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さくらを食べる、怪物  作者: 大正マツ
1/11

裏庭のお化けさん 前編

 咲良(さくら)ちゃんって地味すぎ、空気みたい。


 そんな風に言われたのは小学校のとき。

 誰に言われたのかは忘れちゃったけど、くすくすと馬鹿にしたような笑い声は中学3年生になる今でも耳の奥にこびりついている。


 その言葉の通り、私は空気なんじゃないかって時々思う。

 中学3年生の春――昨日から始まった新しいクラスでも、私はいない者として扱われていた。






「ねぇねぇ、聞いた? この学校出るんだって!」

「聞いた聞いた。白い学ランを着た男の子の幽霊でしょ?」

「違うって。女の子の幽霊だって私は聞いたよ」

「男の子の幽霊だって。6組の吉田さんが見たって言ってた」


 昼休み。一日の中で最も長いこの休み時間が私は苦手だった。

 教室は楽しそうな声であふれている。先日、新しいクラスを迎えたばかりの生徒達は仲間作りに余念がない。あぶれないように、はみださないように、教室内の力関係を伺いながら友人という名の同盟を組んで、次々と結束を固めている。

 学校に幽霊が出るとか隣のクラスの尾崎くんに彼女ができたとか、嘘か本当か分からない噂話が飛び交っているけれど、私はその輪に入れなかった。

 浮かれた空気の中で、私はひとり自分の席でうつむいて時間が過ぎるのを待っている。

 残念なことに時計の針はまったく進んでくれない。

 誰も私のことなんて気にしないって分かっているけど、楽し気な空気に耐えられなくなって私は席を立った。

 クラスメイトの笑い声から逃げるように教室を出て、ひとりになれる場所を探す。けれども廊下も階段の踊り場も談笑する生徒の姿があって、私の居場所なんて見つからない。


 あそこだ。きっと、あそこが良い。


 下足室から運動靴を持ってきて、私は通用口から学校の裏庭に出た。

 小さな通用門の隣にあるこの場所には、植え込みと桜の木があるだけだ。ベンチもなく花も植えられていない寂しい裏庭。賑やかな学校の中で、ぽつんと忘れられたようなこの場所は私のお気に入りだった。教室からも購買部からも遠くて、下靴に履き替えなければ来られないので、生徒がほとんど近寄らないのだ。


「まだ散ってないんだ」


 ひっそりと咲く大きな桜を見上げて私は呟いた。

 寂れたこの場所の唯一の見どころはこの立派な桜の木だろう。幹はしっかりと太く、ボコボコとした根が地面を這っている。花弁はどこまでも白くて、抜けるような春の青空に美しく映えていた。

 表門から校舎に続く道にはたくさんの桜が並んでいる。だけどもこの桜は、一本だけ離れてこんな寂しい場所に植えられていた。そのはみ出した感じに私は共感を覚える。

 この桜の木が私は好きだった。

 見る人が少なくて、ひとりぼっちでも、綺麗な花を咲かせる桜。なんだか、ひとりぼっちの私を励ましてくれているような気分になれるのだ。

 昨年にこの桜を見つけてから、ここは私のお気に入りの場所だった。

 

「ああ、やっと会えた」


 私が桜に見入っていると、いきなり背後から声をかけられた。

 驚いて振り向くと、そこには一人の男の子が立っている。


 白い、白い、とにかく白い少年だった。


 うちの中学の制服ではない真白の学ラン。白ランを採用している学校なんてこの辺りには無かったはずなのに、どこの制服なんだろうかと疑問を抱く。服装だけでも奇異なのに、彼は頭髪も白い。真白な白髪だ。目の色も薄い灰色で、肌だって抜けるように白い。もはや白くない所を探すほうが難しいくらい何もかもが白い少年が、いつのまにか私の背後に佇んでいた。


「っ……!!」


 その男の子を見た瞬間、私の呼吸が凍り付いた。


『ねぇねぇ、聞いた? この学校出るんだって!』

『聞いた聞いた。白い学ランを着た男の子の幽霊でしょ?』


 盗み聞いていた噂話を思い出す。

 ――白い学ランを着た男の子の、幽霊!


