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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
3/11

幽霊の呪い 前編

 翌日、石川さんは松葉杖をつきながら登校してきた。

 石川さんの右足はギプスで固定されている。思ったよりも酷い捻挫なのかもしれない。


「志保、大丈夫!?」


 石川さんと仲の良い福田さんが、慌てた様子で石川さんに駆け寄った。

 石川さんの身体を支えながら席に座るのを手伝っている。


「ありがとう。片足が使えないのって、ほんとうに不便」

「もう、心配したんだから。階段から落ちるなんてドジすぎ!」


 福田さんの言葉に、石川さんの表情がサッと曇った。


「うん、それなんだけどね。……ドジっていうか、誰かに突き落とされたみたいだったんだ」

「え!?」


 福田さんが驚いたように目を見開いた。私も思わず耳をそばだてる。

 突き落とされた? 事故じゃあなかったの?


「なにそれ、誰に!? 先生には言ったの?」


 怒ったような福田さんの声に、石川さんは首を左右に振った。


「私もびっくりして、落ちるときに振り返ったんだけど――誰もいなかったの」

「え?」

「確かに背中を押される感覚はあったんだけど、踊り場には誰もいなくて。それですごく驚いて、変な落ち方をしちゃったんだ」


 石川さんの言葉を聞いた福田さんは、少しばかり青ざめていた。


「誰もいないって……押されたのが、志保の気のせいだったってこと?」

「そうかもしれない。だけど、本当に押されたみたいな感覚があったんだよ」


 シンと二人の間に沈黙が落ちた。


「それ、なんか怖いんだけど。ホラー展開?」

「うん、私もすごく怖くて。――ほら、この学校って出るって噂あるじゃない」

「白い学ランの幽霊!」


 福田さんの言葉に、私の心臓がドキっと跳ねた。


「始業式の日に6組の吉田さんが見たってヤツでしょ?」

「そう、それ。 私を階段から突き落としたのって、もしかしたら幽霊なんじゃないかって」

「きゃぁぁ、なにそれヤメてよ! 怖いじゃん!」

「え、なになに? 何の話?」


 福田さんの悲鳴に人が集まりはじめて、幽霊の噂が広まっていく。

 その様子を私は不安な気持ちで眺めていた。


 まさか、お化けさんじゃあ無いよね……?


 確かに昨日、お化けさんは石川さんが怪我をすることを予想していたみたいだった。

 だけど、お化けさんは人を傷つけるようなことをする人じゃない。


 ――本当に? どうしてそう言い切れるの?


 私はお化けさんのことを、ほとんど何も知らない。桜が化けた姿だってことしか分からない。

 だけど、お化けさんは私に優しくしてくれた。

 それに、お化けさんが石川さんを階段から落とす理由なんて無いじゃない。


 お化けさんじゃあない。

 押されたなんて、きっと石川さんの気のせいだ。






 今日の3限目は体育だった。このクラスになって初めての体育。

 私は体育が大嫌いだった。

 運動が苦手だっているのもあるけど、体育の時間は強制的にペアやグループを作らされることが多いのだ。

 二人組を作ってと言われたときに、最後にひとり余るのが本当に辛い。

 強制的にどこかのペアに入れられて、迷惑な顔をされるのも嫌いだった。


 しかも、新しいクラスの体育教師は私の苦手な先生だった。

 熱血気味なこの先生はやたらとグループでの活動をさせたがる。せめて背の順や出席番号でグループを分けてくれればいいものを、自主性を重んじているのか生徒の好きにグループを作らせるのだ。ひとり余ってしまう生徒の気持ちなんて分かってくれなくて、グループに入れない生徒がいると、集団行動ができない面倒な子というような目で見てくる始末。


 嫌だなぁと思いながら背の順に並んでラジオ体操を行ったあと、やっぱりそれはやってきた。


「それじゃあ4月はバレーをするぞ。練習をするから、適当に3人~5人でチームを作って」


 ほらでた。この先生の悪いクセ、適当にチームを作ってってヤツ。

 最悪って思っている間に、先生のことばを受けた生徒達がどんどんチームに分かれていく。

 私は焦った。急いでどこかのチームに入れてもらわなければ、ひとり取り残されてしまう。最後に余ってしまったときのあの空気は本当に最悪なのだ。だから、そうなる前にどうにか声をかけてどこかのチームに入れてもらわらないと。

