恋の基準
―レストラン 朝―
その後、僕は仕込みを不慣れながら手伝うことになった。きっかけは、僕の瞳がやる気に満ちているとトーマスさんが指摘した所からだった。
「いい感じだ。そうそう……そういう感じで円を描くように混ぜるんだ」
「円を描くように……」
言われた通り、僕は円を描く。混ぜる度に、パンプキンスープのいい香りが僕の鼻を撫でる。だが、今はその香りで空腹になることはない。むしろ、嘔吐してしまいそうだ。僕は鼻呼吸をやめて、口で小さく呼吸することにした。
「優しく混ぜて、もう少し温めたら完成だ。タミ、結構上手じゃねぇか」
「……丁寧に教えて頂いているので」
初めて料理に関わることをしたが、トーマスさんが分かりやすい言葉で教えてくれるのでやりやすかった。ただ、見られているので少し緊張する。
「料理が出来る男は、間違いなくモテるからな。俺が保証してやる」
「では、デボラさんとの出会いのきっかけは料理ですか?」
「そうだ。俺が長い修行を終えて、自分の店……今の店を持って経営し始めた頃にあいつに出会ったんだ。まぁ、あの頃は綺麗でなぁ……街でも評判の娘だったよ。今じゃあ、俺もあいつもすっかりと変わり果てたが……お互いにモテたんだぜ? 俺の店には、開店前から街の女達が列を作ってな。だが、俺はそいつらに興味なんぞなかった。ただの客でしかなかった。でも、デボラは違ったんだ。俺にとって、特別な客だった」
トーマスさんは頬を触りながら、懐かしそうに語る。
「あいつが来てくれる時間が、楽しみでならなかったもんだ。本当、若いっていいよなぁ……タミ、お前は恋してるのか?」
その突然の問いかけに、僕は思わずスープを混ぜる手をとめてしまった。
「こ、恋ですか?」
「おうよ、ちょうどお前くらいの歳だったか……デボラとの出会いは。出会いの一つや二つ、お前にもあるだろ?」
「昔……いました。今は、まだ……」
恋の基準は、僕には分からない。何故なら、幼い頃から僕には結婚する相手が用意されていたから。しかし、それに抗おうなどと思ったことはない。むしろ、出会えたことに感謝していた。それが用意される以前に、仕組まれていたものだったと知った今でも僕は彼女を愛している。
だが、もう――彼女はこの世にはいない。僕のせいで。僕は、愛する人でさえもこの手で消した。悔やんでも悔やみきれない。
「なんか、並々ならぬ事情がありそうだからこれ以上この話をするのはよすか……っと、もう十分温まったな。よし、そこ回して火をとめろ」
「は……はい」
僕は慌てて、コンロのスイッチを回して火をとめた。




