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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
10/11

さくら、散る 後編

「黒吉」


 しばらく桜の木にもたれて時間を潰し、東の空が明るみはじめた頃に私はカラスの名前を呼んだ。

 呼ばれたら分かると彼は言っていたけれど、本当に分かるのだろうか。

 ドキドキしながら反応を待った。名前を呼んでから10分くらいして、空からカラスが下りてくる。


「意外と名前を呼ぶのが早かったな。なんだ、もう寂しくなったのか?」


 黒吉はそういうと、お化けさんの木の上に止まった。


「黒吉こそ。飛んで来たってことは、もしかして近くに居てくれたの?」

「――たまたまだ。偶然この近くを飛んでいたときに、お前の声が聞こえただけ」


 黒吉はぶっきらぼうにそう言ったけれど、私は彼の言葉を自分の都合のいいように解釈することにして、小さく笑った。


「私、決めたよ。お化けさんに力を返す」

「……それだと、咲良が消えることになるぞ」

「うん、分かってる」

「分かってない。桜はきっとそんなことを望まない。消えないで欲しいと思ったから、桜はお前に力を渡したんだろう」


 黒吉の言葉に私は頷いた。

 そんなこと、分かってる。お化けさんは優しいから、きっと私が力を返して消えたって知ったら悲しんでくれるのだろう。


「幽霊としての生は嫌か?」

「そうだね。普通の人達と切り離されて、違う流れで生きるのは寂しいって思う。だけどそれ以上に、私はお化けさんの桜が二度と咲かないのが嫌なんだ」


 花も葉も生えない、寒々しいお化けさんの木を見上げながら私は言った。


「お化けさんが私に消えないで欲しいって思ったみたいに、私だってお化けさんに消えないで欲しいんだよ」

「代わりに自分が消えてもか?」

「私が生きていたのなら、きっとそこまで思えなかったかもしれない。だけど、私は死んじゃったんだよ」


 どれだけ理不尽でも、生きていたいと思っても、私はもう死んでしまったのだ。


「私は多分、幽霊としてずっと生きるのが辛くなるって思うの。だったら、お化けさんが生きてくれた方が良いなって」

「……どうしてもか?」

「どうしてもだよ」


 私が考えを変えないと分かると、黒吉はもの悲しげにカァと鳴いた。


「まぁ、与えられた命をどう使うかはお前の自由だ。桜をよみがえらせたいと願うなら、仕方がないことなんだろう」

「力を返すのって、どうすれば良いの?」

「簡単だ。身体の一部分を接触させて力を流し込めばいい。力の動かし方はもう分かるだろう?」


 私は頷く。身体をめぐる血のような流れ、これがきっと力なのだろう。

 この力は私の意思に従って動く。外に出すこともできそうだった。


「この力を全部流し込めば、お化けさんは甦る?」

「ああ。だが、代わりにお前は消える」

「すぐに消えちゃうの? できることなら、少しだけでもお化けさんと話したいんだけど」


 お化けさんには言いたいことがたくさんあった。

 助けようとしてくれてありがとうって気持ちや、せっかくの命を受け取れずに返してしまってごめんなさいって気持ち。

 10分だけでもいい。できることなら、消えてしまう前にお化けさんに話したい。


「それは――まぁ、無理だな。桜を元の状態に戻すなら、お前の力を使い切らないとどうにもならないだろう」

「そっか、無理なんだ」

「桜と会話することは二度とできない。それでも、お前は力を桜に返すのか?」


 黒吉の声は、できれば止めてほしいと言っているように聞こえた。


「もしかして、私が消えるのを悲しいって思ってくれてる?」

「――馬鹿を言え。ただ、せっかく名前を教えてやったのに、馬鹿なことをすると思っただけだ」


 黒吉は拗ねたように横を向いた。


「色々と協力してくれてありがとう、黒吉。あなたに何も返せなくてごめんなさい」

「ふん。最初から何かしてもらえるなんて、お前に期待なんてしていない」

「黒吉は親切な妖怪だね」

「咲良は嫌な幽霊だ。やるなら、とっととやれよ。見届けてやる」


 黒吉の言葉に私は頷いて、お化けさんの木にそっと触れた。