 私は周囲をよく観察して、まだ定員に達していないチームを探す。ちょうどグループメンバーを探している風の二人組を見つけて、キュッと私の胃が痛くなった。


 あの子達――岡部さんと山根さん。去年、私と同じクラスだった人達だ。


 グループから弾かれて、教室の空気みたいになっていた私を知っている人達。

 積極的に私の悪口を言ったりはしなかったけれど、それでも、私と決して関わろうとはしかなった二人だった。

 どうするか躊躇ってから、私は彼女達へと近づいた。

 いつまでも怖がっていちゃだめだ。クラスだって変わったんだ、きっと、私も変われるはず。


「あ、あの、私もチームに入れてもらえませんか?」


 ちゃんと言葉が出た。石川さんの時みたいに蚊の鳴くような声じゃあなくて、しっかりと相手に届く声。

 けれども岡部さん達は私の方をすっと見たあと、何の返事も返さずに別の場所へと視線を写した。


 ――無視された。


 ショックで胸が黒く塗りつぶされる。筋肉が収縮して、全身の血管がキュッと狭くなるかんじ。

 それは去年とまったく同じような反応だった。何をいっても、私の声は無視される。

 クラスが変わっても何も変わらない。やっぱり私は空気のままなんだ。


「そっちは二人? 一緒に組もうよ!」


 私を無視した岡部さん達のところに、別の二人組がやってくる。

 今度は彼女達も無視することなく、笑顔を向けて快く二人を受け入れていた。

 それは、私の時とはまったく違う態度であった。新しくチームを作った4人組は談笑しながら遠ざかっていく。

 私はどこか不安定な場所に置き去りにされたような気持ちで、彼女たちの背中を見つめていた。


 正直、少し甘く見ていた。

 明音ちゃん達とクラスが分かれたから、私と友達になってくれる人もいるんじゃないかって思っていた。

 学年が上がってクラスメイト達が新しい関係を構築しているとき、私に声をかけてくれる人が誰もいなかった時点でちゃんと気づくべきだったんだ。

 私の立場は去年となんら変わらないんだって。

 

「っぐ……」


 なんだか涙が出そうだった。

 どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだろう。なんで無視するの?

 私はあの子たちに何もしていない。明音ちゃん達にだって何もしてない。なのにどうして?

 

 ――泣いちゃだめだ。


 こんなところで泣いたりしたら余計に目立ってしまう。笑われてしまうかもしれない。

 私がぐっと涙を我慢していると、フッとおでこの当たりが温かくなった。


『どうか、君が辛い目にあいませんように』

 

 お化けさんの言葉が脳裏によみがえると、涙が止まった。それと同時にすっと身体から重さが消えたような気分になる。

 体から力が抜けていくような妙な感覚にぼうっとしていると、耳をつんざくような破裂音が私の意識を現実へと引き戻した。

 ガシャンというガラスが割れるような硬質な音。それとほぼ同時に聞こえた、パラパラと何かが降り注ぐような音。


「きゃあああああああああああっ!!」


 悲鳴が体育館を揺らした。私を無視した岡部さんと山根さんが下を向いて体育館の床に蹲っている。二人の身体にはキラキラしたものが光っていた。体操服を着た生徒たちが驚いたように天井を向いて立ちすくんでいる。つられて私も天井へと目をやると、蛍光灯がひとつばかり消失しているのが分かった。

 どうやら先ほどの破裂音の正体は蛍光灯らしい。体育館の天井に取り付けられていた蛍光灯が割れて落下したのだ。


「大丈夫か!?」


 悲鳴が飛び交い混乱を極めた体育館で、真っ先に動いたのは先生だった。彼は蹲る岡部さん達のところに駆け寄ると、二人の身体についたガラス片を手で払いのけた。先生が動くたびに、パリッとガラス片が砕けるような音がする。


