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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
2/11

裏庭のお化けさん 後編

 昨日は良い日だったなあ。

 翌日。お化けさんのことを思い出しながら、私は教室の隅でひとりニヤニヤと笑っていた。

 教室にいるときはいつも暗い気持ちになるけれど、今日ばかりは例外だった。

 だって、私に友達ができたのだ。桜でお化けのお友達だけど。

 

 昨日はたくさん喋ることができた。最初は言葉につまっちゃったけど、最後の方はちゃんとスラスラ喋れていた気がする。

 もしかしたら、この調子で今日は誰かに話しかけることができるかもしれない。

 私はちょっとだけ調子に乗っていた。

 新たに友人を作れるかもしれないと、上向いた気分の私はクラスの中を観察する。


 男の子はちょっと話かけ辛いから、女の子にしよう。

 浜田さんみたいに気が強そうな人はダメ。

 安井さんみたいに明るくて人の輪に囲まれている人も無理。

 もっと大人しそうで、話しかけやすそうな人がいい。


 ――うん、そうだ。石川さんにしよう。


 石川さんは長い黒髪をおさげに結った、大人しそうな雰囲気の女の子だ。

 読書が好きみたいで、同じように大人しい感じの子と、隅の方でひっそりおしゃべりするタイプ。

 こういう雰囲気の子なら、比較的話しかけやすい。

 そして何よりも石川さんは私の席にとっても近い、斜め前の机に座っているのだ。


 授業が始まるまでの時間を利用して、石川さんは文庫本を読んでいるみたいだった。

 どうしよう。今話しかけて大丈夫かな、読書の邪魔にならないかな?

 ううん、でも、躊躇っていたらずっと話しかけられない。よし、頑張ろう!


 私はすっくと席を立った。どきどきしながら石川さんの近くに向かう。

 石川さんは私がすぐ傍に立っていることに気づいていないのか、本に目を落したままだった。

 私はすっと息を吸った。緊張に手が汗ばんでいる。


「――あの、な、何を読んでるんですか?」


 蚊の鳴くような声が出た。自分でもびっくりするくらい小さくて情けない声だった。

 声量が小さすぎて石川さんには届かなかったのか、彼女はぴくりともせずに本に目を落したままである。


 は、恥ずかしい!


 私は顔を真っ赤にして、きょろきょろと周囲を見回した。

 よかった。私が失敗したことに気づいている人はいないみたいだ。

 もう一度話しかける勇気なんて出るはずもなくて、私はそのまま石川さんの机の横を通り過ぎて廊下に向かう。

 人の目を誤魔化すようにトイレに駆け込んで、はぁっと大きく息を吐き出した。


 ああああああ、もう、恥ずかしいよっ!!!

 せっかく勇気を出して話しかけたのに、気づいてもらえないなんて!


 私はトイレのドアにゴンと頭を打ち付けて、大きく息を吐き出した。

 ああもう、ほんとうに最悪だ。ダメダメすぎる。

 調子になんて乗らなきゃよかった。私が失敗したの、誰も見ていなかったよね?


 どうしてあんな、蚊の鳴くような小さな声しか出ないかな。

 石川さんは本に集中していたし、私が話しかけたことにも気づかなかったのだろう。

 聞こえなかった。だから石川さんは、こっちを見なかったんだ。

 ――無視されたわけじゃあない、はず。

 

 そう思うけれど、でも、不安になる。

 もしも、石川さんに声が届いていたのだとしたら。

 私が話しかけたのに気づいていたのに、関わりたくないから無視されたのだとしたら。


 ぎゅぅっと、胃の当たりが痛くなった。暗い気持ちが湧き上がってくる。

 