 どうか、お化けさんが元気になりますように。

 私の命が、力が、お化けさんの中で生き続けますように。

 そんな願いを込めながら、私はそっとお化けさんの木にキスをした。

 お化けさんが私にしてくれたみたいな、温かいおまじないみたいなキス。


 唇から温かいものがどんどん抜け落ちていくような感覚がある。

 この感覚には覚えがある。私が殺されたあの時、身体の中から血液がどんどん零れ落ちて行ったあの感覚に似ている。私の命が失われているのだ。

けれども、あの時みたいに怖いとは思わなかった。無駄に流れ落ちるわけじゃない。私の命がお化けさんの中に溶けて生きるのだ。

 温かいものが零れて行って、身体がどんどんと冷たくなっていくような感覚がある。

 目の前が少しずつ暗くなっていく。

視界が真っ黒に染まっていって、何も見えなくなっていった。


 私、このまま消えてしまうのかな。

 あれだけ消えるのが怖かったのに、不思議と恐怖は無かった。

 だけど、ただ、お化けさんにもう会えないのが心残りだ。


 せめてひと目――最後に、お化けさんが見たかったな。


 思考に霞がかかっていく。どうしようもない睡魔のようなものが思考を奪い取っていく。

 このまま消えてしまうのだと思った瞬間、じんわりと温かいものが私の中に流れ込んできた。

 真っ暗だった視界が色を取り戻していく。身体に感覚が戻ってきて、私の肩のあたりに何かが乗っているのが分かった。


「黒吉……?」


 私の肩を黒吉の足が掴んでいた。そのあたりから、温かいものが流れ込んでくる。


「俺は桜と違って命を犠牲にしてまでお前を生かしたいとは思わない。これは、ちょっとだけサービスだ。精々もって10分だろうが、少しだけお前に時間をやるよ」


 それだけ言うと、黒吉は私の肩から爪を外した。少しだけよろけながら、黒吉が地面へと着地する。


「それじゃあな、俺はもう行く。あとは精々、好きにしろ」


 黒吉はそれだけいうと、羽ばたいて空へと消えていった。その背に向かってありがとうと叫んでから、私は正面を向いた。

 お化けさんの木には、いつの間にかみずみずしい葉が茂っていた。これから夏の陽光をたくさん受けるための、生き生きとした若草色の葉だ。力強い生命の息吹を感じる緑。


 白い桜の花も綺麗だったけれど、この葉桜も綺麗だな。

 

 そう思った瞬間、頭がくらりとした。力が足りていないのだろう。

 貧血のようにふらついた背を、そっと誰かが支えてくれた。


「咲良、どうしてこんなことをしたの」


 背後から私を支えてくれたのはお化けさんだった。ずっと見たかったお化けさんが、困ったような顔をして私を支えてくれていた。


「良かった。お化けさん、元に戻れたんだ」

 

 私は嬉しくて笑ったけれど、お化けさんは悲しそうに表情を歪めた。


「良くないよ。咲良が消えてしまいそうだ」

「私は良いんだよ。そうなるようにお願いしたの」

「どうして?」

「お化けさんと同じだよ。お化けさんに消えないでいて欲しかったから」


 私はお化けさんに身体を支えられながら、彼の頬に手を伸ばした。さらりとしたお化けさんの白い髪が私の手の甲を撫でる。


「僕だって、咲良に消えて欲しくない。咲良は言っていたじゃないか。消えたくない。友達が欲しいって」

「うん、私は友達が欲しかった。だけどね、それ以上に友達を――ううん、好きな人を大切にしたいんだよ」


 お化けさんを犠牲にしてまで残りたいわけじゃなかった。

 そういうと、お化けさんはますます顔を歪めた。


「僕だって君を大切にしたい」

「もう十分大切にしてくれているよ。お化けさんのおかげで、私、たくさん救われた」


 私は無意味に生きて、無意味に死んだ。

 何も残せずにただ消えていくだけだった私の魂を、お化けさんが救ってくれたのだ。


「お化けさんは私と友達になってくれた。それだけじゃなくて、恋をするっていう感情も教えてくれた。死んでしまってお化けさんに会ってから、温かい気持ちをたくさんもらえたんだ」

「そんなの、これからもっと知れるよ。君はもっと幸せを知るべきだ。友達だってきっと他にも作れる。僕はもう十分に生きたんだ。だから、これからは僕の代わりに咲良に生きて欲しかったのに」


