何もいない
―闘技場 夜中―
まず先陣を切って口を開いたのは、陸奥大臣だった。
「お二方の手を煩わせることはありませぬ。この私が、全て方を付けましょう」
胸に手を当て、美月と父上に頭を下げる。
「期待している」
「そうね」
二人は頷き、場を離れる。それを見ていた、もう一人の僕も後に続いた。そして、ゆっくりと陸奥大臣は顔を上げてこちらを見据える。
「がっかりですよ、巽様。私との手合わせが、まさかこんな無意味なことに役立てられるなんて」
「陸奥大臣……」
彼の目に宿るは、嫌悪。何の迷いもなく抜刀し、僕へと向ける。
「僕にとっては、有意義でしたよ」
「貴方は、いつだってそうだ。己のことしか考えていない。あまりに独善的だ。そのような者は、王には向いていない。先日の言葉は撤回させて貰おう。どうやら、海外では何も得られなかったらしい。成長おろか劣化までしている。その根性を叩き直して差し上げましょう。それが、老臣である私の役目でしょう」
容赦なく振り下ろされた刃が、目前にまで迫る。剣を抜いたままにしていなければ、受けとめることは出来なかっただろう。
(軽い……? まるで、そこに何もないみたいだ)
「ほう、受けとめますか」
(いや、そんなはずは。力を解放した反動が、今来たのか?)
違和感を抱きながらも、僕は言葉をかけた。
「……一体、誰に剣術を教えて貰ったと思っているの? 今の僕の技術は、全て貴方に貰ったもの。こんな簡単にやられていたら、面目が立たないよ」
ただただ強くなりたくて、彼と共に腕を磨いた日々。幼少期、いつも僕は姉上達に負けていた。このままじゃ、父上には追い付けないし、王になったら嗤われると恐怖に怯えながら。そんな僕の恐怖に、彼はずっと寄り添ってくれた。
「僕にとって、陸奥大臣……いや、陸奥さんはもう一人の父上みたいだった。今更、こんなこと言っても仕方ないけど……それくらい、僕にとって大切な人だよ。父上には言いにくいことも、いつも自然と零れてた。そんな弱気な僕の言葉を優しく受けとめ、僕をここまで育て上げてくれた」
先ほどまでの僕との戦いとは違い、攻防のせめぎ合い。でも、どうしても違和感は拭いきれなかった。かけられているはずの圧力を、これっぽっちも感じないのだ。刃をぶつけ合っているはずなのに、その感覚もない。
(腕の感覚はなくなった訳じゃないし、一体……? まるで、一人でそういうシミュレーションをしているみたいだ)
「いいや、私は間違えた。こんなにも愚かになってしまうとは。全てやり直さなければ……」
(本当に、この人は陸奥さんなのか? さっきから否定ばかり。操られているからなのか……? 本当に、そうなのか?)
目の前にいるのが、陸奥大臣本人なのかという疑念。これを放置したままではいけないと思った。しかし、僕の目を通してではその疑念を晴らすことは出来そうにもなかった。
(開け、龍の目。そして、僕に見せてくれ。この違和感の正体を……)
だから、僕は龍の力を借りて確かめてみることにした。すると――。
(……何も、ない!?)
龍の目を通して見えた感覚的な視界の中に、陸奥大臣や他二人の姿はなかった。