 もう、石川さんに話しかけるのはよそう。

 浮上していた気持ちがいっきに落ちる。がっくりと肩を落して私は教室へと戻った。






 昼休み、私はお化けさんに会いに裏庭へと向かった。

 お化けさんの桜は今日も綺麗に満開だ。そろそろ散っても良いはずなのに、少しも散りそうな気配がない。

 私が桜を見上げていると、桜の幹の後ろから、スッとお化けさんが現れた。


「こんにちは、咲良」

「お化けさん!」


 お化けさんが現れた場所は、人が隠れるほどのスペースはなかった。

 ということは、お化けさんは何もない空間から滑るようにここに出現したことになる。


「驚いた?」

「う、うん。どこから現れたの?」

「この桜の木から」


 お化けさんはそう言って、悪戯が成功したみたいな顔で笑った。


「今日も来てくれてありがとう」

「お化けさんと話がしたかったから」


 素直な気持ちを伝えてから、私はハッと気が付いた。

 何も気にせずお化けさんって呼んでいたけれど、もしかして、失礼だったのではないだろうか。

 だってほら、私だって『人間さん』って呼ばれたら微妙な気持ちになってしまう。

 ちゃんと、名前をきかなくちゃ!


「あの、お化けさんはなんていう名前なの?」

「名前? ないよ」

「え?」

「僕は桜だって言ったでしょ。桜に名前をつける人なんていないから」


 お化けさんの言葉に私は桜の木に目をやった。たしかに、普通は木に名前をつけたりはしないけど。


「でも、じゃあ、なんて呼んだら……?」

「いままでと同じ、お化けさんで良いよ」

「だけど、それだと寂しくない?」


 名前が無くても平気なんだろうか。

 私だったらやっぱり名前が欲しいって思う。人間さんって呼ばれるのはちょっと嫌だ。


「気にすることは無いよ。僕はどうせすぐに消えるから」

「え?」


 お化けさんの言葉に胸がキュッと痛くなる。

 お化けさんが消える? 消えるってどういうこと?


「ど、どうして?」

「桜の花はすぐに散るでしょう? そうしたら僕も、それでおしまい」


 何でもないことのようにお化けさんは言う。

 私は満開の桜を見上げた。この場所の桜は、他の桜が散り始めた今でも綺麗に花を咲かせている。

 けれども、桜の花の寿命は短い。綺麗な時期なんてほんの一瞬で、すぐに散ってしまうのだ。


「で、でも、そんなの嫌だ」

「嫌? どうして?」

「せっかく友達になれたのに、いなくなっちゃうのは寂しいよ」


 こうして私と会話してくれるのはお化けさんだけだ。私と友達になってくれるのも。

 朝の出来事を思い出して私は顔を曇らせた。

 私に友達を作ることなんて出来そうにない。声をかけるっていう簡単なことでさえ、失敗するのに。


「何かあったの?」


 気遣うようなお化けさんの言葉に、私は今朝のできごとを話していた。

 友達を作ろうと頑張ったこと。だけど、ほんの少しのことで挫折してしまったこと。


「――そう。声に気づいてもらえなかったんだね」

「そうなの。小さい声しか出なかったし、石川さんも本に集中していたからだと思うんだけど」


 だけど、恥ずかしかったし寂しかった。

 声をかけるなんていう簡単なことでも、私にとってはすごく勇気のいることだったんだ。

 

 それなのに――無視された。

 

 凄く悲しい。そう思ったら、黒い感情が胃のあたりで渦巻いたような気がした。


「咲良」

「っ!?」


 声をかけられて私はハッと顔をあげる。


「咲良、こっちを見て」


 名前を呼ばれて、視線がお化けさんの瞳に吸い寄せられる。

 一瞬、お化けさんの銀色の目が赤く光っているように見えた。


「大丈夫だよ、咲良。僕が君を守るから」


 お化けさんはそういうと、私の前髪を持ち上げておでこに軽くキスをした。


「っ――!?」


 え、え、え、今のはなに!?

 キ、キス!? おおお、おでこにキスされちゃった!!