 お化けさんの言葉に私は首を左右に振った。


「ダメだよ、私は人間だもん。お化けさんみたいには生きられないよ」


 死んでしまってから幽霊として永らえるのは、私には辛いことだ。

 私の生は終わったのだ。どちらかが生きるなら、それはお化けさんであるべきだ。


「お化けさんにたくさんお礼を言いたかったのに、勝手に消えてしまうんだもん。ひどいよ」

「咲良」

「私を助けてくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。愛してくれてありがとう」


 私の言葉を聞いて、お化けさんはくしゃりと顔を歪めた。泣き笑いのような表情だった。


「僕は咲良に幸せになって欲しかったんだ。ひとり裏庭で泣いている君を見てから、ずっとそう思っていた」

「私は幸せだよ。お化けさんに優しい気持ちをたくさん貰えたから」

「そんなの、全然足りないよ」

「そうかもしれない。だけど、これ以上はもう良いんだ。これで私は満足だから」


 欲を言えばもっとお化けさんと一緒にいたい。

 だけど、それは叶えられないから。

 どちらかが消えてしまうのなら、それは私が良い。


「君が生きるために消えるなら、僕はそれでよかったんだ」

「私もだよ。私が消えてもお化けさんが生きている。お化けさんの中に私がいる。そう思ったら、消えるのがそこまで怖くなくなったの」


 私の命を、力を、魂を食べたお化けさんが生きていく。命を繋いでいくのだ。

 何も残さず消えるわけじゃない。お化けさんの中に私は残る。

 

「お化けさんにお願いがあるの」

「なに?」

「名前をつけさせてほしいの。まだ、無いんだよね」


 お化けさんは前に、消えてしまうから名前は必要ないって言った。

 あの時からきっと、お化けさんは私に命をくれるつもりだったのだろう。


「僕に名前を? 咲良がつけてくれるの?」

「うん。あんまりセンスが良くないかもしれないけど。何かをお化けさんに残したいって思ったの」

「ありがとう。君が名付けてくれるなら、どんな名前でも嬉しいよ」


 お化けさんの言葉に私は苦笑した。本当に変な名前を口にしても、お化けさんなら受け入れてくれそうだ。


逢花(おうか)はどうかな」

逢花(おうか)?」

「うん。母さんがね、桜はすぐに散ってしまうけれど、春になれば毎年花を咲かせる強い木だって言っていたの。私も辛いことがあっても、また桜みたいに花を咲かせることができるようにって。だから咲良って名前を付けたんだっていってくれたの。だからね……私は消えてしまうけど、きっとまたいつかお化けさんに逢える気がするんだ」


 消えてしまったその後は、どうなるか知らないってお化けさんも黒吉も言っていた。

 転生なんて無いのかもしれない。ただ消滅するだけなのかも。

 それでも、誰にも先が分からないってことは、信じる余地があるってことだ。好き勝手な願望を抱いても良いはずだ。


「また逢おうよ。きっと私は覚えていないだろうけれど、いつか、生まれ変わって逢いに来るよ」

「僕はどうやって君を見つければいいの?」

「直感だよ。あなたがこの人だって思ったのが、きっと次の私だよ」


 そんな都合よく行くはずがないって、本当はわかっている。

 だから、お化けさんが見つけたその人が、本当は私じゃあなくてもいい。

 だけどいつか、お化けさんがそう思える人に逢えると良いなって、そう願うんだ。


「本当に? 咲良はまた僕に逢いに来てくれる?」

「うん、きっと」

「絶対だよ。君を見つけるまで僕は生き続けるから。だからいつか、必ず僕の名前を呼んで」


 お化けさんが泣き出しそうな顔で私の手を掴む。少しずつ、身体から力が抜けていった。

 黒吉がくれた時間が終わろうとしているのだ。


「咲良、嫌だよ。まだ消えないで!」


 お化けさんが繋ぎ止めるように私の手を握る。その掌から少しだけお化けさんの力が流れ込んできて、私は拒絶するように首を左右に振った。


「ダメだよ。私に力を流さないで」

「だけど」

「生きてまた花を咲かせて。いつかまた逢える日まで。ね、逢花」

「……咲良」


 ぽたぽたと、私の頬に涙が落ちた。

 その涙を拭おうと手を伸ばそうとしたけれど、もう腕が動かなかった。

 意識が闇に飲み込まれていく。お化けさんの姿がもう見えない。


 ああ、どうか、叶うならばもう一度あなたに――――――――。



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