二人の関係
―武蔵城自室 夕方―
「――そうか、そんなことがあったんだ」
亜樹の話を、僕は一通り聞いて心を痛めた。
「子供に求めても仕方ないって分かってるけど、それでせいちゃんが馬鹿にされるのも嫌なの……」
彼女は伏し目がちに、悔しさいっぱいに手を握り締めた。
「気付けなくて、ごめんね」
彼女の苦しみは、僕のわがままに起因する。僕には、どうしてもやりたいことがあった。その為に、彼女の生い立ちは必要不可欠だった。
「それでも、僕は亜樹を自由には出来ない……」
王には、何としてでも国を守るという義務がある。そして、僕には国のあり方を変えていきたいという願いがあった。その為の義務を果たす為、願いを叶える為の基盤作りを行っていた。
義務と願いの縁は浅からずあった。国を守る為には、変化に対して柔軟である必要があったのだ。様々な国との関わり合いの中で、今のあり方が正しいのかと思う民が増えた。その最たる例が、身分だった。常識として複雑に根付くそれを簡単に消し去ることは出来ないが、まずは垣根を越えていく姿を王である僕が示さなければならなかった。
「君が必要なんだ。何よりも、誰よりも」
ところが、僕に民にそこまで気を許せる人物はこの手に収まるほどしかいなかった。私的に関わったことが、ほぼなかったからだ。
それでも、のんびりと交流を深める時間もなく、僕はその中から当たることにした。そして、最初に思い当たったのが亜樹だった。
「最初は驚いたよ、情報量が多過ぎて。タミが巽で、王様だったなんて。しかも、急に結婚して欲しいって言ってくるとかさ」
彼女とは、僕が十九だった時に出会った。彼女の村で、血まみれになっている所を助けて貰ったのが始まり。身分は隠していたので、亜樹は本当に驚いただろう。所詮、その程度の関係で訪ねてくるとも思っていなかっただろう。
だが、僕は彼女に頼るしかなかった。僕にとって、彼女は希望の光だったのだ。首を縦に振ってくれない中、何度も訪ね続け、最終的に彼女が折れた。
「最初に思いついたのが君だった。本当に……それだけだった」
「君のことに対して、興味はない。ただ僕の理想についてきて欲しいとか、ふざけたこと抜かしてくるから頭の中で百回くらいぶん殴ったわ。しかも、しつこいし。交際説とかどうとかで新聞社も騒いで、周りにも迷惑かかったからしょうがなかった。てか、そういうの改めて聞いたらマジむかついてきたんだけど」
彼女は顔を上げ、僕を睨む。この形相を、いざ自分に向けられると少し体が震える。惺斗の気持ちが分かった瞬間だ。
「ご、ごめん……」
お互いにどうしようもなく、好意も愛情もなく婚姻関係を結んだ。偽りの夫婦を演じていた。
「でも、利用する為だけに近付いたはずなのに……気が付いたら、亜樹のことを想うようになってしまっていた。君との間に子供が出来て、本当に嬉しかった。だからこそ、より許せなくなった。何も知らないのに、君を侮辱する者達のことを」
この言葉に偽りはない。亜樹のことを近くで見て、近くで感じていく内にその魅力に惹きつけられた。夫という仮面は、いつの間にか僕自身の顔になっていた。要するに、信じられないくらい好きになっていたのだ。
「や、やめてよ。急にそんなこと言い出すの。そんなこと言って、機嫌取ろうとしても無駄なんだから」
顔を真っ赤に、恥ずかしそうに目を逸らす。この表情がころころ変わる様子も、また可愛いと思う。
「だから、これはお願いなんだ。これから、どんなことがあっても君の傍にいさせて欲しい。僕のことはどれだけ嫌いでもいい。願いとか理想とか、そんなの関係ないくらい僕は君のことを愛して――」
「うっさいっ!」
そう叫ぶと、彼女は僕に抱き着いた。そして、真っ赤な顔を上げて言った。
「……お母さんだって、愛してるから。同じ気持ちだから。自分だけだって思わないでよね」
初めての彼女からの愛の言葉に、僕は驚いた。知らなかった、惰性のわがままに付き合ってくれているのだと思っていたからだ。
「だから、頑張りたいの。お母さんのせいで、お父さんと惺斗が悪く言われるの嫌だから。でも、どうしていいのか分からないの」
僕は少し屈み、抱き締め返す。
「僕と一緒に考えよう。僕らは夫婦だ。共に――頑張るんだ」
窓から差し込む柔らかな夕暮れ時の日差しを、僕の背でそっと覆い隠した。