「いいいいいい、今のは!?」

「おまじないだよ。咲良が辛い目にあいませんようにっていうね」

「お、おまじない……」


 まだ心臓が暴れているみたいだ。

 男のひとにキスされるなんて、生まれて初めて。

 体中の血液が顔に集まったみたいに、ほっぺたがカッカと熱くなる。きっと今、私はリンゴよりも真っ赤だ。


「わわわわわ、私、教室に戻るっ!」


 胸がドキドキする。早くなった鼓動がおさまらない。

 なんだかお化けさんの顔を見ていられなくなって、まだチャイムまで時間があるのに私は裏庭を飛び出した。







 ああ、びっくりした。

 お化けさんったら、いきなりあんなことをするんだもん。


 教室の一番後ろの席に座りながら、私は指でおでこを撫でた。

 お化けさんは桜だっていうのに、ちゃんと触られた感触があった。

 おでこに触れた、柔らかくて少しだけ温かかい唇の感触を思い出して再び顔が熱くなる。


 おまじない、かぁ。


 お化けさんの触れた場所に触ると、ほんのりと温かいような気がした。

 自分でも気づかないうちにニヤニヤと口角が上がる。

 格好良かったなあ、お化けさん。僕が君を守るから、なんて、普通の男の子じゃあ言えないよ。


 幸せな気持ちになりながら、だらしなく下がる頬の筋肉と格闘していると、バタンと荒々しく教室のドアが開いた。

 うるさいなと思って目をやると、血相を変えた青山くんが教室の中に駆けこんできて、声を荒げた。


「大変だ! 石川が階段から落ちた! 動けないんだ! 保健室に運ぶから手伝ってくれ!」


 青山くんの悲鳴は、浮かれた私の心を完全に凍り付かせたのだった。








 青山くんが凶報を叫んで数人の生徒を連れ去って、教室は騒然とした。

 落ち着かない空気の中で続報を待っていると、青山くんと一緒に出て行った生徒たちが戻ってくる。

 階段から落ちた石川さんはそこまで大した怪我ではなかったらしい。動けなかったのは本当だけど、肩を支えたら歩くことはできたそうだ。保健室の先生の見立てでは、おそらく捻挫だろうってことらしい。


 私はぽっかりと空いた斜め前の机を見つめた。

 石川さんは病院に行って今日はそのまま自宅へと帰るそうだ。保健委員の子が石川さんの鞄を持って教室を出て行ったので間違いない。


 大丈夫なのかな石川さん。捻挫だって言っていたけど、動けないってことは酷かったのかも。


 なんだか嫌だな。体がじっとりと重たくなったような気がする。

 暗く、低く、気分が沈んでいく。

 

 『おまじないだよ』


 お化けさんの声を思い出して、私はほんの少しだけ気分を持ち直した。





 今日の放課後も吸い寄せられるように私は裏庭へと向かった。

 お化けさんに会えれば、この沈んだ気分もどうにかなるような気がしたのだ。

 裏庭の桜はまるで時を止めたように美しく咲き誇っている。風にゆらゆらとその枝を揺らしても、花を散らすことはない。

 

 ――あれ?


 桜の木を見上げていると、ほんの少し違和感を感じた。

 違和感の正体を突き止めようと桜を凝視して、私は気が付く。


 桜の花の色が、ちょっとだけ濃くなってる?


 雪のように白かった花びらがほんのりと赤みを帯びていた。

 美しい薄紅色だ。雪みたいに真白だった桜が、本来の桜の色に近づいたといってもいい。


 これはこれで綺麗だけど、どうして色が変わったんだろう。

 不思議に思って桜を眺めていたら、またしてもお化けさんが木の幹から滑るように現れた。


「また来てくれたんだ」

「うん。お化けさんに会いたくなったから」


 お化けさんはにこりと柔らかく笑うと、桜の木の根に腰掛けた。

 そうして、私を見上げて手招きする。


「こっちにきて、座ったら」


 座るって、お化けさんのお隣に?

