお化けさんが、そっと私の頭を抱きしめてくれた。

 ぴたりと私の耳がお化けさんの胸に当たっても、心臓の音が聞こえない。


「僕は咲良が好きだ」


 お化けさんがくれる言葉は、甘い毒だ。

 何度でもでも聞きたくて、その言葉に溺れてしまいたくなる。

 そうして溺れて抜け出せなくなったころには、お化けさんは消えてしまっているのだろう。


「お化けさんはひどい人だよ」


 人間じゃあないくせに、消えちゃうくせに、こんなにも私に優しい。

 けれども私には、お化けさんの毒を拒絶することは出来なかった。


「そうだね、僕は酷いのかもしれない」


 頭上から落ちてきたお化けさんの声は、酷く固い響きを含んでいた。

 不思議に思ってお化けさんを見上げると、彼はなんだか泣きそうな顔で私を見下ろしていた。


「ごめんね、咲良。僕は君に嘘をついている」

「嘘? 嘘って、なんの?」

「それは、今はまだ言えない」


 ごめんとお化けさんは繰り返して、私の頭に回した腕に力をこめた。 

 嘘をつかれるのは好きじゃない。だけど、お化けさんの声は本当に申し訳なさそうで、それを責める気にもなれなかった。


「私を好きだって言ったのは、本当?」

「それは本当だよ。誓っても良い」

「うん。じゃあ、いいよ」


 私はそう言うと、お化けさんの背中に手を回した。お化けさんはびっくりしたみたいに身体を固くする。


「嘘をついていてもいいよ。私を好きだって言ってくれた言葉が本当なら、それで十分」

「どんな嘘かも分からないのに?」

「そうだね」

「本当のことを知ったら、咲良はきっと僕を嫌いになるよ」


 お化けさんの言葉は少しばかり震えていた。

 そんな風に、嫌いになってしまうような酷い嘘なのだろうか。


「嫌いになんてならないよ。お化けさんは私を好きだって言ってくれたから、きっと、嫌いになれないと思う」


 もしも、お化けさんに騙されていたのだとしても、酷いことをされたのだとしても。

 こんな風に私を好きだって言ってくれた人を、きっと嫌いにはなれないだろう。


「ごめんね、咲良」


 お化けさんはもう一度私に謝罪をすると、私を強く抱きしめたのだった。


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