「おまえ達は体育館の端へ避難しろ。保健委員はこの二人を保健室へ!」


 先生の大きな声で悲鳴が止んだ。困惑した顔をしながらも生徒たちはガラスを踏まないように体育館の端へと移動する。私も他の生徒に倣ってガラスを踏まないように注意しながら避難した。


「なんだって蛍光灯が落ちてくるのよ。ちゃんと落下防止のカバーがついているのに」


 避難した先で、天井を見上げながら誰かが呟いた。その声で私も再び体育館の天井へと注意を向ける。

 体育館の天井に取り付けられた蛍光灯には、落下事故を防ぐために金網のようなものが取り付けられていた。たとえ何らかのアクシデントで蛍光灯が外れたとしても、落下して割れないようにと安全のために取り付けられているものだ。

 けれども蛍光灯は落ちてきた。破裂音の後にパラパラとした音が鳴ったから、おそらくは蛍光灯が金網よりも上で割れたから破片が落ちてきたのだろう。けれども、金網は蛍光灯のすぐ真下に設置されている。蛍光灯が金網にぶつかったところで割れたりはしないはずだ。


 でも、だったらどうやって蛍光灯が割れたの?


 蛍光灯の破片を頭からかぶった岡部さんと山根さんが、保健委員に付き添われながら体育館から出て行った。

 私を無視した二人だ。だけど、ざまぁみろとは思わなかった。

 沸き上がってくるのは恐怖だ。脳裏をよぎったのは、階段から突き落とされたって主張していた石川さんの姿。


「もしかして、これも幽霊の呪い?」


 体育館に散らばった蛍光灯の破片を眺めていると、どこからかそんな不安そうな声が聞こえた。

 そんな筈はないと、今度はすぐさま否定することができなかった。

 だって、何か特別な力が働かなければ蛍光灯は落ちてこない。

 そんなことができそうな人は、私には一人しか思い浮かばなかった。







 お化けさんの仕業じゃあない。


 体育が終わって制服に着替えながら、私は自分に言い聞かせるように先ほどの出来事をふりかえっていた。

 体育館の中にお化けさんの姿はなかった。

 そもそも、お化けさんが蛍光灯を割ったところで何のメリットがあるっていうんだ。

 お化けさんじゃない。そう思いたいけれど、それでも胸がモヤモヤするのは3人の共通点を知っているからだ。

 階段から落ちた石川さんと、蛍光灯の破片をかぶった岡部さんと山根さん。同じクラスだっていう以外にも共通点があった。


 三人とも――私を無視した子なんだ。


 石川さんはわざと無視をしたわけじゃないだろうけど、岡部さん達は故意に私を無視した。

 それに私は、あの二人に無視をされたそのすぐ後に、額が熱くなるような感覚を覚えていた。

 体から重さが抜けていくような不思議な感覚。熱くなったのはお化けさんがキスしてくれた場所だ。


 お化けさんが私にしてくれたおまじない。

 あれはただの気休めなんかじゃなくて、何か意味があったんじゃないの?

 例えば、私を傷つけた人間が傷つくような呪いがかけられているのだとか。


 ゾクリと背中が寒くなる。

 お化けさんの言う守るって、こういう意味だったの? 私を攻撃した人を呪っているの?


