怒ってる
―武蔵城自室 夕方―
僕は幼少期、親子としての関係を適切に築けず寂しい思いをした。だから、子供にはそんな思いをさせたくなかった。出来ることは少ないかもしれないけれど、親として家族として傍にいたい――なんて考えていたが、現実は甘くない。
結果として、育児はほぼ妻任せ。仕事が忙しいからと言い訳をするのは簡単だが、結局同じことを子供に返しているのだと感じて苦しかった。
(こういう時、こんな隙間時間でしか遊べないのが不甲斐ない。これが、せめてもの……)
「――川上から、どんぶらこ~どんぶらこ~と、なんと大きな桃が流れてきました」
「桃だー!」
惺斗は、すっかり絵本の世界に引き込まれていた。目を輝かせ、描いてある絵をまじまじと見つめている。
(可愛いなぁ、うん。自慢の息子だ。このつむじの感じは、亜樹に似てきたかも……ん?)
読み聞かせをしていると、凄まじい怒りのオーラを発しながら迫る人影が見えた。強烈な速度で、まるで闘牛のよう。これを本人に言ったら、半殺しじゃ済まない。
「こらぁぁああっ!」
力強く乱暴に、ノックもせず部屋に入って来たのは僕の妻――亜樹だ。気配からも感じ取れたが、顔はまるで般若の面のよう。
「ひゃっ!」
その怒号と剣幕で、現実に引き戻された惺斗はわなわなと震え始める。
「まぁた、お父さんの所に逃げて! お勉強の時間でしょ!」
「だってぇ……」
今にも泣きだしそうな声だった。
「お父さんもお父さんよ、お勉強の時間だって分かってるはずなのに! お父さんがそう甘やかすから、せいちゃんの逃げ道になってるの!」
どんどん追い詰められていく惺斗のことが可哀相に思えて、僕はヒートアップしていく彼女の言葉に口を挟む。
「まぁまぁ。僕は、絵本を見ることもお勉強だと思うよ? 発見は、遊びの中にあるのさ」
「お父さんは、黙っといて! って、きゃあああっ!?」
怒り心頭だった妻が、気配を消そうとしていた使用人の少年に気付き、羞恥の悲鳴を上げた。
「あ、あの亜樹様……え、えっと……」
見てはいけないものを見てしまったと、少年は気まずそうに僕と妻の顔を見比べる。そして、どうすべきなのかと僕に目で助けを求めた。
普段、妻の亜紀はおしとやかなイメージで通っている。それは、彼女の本当の姿ではないけれども、世間体を気にして装っている。僕はそうする必要ないと言っているのだけれど、そうも出来ない現状が国にはある。
「惺斗を連れて、絵本の続きを読んでくれないか?」
「わ、分かりました!」
道が示されて、安心している様子だった。本を差し出すと、それを素早く受け取った。
「惺斗、このお兄ちゃんの絵本の続きを読んで貰うんだ。いいね?」
「うぅ~ん……うん」
納得はしていないみたいだったが、ここにいたくないという思いの方が勝ったのだろう。渋々と少年の手を握った。
「参りましょう、惺斗様! 失礼します!」
愛想笑いを浮かべ、彼は惺斗を連れて素早く出て行った。そして、部屋には亜樹と僕二人だけが取り残される。
「……最悪」
静まり返った部屋で、ぼそりと亜樹は言葉を漏らした。
「怒ってる?」
「怒ってるわよ! 惺斗はわがままばっかりだし、お父さんは甘やかすし、あの子にあんな姿見られちゃったし! これで、またお母さんが色々と言われるの!」
そこに、彼女の苦労が見えた。
(やはり……そうか)
「亜樹、ちゃんと話そう」
このままではいけないと感じていた。これは、いい機会になるだろう。だから、一度彼女と話し合うことを提案した。




