弓張月
―闘技場 夜―
その姿は、まさに獣と呼ぶに相応しい。少し前までの知的さは、微塵も感じさせない。
「どうして! どうして私を置いていくんですかっ!」
悲痛な声で、雪選手は何度もゴンザレスに殴りかかる。
「さぁ……邪魔だからかもなぁ」
薄ら笑いを浮かべ、それを全て受け流す。
「私だって、私だってぇぇっ!」
既に彼女の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
「いいねぇ、いいねぇ! 普段、相当に自分を押し殺してるんだろ? もっと爆発させちまえよ」
雰囲気は、まさに異様。もうどちらも狂っている。
「行かないで、行かないでぇぇぇぇっ!」
「あぁ、行かないぜ。どこにも。ずっと、ここにいてやる。お嬢さんを半殺しにするまではなぁ!」
手首を掴んだゴンザレスは、容赦なく彼女を投げ飛ばした。
「ぎゃぁっ!?」
地面に叩きつけられ、彼女は叫び声を上げる。
「正気を失っている雪選手、攻撃に一貫性がなく、防御も脆い! 先ほどまでの雪選手を、いとも簡単にこの有様にしてみせるとは……なんて恐ろしい術なんだ! しかし、この術を乗り越えなければ勝利などありえない!」
「頑張れー!」
「あんなでも、永二もすげぇ奴なんだ! そいつに勝ったって所を見せてくれよー!」
皆、彼女の再起を願っていた。当たり前だ、こんな一方的で無惨な試合は見たくない。もっと熱く狂いたくて、強さをその目に焼きつけたくてここに来ているのだから。
「探さないから……貴方が、私を……見つけて」
彼女はゆっくりと起き上がり、何かを探るようにきょろきょろとする。
「私だって、出来るんです」
そして、生気のない目でゴンザレスを見つめて、ふらふらと立ち上がる。
「痛みは分かち合うものでしょう? 闇夜を照らすは、満月。我は、それを支配する者。力を我が物に!」
直後、彼女の体をぼんやりとした光が包み込む。
「……っ!?」
それを見て、驚かずにはいられなかった。何故ならば、その光は惺斗の部屋で見たものと全く同じだったから。
「美月、この光は?」
ここで使うものは、美月が網羅しているはずと尋ねた。
「……月術を発動させる時に光る。見たことなかったかしら。昔は幻想的だからって、それなりに使う人はいた。使える範囲が限定的だから、主流ではなかったけれどね。今では、あの既望教とやらのせいで使うのを避ける人が多い。このままでは廃れていくでしょうね」
(聞いたことはあったけど、僕自身も使ったことはない。あまり有名ではないものを、惺斗が使うとは思えない。まだ、魔法を使い始めくらいだし。現在の使い手が、既望教に関わる者ばかりとなると……ますます謎だ。関わる誰かが……惺斗に教えたのか?)
惺斗は、まだ独学出来るような年齢でもない。使いこなせるような技術力もない。月術と惺斗の接点があるとするなら、考えられるのは――かつて、既望教との関わりがあった玄兎だろうか。
「彼らは、それを使うのか?」
「えぇ、それで月術への偏見が強くなって。術に罪はないけど、あまりこういう場では使用は避けた方がいいと伝えておいたの。あいつの術のせいで、全く……ま、使ってしまったものは仕方ないわ」
現に、闘技場はざわついていた。司会の彼も、流石に戸惑ってしまっている。しかし、ゴンザレスだけは楽しんでいた。
「へぇ、驚いた。いいじゃないか。しかも、今日は満月か。絶好の月術日和ってね」
しかも、月術というのを知っていた。どうやら、月のあり方によって力が左右されるらしい。なるほど、だからあまり普遍的でないのだ。この世界の住人の僕ですらほとんど知らないというのに、流石は知りたがりだ。
「独り占めなんてしなくていいんです。ほら、私だって……これくらいのことは出来るんですっ!」
そう言うと、彼女の手には光り輝く月のような弓が出現する。言うなれば、弓張月だ。とてつもない力を感じる。そして、その弓を彼女は構え――ゴンザレスに向かって射るのだった。




