瞬殺
―闘技場 夕方―
「随分、力が入ってるみたいね。この試合に」
食い入るように見つめていた僕に、美月が茶化すように話しかけてきた。
「え……あぁ、随分と緊張する展開だからね。ねぇ、亜樹。君もそう思う……って」
態度に出てしまったことが恥ずかしくて情けなくて、誤魔化すつもりで亜樹に話しかけたのだが――彼女は口をぽかんと開けて、気絶していた。
「彼女なら、随分前に気絶してるわ。刺激が強過ぎたみたい」
「なんてことだ……! こんな間抜けな顔を、晒し続けていたというのか!?」
この顔は人として、女性として、女王として晒してはいけないものだった。
「大丈夫よ、私達のことなんて誰も見ていないもの。いつか起きるから問題ないわ」
「そうは言うけど――」
このまま放置しておいて良いものかと悩んでいると、司会の彼の声が僕を試合へと自然に引き戻した。
「倒れ伏す雪選手、ダメージが大きくて立ち上がれないかぁ!? このまま立ち上がることが出来ない場合、敗北が決まってしまう!」
彼女が、体中に傷を負っているのが分かった。氷片が尖っておらず、突き刺さらなかったことだけが不幸中の幸いだった。それでも、あの勢いで氷玉が当たったら痛いに決まっている。立ち上がれないのも無理はない。
「やはり、そう簡単には……」
「いいえ、彼女の勝利は、すぐそこにあるわ」
「え? でも、あの子は……」
何を根拠にそんなことを言っているのか、僕には分からなかった。そんな僕に対して、少し呆れ気味に言う。
「雪の実力はこんなもんじゃないわ。氷術が、彼女の専門じゃない。覚えたての術を試してみたいって言っていたから。もう済んだんじゃないかしら」
腕を組み、どこか誇らしげにすら見えた。
「まさか、そんな余裕があるとは到底……」
どこからどう見ても、窮地の状態に陥っていた。
「フハハハ! この程度などとは笑わせよってからに。哀れな小娘じゃ。すぽぉーつまんしぃっぷとやらに乗っ取って、ここは時間まで見守ってやろう」
相手の選手は豪快に笑い、自身の勝利を確信していた。だが、そんな彼を美月は一蹴する。
「余裕を見抜けない時点で、もう負けなのよ。常盤の足元に残ってる氷片を見てなさい。他の誰も使えない、彼女自身が生み出した術が見れるわ」
(美月にそこまで言わしめるなんて……)
「分かった」
僕は学ぶつもりで、ここに来た。楽しむ為じゃない。言われた通り、彼の足元に転がる氷片に集中した。
「――あと、十秒後に立ち上がることが出来なければ雪選手の敗北が決定!」
「「十、九、八――」」
司会に反応し、観客達は決着の瞬間に向けてカウントダウンを始めた。
(周囲は、もう完全に達人の勝利を確信している。でも、美月は真逆を言っている。適当なことを、こんな時に美月が言うはずがないし……一体、何が起こるんだ)
ここから逆転するのには、相当な手段が必要なはず。残された時間もごく僅か、奇跡みたいな逆転劇は起こるのかとハラハラしていた。
「「七、六、五――」」
時が流れるにつれて、ますます常盤選手の勝利を確信する雰囲気が広がっていく中――一瞬の異変を、目は見逃さなかった。
「ん……? なんだ、氷が少し光った?」
「良かった、その龍の目は節穴じゃないみたいね。ここからが、凄いの」
その美月の言葉通り、とんでもない展開が一瞬で繰り広げられた。さっきまでそこに倒れていたはずの雪選手の拳が、豪快に笑い続けていた常盤選手の顎を完璧に捉えていたのだ。
「がぁ……な、が……」
破壊的な力で吹き飛ばされた彼は、間抜けな声を漏らし口をぱくぱくとさせた後に動かなくなった。反射的に、審判が旗を上げたのが見える。あんなにも盛り上がっていた場が、嘘のような静寂に包まれた。皆、唖然としていた。
それを切り裂いたのは、司会の震え声。困惑しながらも、自身の役割を思い出して結果を伝えた。
「な、なんと……俺にも何が起こったのかさっぱりだが、さっきまでそこに倒れていたはずの雪選手が常盤選手をノックダウン! びくともしない常盤選手は、気絶している模様! 審判も旗を上げている!」
「「すげぇええっ!」」
その声でようやく我に返ったのか、観客達は悲鳴にも等しい大歓声を上げた。
「俺達は夢を見ているのか! こんな試合、生で見れちまうなんてヤベェ! 訳分かんねぇが、すげぇ! 司会やってて良かった! 最高だ!」
彼は立ち上がり、表情を崩さない少女に拍手を送った。それを真似るように次々と、観客も立ち上がり拍手をする。
「嘘だろ!? 俺の金が……」
「あんな子供が、達人を……震えてくるわ!」
闘技場では、平等に夢を見れる。関係あるのは、実力と瞬発力と運。時に、それは経験すらも凌駕する。
「ありがとうございました」
彼女は丁寧にお辞儀をし、拍手喝采を浴びながら檀上を降りていくのだった。