 すこしドキドキしながら私はお化けさんの横に並んで腰を下ろした。

 ――そういえば、この根もお化けさんなんだよね。


「お化けさんって、この桜なんだよね。私が座ってるのとかって分かるの?」

「うん、分かるよ。僕の上に咲良が座ってる」


 私は慌てて立ち上がった。

 お化けさんの膝の上に座る自分を想像してしまって、またしても顔が真っ赤になる。


「お化けさん、それ、セクハラ!」

「冗談だよ」

「……本当に?」

「まぁ、感覚は分かるけど」

「やっぱりセクハラ!!」


 私はそう叫んで、桜の根じゃなくて土がむき出しの場所に腰を下ろした。

 まったくもう。お化けさんってば、自分の上に座れって言うなんて。

 赤くなる顔を大きく息を吸って落ち着けて、私は改めてお化けさんを見た。


「お化けさんは、いつからここにいるの?」


 お化けさんが相手だと緊張しないで話ができる。

 スカートの皺を気にしながら私が問いかけると、お化けさんは質問の意図を測り兼ねたのか、目を瞬いた。


「それは、この木がいつからあるかってこと? それとも、僕の意識がいつ生まれたのかってこと?」

「できればどっちも知りたいかな」

「この木がここに植えられたのはずっと昔だよ。この学校が建てられるよりも前」

「え、学校ができてから植えられたんじゃなかったの?」

「ちがうよ。ほら、この学校の裏手に神社があるでしょう?」


 言われて、私は学校のすぐ近くに建つ神社を思い出した。神主がいるのかどうかも分からない、とっても小さな神社だ。


「僕はもともとあの神社の御神木だったんだ。だけど神社の土地が切り売りされて、僕の生えていた場所はこの学校の一部になった。僕を切り倒す計画もあったらしいけど、ご神木だってことで切ってしまうと縁起が悪いから、僕はこの場所に残されたんだよ」

「そうだったんだ」


 お化けさんが切られなくて良かったって、私は心の底からほっとした。


「僕の意識が芽生えたのは、ちょうどそれくらいの時期かな。この学校ができたころだよ」

「そのころから、こうして人に化けてウロウロしているの?」

「ううん。こうやって人の形をとれたのは、ほんの少し前」


 お化けさんはそう言うと、じっと私の目を見つめた。

 お化けさんの銀色の目はなんだか少し悲しそうだった。


「僕がこうして話せているのは、咲良のおかげ」

「私?」


 お化けさんの言葉に私は目を瞬く。

 私のおかげって言われても、まったく心当たりなんてない。


「私、何もしてないよ。お化けさんとだって、昨日初めて会ったばかり」

「うん。――だけど、咲良は数日前にこの木の場所に来てるよ」

「数日前って……」


 そんな最近のことならば、思い出せないはずがない。

 そう思って私は記憶を辿ろうとして――ぞくりと、背中に悪寒が走った。

 暗い底なし沼を覗き込んだような、途方もない恐怖。

 なぜだが身体が震え始めた。寒くて、寒くて、自分では震えを止められなくなる。


 怖い。怖い。怖い。怖い。

 この感情は何?

 私は何を忘れているの?

 視界が暗くなる。何かに飲み込まれそうな感じがして、意識が暗くなっていった。


「咲良!」


 がしっとお化けさんに腕を掴まれて、私の視界が急に色づいた。

 じっとりと額に汗をかいている。

 お化けさんは焦ったような表情で私を覗き込んでいた。


「咲良、しっかりして」

「――お化けさん」


 私がお化けさんを呼ぶと、お化けさんはほっとしたように息を吐いた。

 そうして、私を捕まえるように背中に腕を回すと、ぎゅっと強く抱きしめる。


「良かった」


 お化けさんの突然の抱擁に、私はあんぐりと口を開けた。

 わ、わ、私、お化けさんに抱きしめられてる!!