 彼はまるで生気の感じられない足取りて一歩私に近づくと、ふんわりと笑った。


「良かった。君を探していたんだ、咲良」


 名前を呼ばれてドキンと胸が跳ねる。

 どうして名前を知っているのだとか、本当に彼は幽霊なのかとか、たくさんの疑問が溢れてくる。だけど。


「きゃああああああああああっ!!!」


 疑問よりもまず、私の口から零れたのは悲鳴だった。

 だって、だって、幽霊だよ!?

 呪われちゃったらどうしよう!


 怖くなった私は、慌てて裏庭から逃げ出したのだった。

 




 裏庭から通用口を潜って校舎に逃げ込んで、私は息を整えた。

 ああ、怖かった。まさか幽霊を見ることになるなんて。 

 というか、さっきの人は本当に幽霊だったのかな?

 足は……あったよね、うん。 変な制服で白髪だったけど。

 

 私はさっきの男の子の姿を思い浮かべた。

 優しそうな雰囲気の人だった。

 びっくりして、思わず逃げてきちゃったけど。

 でも、私のこと咲良って名前で呼んでいた。探していたって。

 どういうことだろう。会ったこともない人なのに。

 幽霊に名前を知られているなんてゾッとしない、そのはずなんだけど……。


 私は背後を振り返った。裏庭へと続く道にさきほどの少年の姿はない。

 私のこと、追ってこなかったのかな。探していたって言ったのに。


 なんだか少し胸がザワザワした。

 さっきの人は、いったい何だったんだろう。本当に幽霊だったのかな。

 非日常の到来にざわめく胸を落ち着かせていると、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。


「あ、教室戻らないと!」


 私は急ぎ足で廊下を歩いた。地面を蹴る足が軽い。

 こんなにもドキドキした昼休みは久しぶりだった。学校で誰かに話しかけられたのも。


 優しい声だったな。

 怖かったけど――逃げちゃったけど。でも、また話してみたいかも。

 探してたってどういうことだろう。どうして私を知っていたんだろう。

 彼は本当に幽霊だったのかな。白い学ラン――クラスメイトが噂をしていた特徴と一致していたけれど。


 白い学ランの幽霊さん。あの桜の下に行けば、また会えるんだろうか。

 ちょっと怖いけど、もう一度会ってみたいかも。

 何者なんだろう、気になるな。







 教室では、私は相変わらず空気だった。

 私から誰かに話しかけることができたら何かが変わるのかもしれないけど、声を出す勇気が出ない。友人を作れない。

 新しいクラスになったら大丈夫かと思ったけれど、やっぱり駄目だった。

 

『話しかけないでよ。咲良と友達だなんて思われたくない』


 振り払われた手。冷たい視線。

 誰かに声をかけようとしたら、どこからかあの時の冷たい声が聞こえてきて私の喉を潰すのだ。

 だから私は空気になった。存在を消して、ここにいないみたいにふるまう。

 そうしたら誰も私を気にしない。目立たなければ、存在を殺せば、何も言われない。

 

 だけど、やっぱり寂しいんだ。

 私だって友達が欲しい。昼休みに誰かと雑談をして明るい声で笑いたいんだよ。

 



 放課後。全部の授業が終わってから、私はまたあの裏庭へと足を運んだ。

 私は部活に入っていないので、授業が終わればフリータイムだ。

 授業から解放された生徒達が好きに動き回るこの時間でも、やっぱり裏庭に人はいなかった。

 この場所はいつだってそう。みんなから忘れられたみたいに人がこない。

 雑草を踏みしめておっかなびっくり辺りを見回してみたけれど、あの白い学ランの幽霊さんはいなかった。


 ――夢か幻だったのかな。


 ちくりと胸が痛む。逃げ出したくせに、会えなくて残念に思うなんて変なの。

 幽霊なんて怖いのに、それでも気になる。

 あの人は私に笑いかけてくれた。探していたって言ってくれた。

 そんな風に私に声をかけてくれる人は、この学校にはいないから。

 だからまた会いたいって思うのかもしれない。幽霊なのかもしれないって思っても。

 

