闇に溶けるように
―上空 夜中―
始めよう――偽りが真実になる為の準備を。
(これを最後の呪術にしよう……もうこれ以上、自分自身の寿命を削ったりなど……)
僕は上空から、街全体を見下ろす。このどこかに、あの目のやり場に困る女性店員がいた店や通い慣れた骨董品屋がある。
わざわざ僕がここにいる理由――それは、僕がそこで物を買ったという証拠を消す為だ。僕が般若の面をつけ、紫のカツラをつけ、侍の格好で人々の前に姿を見せればどうなるか……考えてみる。
あまりに強い特徴と癖。般若やカツラなどを取り扱っている店はどこかと探されてしまえば、僕へと繋がる手がかりを見つけられてしまうかもしれない。それだけは、何があっても絶対に避けなくてはならない。
(クロエ……邪魔をしないでくれよ)
近くにクロエがいるのは分かっていた。もしかしたら邪魔をしてくるかもしれない、そう思っていたのだが今の今まで何もしてこなかった。瞬間移動を使って見られないようにすることも考えたが、いざという時に使えなくなったら困るし、体調の面も気にかかる。
だから、僕は堂々とやっていた。クロエの使命とも直接的に関係のないことだし、邪魔をする必要もないだろう。
(これは、僕なりの……正義だ)
そして、僕は自身の指の皮を噛み千切って、血を出そうとした時のことであった。
「チッ」
「邪魔を……するのか」
僕は気配を感じて、咄嗟にクロエの使った何かしらの魔法をシールドを張って凌いだ。攻撃的な魔法ではない、つまり戦う意思はないということだ。
「するわ。巽君は、巽君自身を傷付けようとしている。巽君に傷が入ることは許されない」
「僕の体のことだ。赤の他人に、そんなことをとやかく言われる筋合いはないよ」
僕は、後ろにいるであろうクロエにそう言った。
「フン。赤の他人……これだけ、長い時間を一緒に過ごしておきながら?」
「君は家族でも友人でも、恋人でも何でもないからね。ただの同居人であり、僕の監視者でしかない。ねぇ、これ以上君と話して時間を無駄にしたくないんだけど?」
「あら奇遇。私もこれ以上、無駄話と無駄な行為をして時間を無駄にしたくないんだけど?」
(駄目だな、これ。何を言っても聞いてくれそうにはない。ならば……仕方がない)
限られた瞬間でのみ、呪術は強い効力を発揮する。僕はその時を待っていたのに。ここで、クロエの相手をし続けてその瞬間を逃す訳にはいかない。これだけ大規模な呪術……失敗する訳にはいかないのだ。
「時間がないって……邪魔をするなって言ってるだろ! あまり、僕を……舐めないでくれ!」
僕がそう叫んだ時、静かで穏やかだった周辺はまるで嵐でも来たかのように風が吹き荒れ始めた。
「くっ……!」
僕は知っている。今のクロエは、僕に何をされようと武力的な方法や傷が残るような方法で魔法などが使えないということを。確かな情報ではない。時を過ごして感じたことだ。
「僕は、やらなきゃいけないんだよ!」
怒りからか焦りからか、体の中から大きな力が湧き上がって来るのを感じた。感じると同時に、さらに風が強くなる。この魔法を使っている僕が立っているのも、苦しくなるくらいだ。
「うううっ! いやあぁあぁっ!」
そして、クロエの声と気配が遠退いて行くのが聞こえた。
(やっと……吹き飛んだか)
風を弱めて、再びクロエが来てしまうのも困る。僕は嵐のような風に耐えながら、自分の指の皮膚を噛み千切った。
「我が不利になる全ての証拠を消せ! 我が血の下に!」
滴り落ちた僕の血は、強い風が吹き荒れる夜の闇の広がるように溶けていった。