「おおおおおおお、お化けさん!?」


 あんまりびっくりしちゃって、私はかえって身動きをとることができなかった。

 私が動けないのをいいことに、お化けさんはぎゅうぎゅうと私を抱きしめてくる。


「ままま、まって! まってお化けさん!!」


 私は慌ててお化けさんを引きはがした。

 そんな風に突然抱きしめられたら困ってしまう。すごく、困る。

 ドキドキして苦しくなっちゃう!


「びっくりした。お化けさん、突然どうしたの?」


 私がなんとか心臓を落ち着けていると、お化けさんは困ったような顔でうなだれた。


「ごめん。咲良が消えちゃうかと思った」

「なにそれ、消えないよ。消えるのはお化けさんの方でしょう?」


 桜が散ったら消えるんだって、お化けさんは言っていた。

 その言葉を思い出してチクリと胸が痛む。お化けさんが消えるのなんて嫌だ。

 そう思うのに、お化けさんは私の言葉に微かな笑みを浮かべたのだった。


「――うん。そうだね。そうだよ。消えるのは僕の方だった」


 なにそれ。どうして消えるっていうのに笑えるんだろう。

 消えちゃうの、怖くないのかな。


「桜が散ったら消えるっていうけど、来年はまた咲くんでしょう? そうしたら、また会える?」


 桜はすぐに散る。だけどまた、来年の春には花を咲かすのだ。

 だから、もしお化けさんが消えてしまうのだとしても、それでお別れなんかじゃないよね?


「どうかな。今年はちょと特別だったから」

「特別?」

「うん。咲良がいたから」


 なにそれ、わけがわかんない。

 わけがわかんないけど……なんだか、私が特別だって言われているみたいで、顔が熱くなる。


「わ、私がいたからって、何にも出来ないよ!?」


 私は霊能者でも超能力者でもない。

 お化けさんにしてあげられることなんて、きっと何もないはずだ。


「そんなこと無いよ。こうして咲良と話ができて、僕はすごく嬉しいから」


 お化けさんの言葉に、ぎゅっと胸がしめつけられる。

 そんなのは私の台詞だよ。お化けさんと話せることで、私はすごく救われている。


「私だって、お化けさんと話せて嬉しいよ」

「本当に?」

「うん。私――口下手で人見知りが激しくて、慣れない人とあまりうまく話せないの」


 昔からトロ臭くて、人よりも何もかもが少し遅かった。

 だけどそれでも、今ほど人見知りじゃあなかったし、小学校の頃は少ないながらも友達だっていたんだ。

 私が完全に空気になったのは去年、中学2年生の秋のことだ。


 当時、私には曲がりなりにも友達がいた。

 友達だって思っていたのは私だけだったのかもしれないけど、それでも、一緒に行動して、一緒におしゃべりして、一緒にお弁当を食べる仲間がいたのだ。


 そのグループの中心だったのが、(せき) 明音(あかね)ちゃん。

 小学校からのつきあいで、私と違ってハキハキと自分の意見を言える明音ちゃんに私はずっと憧れていた。

 だけど明音ちゃんは私のことを、トロ臭いなって思っていたんだと思う。

 前に同じグループの子達と、私の悪口を言っているのを聞いちゃったから知っているのだ。


『咲良ってホントどん臭いよね。あの子と同じ班になったら、いつも作業が遅くなるんだけど』

『分かる―! 声も小さいし、何喋ってるんだか聞き取れないんだよね』

『足だって遅いしさぁ。体育でペアとかになったら最悪』


 私が体調を崩して保健室に行っていた日。

 容体が良くなって教室に戻ったら、明音ちゃん達がそんな話をしているのを聞いちゃった。


 私だって本当は分かっていたんだ。明音ちゃん達が、私のことをあまりよく思っていないってこと。

 それでも一緒にいたのは、一人になるのが怖かったからだ。

 学校っていうのは、残酷な場所。

 友達っていうグループに属していないと、簡単に周囲から弾かれてしまう。

 だから私は何も知らないって顔をして、ヘラヘラと薄笑いを作って教室の中に入っていった。


 多分、その時から私には友達なんていなかったんだ。

 ただ何となくグループに属して、友達のフリをしていただけ。

 だけどそんな友達ごっこも、中学2年生の文化祭の時に終わってしまった。


 きっかけは、明音ちゃんに好きな人ができたことだった。

 明音ちゃんが好きになったのは、サッカー部の永吉くん。永吉くんはスポーツができて、明るくて、みんなの人気者だった。明音ちゃん以外にも、永吉くんが好きだって人はいっぱいいた。