 私は桜の木を見上げた。太くて逞しい大きな木だ。

 桜のピークはもう過ぎて他の桜は散り始めているのに、この桜だけは開花するのが遅かったのか満開だ。

 吸い込まれそうなほどに白い桜の花を見上げていると、また、不意に背後から声をかけられた。


「桜、好きなの?」


 慌てて後ろを振り返ると、昼休みに見た幽霊さんがいつの間にかそこに立っていた。

 いつからそこにいたのだろうか。土を踏む音や誰かが歩く音なんて全く聞こえなかった。

 幽霊さんは相変わらず真っ白で奇抜な外見をしている。

 会いたかったはずなのに、突然声をかけられると思わず逃げ出したくなってしまう。


 だ、駄目だ。逃げちゃ駄目。

 私はこの人に会いに来たんだから。


 暴れだしそうな心臓を落ち着けようと、息を大きく吸い込んだ。

 質問をされたのだ。今、桜が好きかって聞かれた。

 桜、桜。桜は大好きだ。私と同じ名前の花。


「ひゃ、ひゃくらは、好きれす!」


 緊張から、思わず声が裏返ってしまった。

 ――恥ずかしい。

 私が顔を真っ赤にしていると、幽霊さんは驚いたように目を瞬いて、それからぷっと噴き出した。


「くくく…そっか、桜、好きなんだ」


 滅茶苦茶な言葉だったけれど、一応、意味は通じたらしい。

 クスクス笑う幽霊さんの声に嫌な響きは混じっていなかった。

 笑われるのは嫌いだったけど、私を嘲る笑いじゃあないって分かって、少しだけ心が落ち着いた。


「僕も桜は好きなんだ。昼間もここにいたよね。桜を見に来たの?」


 幽霊さんは私に問いかける。

 答えないとって思うけど、緊張してしまって上手く言葉が紡げない。

 私はいつもそうなんだ。人と話しをするのが苦手で、思ったことが上手く伝えられない。

 早く返事を返さないとって思えば思うほど、言葉が絡まって出てこないのだ。


「あ、あ、あの」

「うん」

「あの、その……こ、ここは、静かだから、です」


 途切れ途切れになりながら、私はどうにかそれだけ言葉を吐き出した。

 ああ、こんなんじゃあ意味が分からないよね。

 この場所はとても静かだから。人の目が気になるから、人のいない場所を求めてここに来る。

 そう言いたいのに、まともに話せない自分が嫌になる。


「ああ、そっか。この辺りは滅多に人が来ないもんね。ひとりになりたかったの?」


 ぴたりと気持ちを言い当てられて、私の目がまん丸になった。

 すごい。幽霊さんってエスパーなのかな。

 幽霊さんの言葉を肯定するつもりで、私はコクコクと首を縦に何度も振った。


「それじゃあ、僕が声をかけて邪魔しちゃったかな。驚かせちゃったみたいだし」


 幽霊さんの言葉に、今度は首を左右にふった。

 たしかにすっごくびっくりしたけど、逃げちゃったけど、嫌じゃなかった。


「あ、あの」

                

 私はどうにか勇気を振り絞って、幽霊さんに声をかけた。


「ひ、昼は……に、逃げちゃって、ごめんなさい」


 たとえ幽霊であっても、声をかけた人間にいきなり逃げ出されたら嫌だと思うのだ。

 申し訳なく思って私がなんとか謝罪すると、幽霊さんはきょとんとした顔をして、それからもう一度笑いだした。

 どうして笑われたのか分からなくて、私は首をかしげる。

 なにか変なことを言っちゃったのかな。やっぱり話すのって難しい。


「ごめん、ごめん。悲鳴をあげられたり、逃げられることは想定していたけど、その後に謝罪されるなんて予想外だったから」


 幽霊さんの言葉に、私はしゅんと眉毛を下げた。

 悲鳴をあげられたり、逃げられることは想定していたんだ。それってやっぱり幽霊だから?