 胸のあたりがモヤモヤとする。もしそうだとしたら止めてもらわないと。

 だってこんなのは望んでいない。私はただ友達が欲しいだけなのだ。

 お化けさんと話をしないと。

 もしもお化けさんが呪いをかけているんだとしたら、今すぐに止めてもらわないといけない。


 幸いなことに次は昼休みだった。私はお昼も食べずに教室を抜け出して裏庭へと急ぐ。

 昨日からまったく変わる様子もなく、裏庭の桜は満開のまま時を止めていた。

 いや、まったく変わっていないのではない。


 ――花の色が濃くなっている。


 昨日はほんのりとした薄紅だった桜の花が、はっきりとした薄紅に染まっていた。

 こんな風に短期間で花の色が変わってしまうことなんてあるのだろうか。

 綺麗な色なのだけど、私はなんだか恐ろしい気持ちでその花を見上げた。

 白い花が少しずつ赤く染まっていくなんて――まるで、血を吸っているみたいじゃない。


 私の脳裏に怪我をしたクラスメイトの姿が過る。私は首を振ることで、そのイメージを消し去った。

 お化けさんに直接話を聞くんだ。それで、お化けさんの言葉を信じよう。

 だって、私はお化けさんの友達だもの。友達になってくれるって、お化けさんだけがそう言ってくれたんだから。


「お化けさん」


 桜の木に向かって私は呼びかけた。さわさわと風に木が揺れる音が帰ってくるだけで、お化けさんの返事はない。


「お化けさん、いないの?」


 私は再び桜の木に向かって呼んだ。数秒沈黙があって、それからようやくお化けさんがスッと姿を現した。

 お化けさんは今日も頭から靴まで真っ白だ。けれど、いつもに増して白いような気がした。透き通るようなお化けさんの肌は普段よりもどこか青白い。それだけじゃあなくて、なんとなく表情も冴えないようだ。


「こんにちは、咲良」

「お化けさん、体調でも悪いの?」


 どこか具合が悪そうなお化けさんが気になって、私はそう声をかけた。


「大丈夫だよ。木に体調不良なんてあるはずないでしょ?」


 お化けさんはそう言って笑うけれど、その笑顔はどこか不自然で、少し無理をしているようにも見えた。


「分かんないよ。木だって体調を崩すかもしれないじゃない。ほら、シロアリとかだっているし」

「ああ。ああいうのに巣をつくられたら、確かにヤバいかもね」

「大丈夫? シロアリに食べられたりはしていない?」

「大丈夫。シロアリもコスカシバもコウモリガもいないよ」


 私の心配が面白かったのか、お化けさんはくすくすと笑った。


「でも、なんだか元気がないみたいに見える」

「気のせいだよ」

「花の色が変わっているのに関係があるの?」


 一瞬、お化けさんの顔から笑顔が消えた。


「花びらの色、昨日よりも明らかに濃くなってる。二日前は真っ白だったのに」


 私がそう指摘すると、お化けさんは桜の木を見上げて少しばかり顔を曇らせた。


「うん。これは仕方がないんだよ。穢れを吸っているから」

「穢れ? 穢れってなに?」


 聞きなれない言葉に私は首を傾けた。


「どう説明すればいいのかな。まぁ、簡単に言えば悪いものだよ」

「悪いもの?」

「うん。例えば血とか、恨みとか、怨念とか、そういうもの」


 ずいぶんとドロドロした単語が出て来て、私は目を丸くした。


「そんなものを吸ってるの? お腹壊しそう」


 そんなものを食べているのだとしたら、お化けさんはずいぶんと悪食だ。

 だから、そんなにも調子が悪そうに見えるんだろうか。


「でも、力を得るには手っ取り早い方法でもあるんだよ」

「力を得る?」

「うん。妖力とでもいえばいいのかな。そういう力がないと、僕はただの桜だから」


 そういえば、お化けさんは最近までこうやって人の姿を取ることができなかったって言っていた。

 それってつまり、力が足りなかったってこと?