 夏休みが終わって9月になると、文化祭の準備が始まる。

 文化祭の準備ってなると、看板を作ったり、買い出しに行ったり、色々な仕事が生徒に割り振られるのだ。

 不運なことに、私のクラスはその仕事の割り振りを立候補制じゃなくてクジで行った。

 そのクジで、私は永吉くんと同じ仕事に割り振られてしまった。それも、2人だけの買い出し組み。

 もちろん、私と永吉くんが二人で買い物に行ったからって、何かが起こるわけじゃない。

 リストの通りに必要なものを買って、それで終わりってだけ。ほとんど会話もしなかった。

 

 だけど――それが、明音ちゃんは気に入らなかったみたい。

 買出しに出かけた翌日、私は明音ちゃんのグループから弾かれた。

 声をかけても無視をされる。彼女達の中で、私はいない人間にされてしまった。

 それだけじゃあなくて、気が付いたら私は吉永くんと一緒に買い物に行くために、不正にくじを操作したなんていう噂まで流されていたのだ。


 私だって何もしなかったわけじゃあない。なんとか誤解を解こうとしたよ。

 きちんと話をしたら分かってもらえると思って、明音ちゃんにつきまとって声をかけた。

 そしたら――とても冷たい目で睨まれてしまったのだ。


『話しかけないでよ。咲良と友達だなんて思われたくない』

 

 それは、明音ちゃんからの最後通告だった。

 気が付けば私は、クラス中から冷たい目で見られるようになっていた。

 もともと成績もそんなに良くなくて、運動もできない私だ。喋るのだってうまくない。

 不名誉なレッテルを貼られた私を拾ってくれるグループはなくて、新しい友人だって作れなかった。

 私が失敗したって空気はクラス中に広がって、私は関係のない子にまで腫れもののように扱われた。

 誰もが私を避けるようになって、そうだというのに、一挙一動に注目するのだ。

 私が何か発表すると、クスクスという小さな笑い声が聞こえるようになる。

 その声がとても怖くて、もともと喋るのが下手だった私は、致命的なまでの口下手になってしまった。


 人が怖かった。

 何かを喋ったり、目立ったりすると、また笑われるんじゃないかって思った。

 だから、私は自分から空気になったのだ。 

 できるだけ目立たず、失敗をせず、笑われないように、隅の方で小さくなって生きた。

 誰からも注目されないように。ロッカーや机や椅子と同じ。教室の備品みたいにして、どうにか毎日をやり過ごした。

 そうしているうちに、どんどん卑屈になっていって、友達の作り方も忘れてしまった。


「新しいクラスになって、やり直せるんじゃないかって思ったの。だけど、やっぱり怖くて」


 3年生に進級してクラス替えがあったって、去年の私を知っている人はたくさんいる。

 空気に徹していた私には、いまさらどうやって人に声をかければいいのか分からない。

 また笑われるんじゃないか。そんな風に思ったら、とても自分から友人を作ろうと動けなかった。


「去年の私を知っているからか、卑屈な空気がでているのか、クラスが変わっても誰も私に話しかけてくれなくて。――寂しかったんだ。だから、お化けさんが声をかけてくれて嬉しかったの」


 人間じゃあないって聞いてちょっと怖かったけど、それよりも声をかけてくれた嬉しさが勝った。

 多分、私は人に飢えていたんだ。


「そっか。辛かったね」


 お化けさんは悲しい顔をして私を見ていた。

 うん、辛かったよ。でもきっと、辛いよりも寂しかった。


「でもね。お化けさんとこうやって話せて、ちょっとだけ自信がついたんだ。私もちゃんと喋れるんだって。だから今朝、石川さんに話しかけることができたんだよ。――失敗しちゃったけど」


