夜の闇と笑い声
―闘技場 夜中―
この場にいたのは、僕ともう一人の僕だけだった。龍の力の使用をやめると、もう彼らの姿はなかった。
「どういう……ことだ?」
「あぁ、もうバレたのか。残念……まぁ、いいけどね」
がっかりした様子で、彼はこちら側に歩み寄る。そして、仁王立ちで僕を睨みつけた。
「どういうこと? 一体、君は何をしたんだ?」
意味が分からず、問いかけた。すると、彼は薄ら笑いを浮かべる。
「お前の力を、出来得る限りの模倣したまでだよ。気付かなかった? 君に幻術をかけたの」
「え?」
一体、いつそれがかけられたのかと思い返す。そして、陸奥大臣達が現れる前に手のひらを僕に向けていたことを思い出した。何の気もなくスルーしてしまっていた。
(そうか、あの時……!)
術をかけられた感覚は、皆無だった。余計なことをそれ以上言うなと制止する意味合いなのだと思っていたが、浅はかだった。
(まさか、そこまでの技量を身に着けているとは……幻術において、相手をどれだけ錯乱させられるかが重要。幻術をかけられたという意識がなければ、より効果に期待が持てる。もしも、龍の力がなければ容易に見抜くことは困難だった)
彼の確かな実力に関心していた時だった。
「っ!?」
一瞬だけ目に激痛が走り、物が二重に見えた。
(また……この痛みだ。でも、ただ見ようとしただけ。あの時みたいに、破壊しようとした訳ではないのに。しかも、龍の視覚に頼ったのは十数秒程度。前は継続して使い続けていても、こんなことはなかった。これは、一体……?)
痛みに困惑する僕の異変を、彼は特に気に留めている様子はなかった。
「でもね、本当の戦いはこれからだよ。準備は出来た。さぁ、絶望しろ!」
(なるほど、幻術を使用したのは……時間稼ぎの為か。くそ、大したものだな。でも、どんなものが現れても僕は決して屈したりはしない!)
まだぼんやりとする視界で、何とか彼の姿を捉えながら剣を構えた。ところが、彼は仁王立ちのまま動こうとはしなかった。
「どう――」
「之・毛・奴・久・加・幾・波・己・己・与・天・也!」
意気揚々と、目を輝かせて呪文を唱えた。それは、かつて十六夜が使っていた僕の中にいる獣を制御する為に使用したものとよく似ていた。
「……ぐぅ、う゛ヴヴヴヴ、ァァァアッ!」
それを聞いた瞬間、体の内部からほとばしる全身的な激痛。灼けるような痛みは、僕の思考を奪っていく。
「お前は、僕には勝てないよ」
「どウして君が……」
手から剣が零れ落ちる。その手は既に大量の毛が覆い、鋭い爪が万物を切り裂こうと顔を覗かせ始めていた。やがて、立っていることすらままならなくなり、僕は崩れ落ちる。
「さぁ? もうそんなこと、どうでもいいんじゃない? 精々、一人で狂えばいいよ」
「ハァ、うゥッ……あぁ……」
息苦しくて、力が出ない。僕は立ち上がり、全身しなければならないのに。
「い、やだ……」
このままでは、僕は負けてしまう。そして、囚われ続け新たな世界を望めぬまま挫折を味わうことになる。その味は、誰よりも知っている。もう、それを舐めるのはやめようと思っていた時にこの仕打ち。
僕にとって、これが最大の敵。何故なら、正確な制御方法を知らないから。
「身を委ねてしまえばいい。すぐに楽になる。大丈夫、どうせここは闘技場。どれだけ暴れても、誰も何も傷付かないからさ。フフフ……アハハハハハハッ!」
夜の闇に、彼の笑い声はよく響いた。