 穢れを食べてお化けさんは力を得たんだろうか。


「その穢れを食べているから、花が赤くなるの?」

「そうだね。少しなら力になるんだけど、強すぎる穢れは僕自身の身体も蝕むから」

「身体を蝕むって、病気になるってこと?」

「うーん、まぁ、そんなかんじ」


 お化けさんの言葉に私の表情が曇る。


「病気になるなら食べなきゃいいのに」

「うん、まぁ、そうなんだけど。そういうわけにもいかない事情もあってね」

「食べないと、お化けさんが消えちゃうの?」


 他の桜はもうほとんど散ってしまった。少しの花と、若い葉が混ざっているような有様だ。

 お化けさんの桜だけが、時が止まったみたいに花を咲かせ続けている。


「そうだね。力が無くなれば僕は消えて、ただの桜の木に戻る」


 つまりそれは、お化けさんがお化けさんとして存在するために必要ということなのだろうか。

 桜の花を咲かせ続けるために必要だから、穢れを食べる。

 でも、お化けさんは私がお化けさんに力をくれているって、そう言っていた。


「お化けさんが食べている穢れって、私と何か関係があるの?」

「どうしてそう思ったの?」

「お化けさんは、私がお化けさんに力をくれているって言っていた」


 私はお化けさんに何かした覚えがない。

 だけど、もしかしたら私から穢れとかいうものが出ていて、お化けさんはそれを食べているんじゃないだろうか。

 私が問いかけると、お化けさんは私の心を探るように白銀の目をじっとこちらに向けた。

 見つめ合ったまま少しの沈黙が落ちる。お化けさんの目はとても薄い色なのに、じっと見つめていると吸い込まれるような深みがあった。


「そうだよ。僕は咲良を食べている」


 何も誤魔化すことはなく、お化けさんはきっぱりとそう言った。

 私を――食べる。

 それはなんだか不思議な言葉った。だって、私は五体満足で、食べられている自覚なんてない。


「咲良から出ている穢れを僕が食べているんだ。君を食べて僕は力を得た」


 穢れなんて私には見えない。だから、そんなものを食べているって言われても、あまり怖くは感じなかった。

 食べられているということに恐怖はない。だけど、なぜか胸が押しつぶされそうに痛くなった。

 

 ――ああ、そうか。お化けさんが私に声をかけたのは、それが目的だったんだ。

 私から出ているという穢れを食べるため。

 友達だなんて言ってくれたのも、きっと、それが目的。


 そう思ったら、鼓動が早くなって喉の奥が狭くなる。

 黒いものが身体の中を渦巻いて、逃げ場を求めて暴れているようだ。


 友達ができたって嬉しくなって、浮かれていたのが馬鹿みたい。

 私に友達なんかできるわけがなかったんだ。

 人間じゃなくても良かったのに。こうしてお化けさんとおしゃべりができて、楽しかったのに。

 全部、全部、嘘だったんだ。


「咲良、どうしたの。気が荒れている」


 お化けさんは心配そうな顔をして、そっと私に手を伸ばした。

 私の頬に触れようとしたお化けさんの手を、私はパシッと弾いて拒絶する。


「触んないで!」

「……咲良?」


 どうしてこんなにも悲しいのか分からない。だけど、すごく胸が痛い。

 お化けさんは叩かれた手をじっと見つめて、それから悲しそうな顔をした。


「君を食べているなんて言ったから、僕のことが怖くなった?」


 その言葉に私は首を左右に振った。

 お化けさんのことは怖くない。ただ、利用されていたことが悲しかっただけだ。


「今日、体育の時間に蛍光灯が落ちてきたの。同じクラスの子が二人、怪我をした」

「そう」

「昨日の石川さんも、その二人も、私を無視した子なんだ。石川さんは見えない誰かに突き飛ばされたって言った。落ちてきた蛍光灯だって、普通ではありえない割れ方をした」

「それで、咲良は何が言いたいの?」


 お化けさんから返ってくる声は、どこか硬くてよそよそしい。

 こんなこと、本当は聞きたくない。お化けさんを信じたい。

 だけど――お化けさんは友達じゃあなかった。私を食べるために近づいたのだ。


「お化けさんがやったの? お化けさんがあの子達を傷つけたの?」


 この期に及んで、まだどこかでお化けさんを信じたいと思っている自分がいた。

 そんな怖いことはしないと、否定して欲しかった。


 お化けさんはスッと目を細めて、まるで観察をするように私を眺めていた。

 お化けさんの表情や目からは何を考えているのかまったく読み取れない。

 手のひらに浮かび上がった汗を指で擦っていると、お化けさんがゆっくりと口を開いた。


「そうだよ、僕がやった」

「っ――!」


 お化けさんは温度を感じさせない目で私を見つめながら、自分の仕業なのだと肯定した。

 やっぱりっていう気持ちと、それでもまだ信じたくない気持ちが混ざり合う。


「どうして? あの子達に何か恨みでもあるの?」

「恨みなんてないよ。――だけど、その子達は咲良を傷つけたんだろう?」

「なんで? ワケ分かんないよ。 どうして私が傷ついたらお化けさんが攻撃するの?」

「…………」


 お化けさんはすぐには答えを返さなかった。

 そもそも、お化けさんは私のことをどう思っているのだろう。友達だって、守りたいって思ってくれているから、私を攻撃する人を敵視するの?