 石川さんの名前を聞いて、お化けさんの雰囲気が少し変わった。

 ピリッと緊張感が走ったというか、表情が硬くなった、そんな感じ。


「咲良は、石川さんと友達になりたいの?」


 どこか硬い声でお化けさんがそういった。私は首を縦に振る。


「うん。絶対に石川さんじゃなきゃ駄目ってわけじゃあないけど、やっぱり友達が欲しいよ」

「友達なら僕がいるよ」


 お化けさんの言葉に私は首を傾げた。どうしてそんなことを言うのだろうか。


「だけど、お化けさんはいつか消えちゃうんでしょう?」


 桜が散ったら消えるって、お化けさんは自分でそう言っていた。

 そうしたら私はまたひとりぼっちだ。


「咲良がここにいる間は、できるだけ消えないようにする。桜も散っていないでしょ?」


 お化けさんの言葉に、私は桜の木を見上げた。

 ほんのりとピンクに色づいた桜は、見事に咲き誇っている。


「綺麗な桜。でも、どうして散らないの? 他の桜はみんな、ほとんど散ってしまっているのに」


 散って欲しいわけじゃない。

 お化けさんにはできるだけここにいて欲しいけど、でも、不思議だった。


「咲良のおかげだよ。君が僕に力をくれているんだ」


 やっぱりよく分からない。私は何もしていないもの。


「咲良、寂しくなったらいつでもここに来て。いつだって僕が君の相手になるから。――だから、できれば他の人には近づかないで欲しいんだ」

「え?」


 お化けさんの言葉に少し身体が固くなる。

 他の人には近づかないでって……どういうこと?


「他に友達を作っちゃダメってこと?」

「そうだよ。できるなら、咲良が話をするのは僕とだけにしておいて」


 懇願するようなお化けさんの台詞に、私は困惑した。


「そんなの無理だよ。だって私、他にも友達を作りたい」


 私がそういうとお化けさんは悲しそうに顔を歪めた。


「そう……だよね。分かってる。君は人間の友達が欲しいんだ。――でも、きっと咲良が悲しい思いをすることになるよ」


 さぁっと風が吹いて、桜の木が揺らめいた。

 激しく枝が揺れているのに、桜の花は不思議な力で枝に固定されたみたいに少しも散らない。

 さわさわと音を立てる桜の木の下で、お化けさんが不気味に佇んでいた。


「石川さんに、何か不幸が起きなかったかい?」

「……どうして知っているの?」


 石川さんは今日、階段から落ちて捻挫した。


「なんとなくだよ。そうなるんじゃないかって思った」

「石川さん、階段から落ちちゃったの。足を捻挫したんだって」

「そう、捻挫で済んだんだ。良かったね」


 どこか軽んじて言うお化けさんの言葉に、私は顔を顰めた。


「捻挫だって大変だよ。すぐには歩けなかったって聞いた」

「ああ、ごめん。そう言う意味じゃないんだけど――思ったよりも軽く済んだかなって」

「どういうこと?」


 お化けさんの口ぶりでは、まるで石川さんが怪我をするのを知っていたように聞こえる。


「お化けさんは、石川さんが怪我をするのを知っていたの?」


 私の質問にお化けさんは返事をすることはなく、ただ曖昧に笑った。

 その誤魔化すような笑顔に、なんだか胸のあたりがザワザワする。


「咲良。僕は咲良が好きだよ。――だからどうか、君が辛い目にあいませんように」


 お化けさんはそう言って私は一歩近づくと、またしてもおでこにキスをした。

 お化けさんがその場所に触れるたびに、すっと身体から重さが消えていくような気がする。

 重たいものが身体から抜け落ちて、自分の存在が空気に近づくような違和感。


 お化けさんの、不思議なおまじない。


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