 でも、幽霊だとしてもそんな風に怖がられたら悲しいよね。


「ごめんなさい」

「今度はどうして謝るの?」

「その、悲鳴もあげちゃったから」

「仕方がないよ。僕も驚かせちゃったからね」


 おあいこだよといって、幽霊さんはにっこりと笑った。

 私は不思議な気持ちで幽霊さんを見る。全身が真っ白で、妙な服を着た幽霊さん。

 白い学制服を着た幽霊が出るのだと、学校の噂になっていた。


「あの、ゆ、幽霊さんは、幽霊なんですか?」


 私の問いかけが突然だったのか、幽霊さんは目を丸くした。


「幽霊さんって――もしかして、僕のこと?」

「え、え、あ、ち、違いましたか?」


 どうしよう。もしかして幽霊じゃなくて人間だったの?

 たしかに髪の色や目の色は変わってるけど、それ以外は普通の人みたいにも見える。


「幽霊じゃあないよ」


 幽霊さんのことばに、私はほっと息を吐き出した。


「人間でもないけど」

「えっ!?」


 吐き出した息が途中でとまる。

 人間じゃあないって、どういうこと!?

 私は一歩後ろにさがる。人間でも幽霊でもないってことは――


「お、お化け、とか?」

 

 しまった。お化けだって幽霊とあんまり変わらないよね。

 そう思ったけれど、私の言葉に幽霊さんはニヤリと笑った。


「お化けが一番近いかも。――僕はね、桜なんだ。桜のお化け」


 幽霊さんは言いながら、桜の木をコンコンと手の甲で叩いた。

 裏庭にぽつんと植えられている、立派な桜。


「桜のお化け?」

「そう。この桜の木が僕の本体。桜の木が化けた姿。そう言ったら、信じる?」


 試すような口調で問いかけられて、私はううんと唸った。

 幽霊とかお化けって、あまり現実的じゃあないって思う。

 だけど、髪や目が白いからかな。幽霊さん――じゃあなくって、お化けさんが人間じゃあないっていうのは、信じてしまいそう。


「桜のお化けだから白いの?」


 私の問いかけに、お化けさんはまたしても目を瞬いた。


「ああ、うん、そう。白は僕の色だからね」


 お化けさんはそう言うと、大きく枝を伸ばした桜を見上げた。真白の花が綺麗に咲き誇っている。

 風にそよそよと靡くこの美しい木が化けているなんて、とっても不思議。


「綺麗な色だね」

「信じるの?」

「なにを?」

「僕がお化けだっていうこと」


 お化けさんの言葉に私は首を傾げた。


「もしかして、嘘なの?」

「嘘じゃあないけど。でも、普通は信じないでしょ」


 お化けさんは呆れたように肩を竦めた。


「普通とかよくわかんないよ。だって、私、たぶん普通じゃあないし」


 普通だったらもっと上手に生きられるはずだ。

 友達だって作れるし、クラスで浮いちゃうこともない。

 だけど私はトロ臭くて、口下手で、何をやっても普通にできない。


「お化けさんが何だっていいよ。こうして、私と話をしてくれるもの」


 この学校で私はどうしようもなく一人だった。

 教室の端で置物みたいに座っているだけの存在。


「あ、でも、呪われたりするのは嫌だな。お化けさんは呪ったり、祟ったりするの?」

「呪ったりはしないよ。祟ったりも。――多分ね」

「多分なんだ」


 私がいうと、お化けさんは悪戯っぽくニヤッと笑った。

 その顔に、なんだか胸がどきどきする。

 お化けや幽霊なんて、ちょっと怖いから、こんなにどきどきするのかな。

 もしかしたら、久しぶりに同じ年くらいの子とお話したからかもしれない。

 こんなに声をだして話をしたのなんて、いつぶりだろう。楽しいな。


「――あ、あの、またここに遊びに来ても良い?」


 なけなしの勇気を振り絞って私がそう言うと、お化けさんは優しく笑ってくれた。


「もちろんだよ、咲良。僕は君の友達だよ。だから、いつだって君を歓迎する」

「友達になってくれるの?」


 私の問いかけに、お化けさんはニコリと笑って首を縦に振った。



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