 もしそうなのだとしたら、やり方は間違っていると思うけれど、気持ちは嬉しいって思う。

 だけど、お化けさんの口から零れたのは、私を気遣うような言葉ではなかった。


「咲良の周囲で不幸が起きれば、君に穢れが溜まる」

「え……」


 なにそれ。穢れが溜まるって、なんなのそれは。


「それってつまり、私から穢れを食べるためにそうしてるってこと?」

「……そうだよ」


 頷かれて、再び胸が痛くなった。

 やっぱりお化けさんは、私のことなんてどうでも良いんだ。

 私から穢れを食べたいから、その為に心配してくれたり、話を聞いてくれていただけ。


「なによ……それ」

「咲良、怒ってる?」

「そりゃあ怒るよ!」

「どうして。怪我をしたのは、咲良を無視して傷つけた人なんでしょ?」

「そうだとしても、こんなことは望んでない」


 無視されて悲しかった。悔しかった。だけど、怪我をして欲しいだなんて思ったりはしていない。

 私はただ友達が欲しいだけなんだ。

 一人が嫌なだけ。誰かに不幸になって欲しいわけじゃないのに。


「咲良は誰かが傷つくのが嫌なの? それが自分を無視した人でも?」

「――嫌だよ。だって3人とも、そんなに酷いことをしたってわけじゃない」


 石川さんなんて、多分、私の声に気が付かなかっただけなのだ。それなのに、勝手に私が傷ついた。

 体育の時の二人はわざと無視したのかもしれないけれど、それだって、怪我をするほどのことじゃない。


「それじゃあ、明音ちゃんは?」

「え?」

「咲良を一番傷つけたのはその子でしょ? 復讐したいって思わないの?」


 問いかけられて、胸の中がざわざわした。

 明音ちゃんに対する思いはとても複雑だ。友達だと思っていたのに裏切られた。

 明音ちゃんがいなければ、私がクラスで孤立することもなかったはず。


 明音ちゃんなんて大嫌い。不幸になればいいのに。いなくなってしまえばいいのに。

 心の奥で怨嗟の声がする。

 誤魔化そうとしたって無駄だ。私は確かに明音ちゃんのことを恨んでる。


「そうか。やっぱり、咲良が一番恨んでいるのはその子なんだね」


 まるで私の心を読んだみたいなお化けさんの声に、私はハッと顔を上げた。

 駄目だ。お化けさんには本当に人を傷つけてしまえる力がある。

 

「駄目、何もしないで!」

「――どうして? 恨んでるんだよね。人っていうのは、自分を不幸にした相手を憎むものなんでしょう?」


 お化けさんに問い返されて、私は何も答えることができなかった。

 もしも明音ちゃんが不幸な目にあったら、私はきっと同情なんてしない。ざまぁみろって思う。

 相手が誰であっても幸せになって欲しいなんて綺麗ごとは言えない。


「それでも誰かを傷つけるのは駄目だよ。なんで駄目なのか上手く言えないけど、だけど駄目なの」


 されたことをやり返すばかりだと、恨みばかりが増えてしまう。誰かを憎む人ばかりになって、自分も誰かから憎まれて、嫌なことばかりが増えていくんだ。

 私は誰かを傷つけたいんじゃない。ただ、友達が欲しいんだけなんだ。

 楽しいことがあったときに、一緒に笑ってくれる人が欲しい。

 辛いことがあったときに、辛かったねって言ってくれて、一緒に悲しんでくれる人が欲しい。


「そう。やっぱり、咲良は優しいね」


 お化けさんが紡いだのは誉め言葉のようなのに、どこか悲し気な響きがあった。


「僕がしていることはきっと、咲良を余計に苦しませるだけなんだろうね。――だけどそれでも僕は、もう少しだけでも、咲良と一緒に居たいんだ」

「お化けさん?」


 お化けさんは悲しい顔で笑った。

 私はお化けさんが何を考えているのか少しも分からない。

 だけどお化けさんの笑みをみていると、私までなんだか苦しくなる。


「咲良が僕を怖がっても――僕を嫌っても。僕は咲良のことが好きだよ」

「それは本当なの? 私に近づいたのは、友達になりたいなんて言ってくれたのは、私を食べるためじゃあないの?」

「違うよ。僕が君を食べるのは、それが必要だからなんだ」


 お化けさんの言葉に、なんだか胸が切なくなる。

 お化けさんのことが分からない。私は上手くお化けさんに騙されているのかもしれない。

 それでも、好きだと言われたことが嬉しくて、私はそわそわと落ち着かない気持ちになってしまうのだ。


 なんなんだろう、この気持ちは。

 お化けさんは得体のしれない存在だ。人間じゃあなくて、桜で、石川さん達を傷つけたのもお化けさんだっていう。

 怖がっても良いはずなのに、悪い人のような気がするのに、それでも憎めない。


「どうして、私を好きだなんて言うの? 一緒にいたいなんて思ってくれるの? お化けさんは私のことなんてロクに知らないはずなのに」


 お化けさんと会ったのは3日前。そこまで思ってもらえるような、深い会話なんてしていない。


「知ってるよ。咲良はこの場所がお気に入りだっただろう? 話はできなくても、ずっと見ていた」


 さわさわと、囁くように桜の木が揺れる。

 空気みたいに誰からも無視されるようになった私は、逃げるようにこの場所に来ていた。

 人気のないこの裏庭で、何をするでもなく膝を抱えて蹲ったり、時にはひとりで泣いていた。

 この場所は滅多に人が来ないから、ひとりになるにはうってつけだったのだ。


「ここに来る人は少ないから、咲良のことはすぐに覚えたよ。いつも君は一人ぼっちで、寂しそうな顔をしていた」

「見られてるって分かっていたら、もうちょっと取り繕ったのに」


 私は少し恥ずかしくなって言った。

 誰もいないと思っていたのに、まさか桜が見ているとは思わなかった。


「ずっと気になっていたんだよ。咲良が泣いているのを見て、初めて身体が欲しいって思った。君と会話をして慰めてあげたいってそう思っていたんだ」

「そ、そうだったんだ」


 お化けさんの言葉を聞いていると、どうしてだか顔が熱くなる。

 全身がひとつの心臓になったみたいにドクドクと大きな音を立てている。

 

「そうだよ。だから咲良が――」


 お化けさんは何かを言いかけて、そこでふっと言葉を切った。


「私が、なに?」

「ううん。とにかくだよ、僕は君のことが好きなんだ。咲良にはできるかぎり笑っていて欲しいって、そう思ってる」

「……私とこうして話しをしてくれるのは、私が好きだから?」

「そうだよ」

「私を食べたいからじゃってわけじゃなく?」


 私の問いかけに、お化けさんは少しばかり悲しそうに眉を下げた。


「咲良を食べるのは、それが必要だからなんだ。自分の為じゃあない。信じてくれる?」


 問いかけられて、私は少しだけ返事を躊躇った。お化けさんのことを信じられるか考えてみる。

 

 私はお化けさんを信じたいって思う。

 だって、お化けさんは私を好きだって言ってくれた。お化けさんの言葉が本当なら、一番辛かった去年の私をずっと見守ってくれていたことになる。

 それに、お化けさんに好きだっていわれたら、なんだか胸がドキドキする。

 多分、私もお化けさんのことだ好きなんだ。この感情が友愛なのか恋なのかは分からないけれど、とても不思議なお化けさんに惹かれている。


 それでも無条件に頷けないのは、お化けさんの行動が謎めいているからだ。

 お化けさんは私の穢れとやらを食べているらしい。そして、石川さん達を傷つけた。


「私はお化けさんを信じたいよ」


 少しの間考えて、私はお化けさんにそう言った。


「だけど、やっぱり人を傷つけるのは良くないって思う。だから、できるなら石川さんを突き落としたみたいに、誰かに怪我をさせるのはやめて欲しいんだ」

「それは……」


 お化けさんの表情が複雑そうに揺れた。

 彼はしばらく悩む素振りを見せたあと、大きく息を吐き出して諦めたように小さく笑った。


「――わかった。咲良がそう望むなら」

「お化けさん、ありがとう!」


 お化けさんが私の願いを聞き届けてくれたことが嬉しくて、私は飛び上がって喜んだ。

 

「だけど、咲良も気をつけて欲しいんだ。できるだけ、傷つかないように」

「え?」

「僕もできるだけ抑えるよう努力するけど、それでも、君が深く傷ついてしまえば抑えられないかもしれない」

「ええ?」


 それって、どういう意味なんだろう。

 石川さん達が被害にあったのは、やっぱり私を無視したからってこと?

 私が傷ついたから、お化けさんが彼女達を狙ったの?


「えっと、傷つかないっていうのはどの程度のレベルで?」


 体育館での一件はともかく、石川さんに関してはそこまで傷ついたつもりは無かった。

 あれで駄目だというのなら、お化けさんの判定はかなり厳しい。


「できれば、ほんの少しでも悲しいと感じないで欲しいんだけど」

「流石にそれは無理だよ!」

「うん、そうだよね。――でも、気を付けて欲しいんだ。できるなら、僕以外の誰にも話しかけないでほしい」


 幽霊さんの言葉に私は目を瞬いた。


「前に他に友達を作らないで欲しいって言ったのは、そのせいなの?」

「うん、まぁ、咲良に傷ついて欲しくないからっていうのもあるけど……でも、それよりも僕が咲良を独り占めしたいからって気持ちが強いかもしれない」

「え?」


 お化けさんの言葉に頬がカッと熱くなる。

 ひ、独り占めって! なにそれ!


「お化けさん。さっきから好きとか独り占めとか、友達に言う台詞じゃあないよ」

「そう? それじゃあどういう関係なら言ってもいいの?」

「えっ?」


 問い返されて私は少し言葉に詰まった。

 助けを求めるようにお化けさんに目をやると、お化けさんは少しばかり意地悪な顔で笑っている。


「お化けさん、からかってる?」

「ううん、真剣に聞いてるよ。ほら僕は桜だから。人間のことがよく分からないんだよね」


 分からないというわりには、お化けさんの声はからかうような雰囲気だ。

 私はううっと低く唸る。お化けさんは分かっていて尋ねているような気がする。

 だけど、お化けさんはお化けだし、本当に分からない可能性だってないこともないような……。


「それはその、こ、恋人とか」


 べつに恥ずかしいことを言っているわけじゃあないのに、なんだか顔が熱くなる。

 私の返事を聞いて、お化けさんは「へぇ、恋人」とニヤリと笑った。


「咲良は友達が欲しいとは言っていたけれど、恋人が欲しいとは言わないよね」

「そ、それは。だって、私に恋人なんてできるはずがないし……」


 友達だって満足に作れないのだ。恋なんて私には遠い世界の物語。

 そのはずなんだけど、お化けさんと話していると、どうしてだか胸がドキドキする。


「恋人ができるなら欲しいの?」

「え、いや、欲しいとかそういう前に、考えたことも無いっていうか……」

「それじゃあ考えてみて?」

「考えるって、恋人が欲しいかどうかってことを?」

「ううん。人外の恋人はどうかってこと」


 さらりと言われたお化けさんの言葉に、私は顔を真っ赤にして口を閉口させた。

 お化けさんは平然とした顔で私をじっと見つめているけれど、今の言葉って、下手をしたら告白だよね?


「お、お化けさん、今の言葉ってどういう意味?」

「僕は咲良が好きだし、独り占めしたい。そういうことだよ」


 そう言ってふっと笑うお化けさんはなんだかとっても格好良く見えて、お化けさんが人間じゃあないって分かっているのに、胸がドキドキして止まらなくなってしまう。

 私がこれ以上ないくらいに真っ赤になっていると、お化けさんはふっと笑って私に近づき、手で前髪を持ち上げた。

 そうしてむき出しになったおでこに、いつもみたいにキスをする。


 こ、これはおまじない、おまじない。

 念仏のようにそう繰り返しておかないと、熱で頭がおかしくなってしまいそうだった。

 

「考えておいてね、咲良」


 恥ずかしすぎてこれ以上この場にいられなくなった私は、ふらふらと教室へ帰ったのだった。


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