君と名前
―N.N. 回想―
それからというもの、宣言通り毎日アレスはやってきた。その中で、自分は様々なことを習得していった。例えば、自分を表現する方法。何かを覚える度、楽しい、もっと知りたい――そう感じるようになっていた。
「――アレス、お話!」
(お外、聞きたい。楽しい、楽しい)
「おぉ、いいよ。今日は、まだちょっと余裕があるからね。どんな話がいいかな?」
「お外!」
「外かぁ。ってことは、ここが中だってことは分かるようになったんだね。素晴らしいことだ。周囲に興味を持てるようになったのは」
度重なる交流で知った、自分の境遇。まだ未熟だった自分に、アレスは包み隠さず容赦なく真実を浴びせ続けた。それでも、まだこの時は――その事の重大さまでは理解していなかった。
「お外!」
「分かった分かった。うん、でもねぇ……外の世界は退屈だよ。楽しいことなんて、何一つない。皆、手を取り合ってさ……仲良しこよし。つまんないんだよね。その裏で、君みたいに不幸な人生歩んでる奴がいることなんて考えもしない。一度、皆で不幸になってみた方がいいって思わない? だから、さ……ちょっと壊してみたいんだ」
「う~ん?」
まだ見ぬ外の世界について語るアレスの表情は、暗かった。いつも飄々として、笑っているアレスとは思えなかった。
(アレス、悲しい。元気ない。お外、悲しい?)
「……まだ、君には早かったかな。ごめんね、愚痴ちゃって」
「悲しい、しない。ばいばい、お休み」
アレスがいなくなった後、いつも悲しい気持ちだった。特に、夜は。「こんばんは」って入ってきて、「ばいばい、お休み」と去っていく。部屋は闇に、孤独になる。それでしか悲しさを感じたことがなく、そう表現するしかなかった。
「お、おぉ……でも、まだいるよ。しかも、お昼寝にもちょっと早い。申し訳ないことをしちゃったかな。そーだね、あ、そうだ! 折角だから、君に名前をつけよう!」
「名前?」
アレスには、アレスという名がある。自分は、いつも「君」と呼ばれていた。それが、名前ではなかったことを知って少しショックだった。
「でもなー名前のセンスないんだよね。考えるのもあれだしなぁ。う~ん、カラス……ラテン語……お! そうか! 名無し、ノーメンネスキオーなんてどうだろう。あ、でも長ったらしいか。覚えにくいよね。じゃあ、頭文字を取ってN.N.にしよう!」
「お、ぉ?」
いつもは、もっとゆっくりと話してくれていたのに、興奮していたのか流れるように言葉を発した。聞き取れたのは、奇跡的だった。
「決めた! 今日から、君の名前はN.N.だ!」
「き、君の名前は、N.N.だ!」
「言ってご覧、自分の名前はN.N.ですって」
「自分、の……なま、えは、え、N.N.です!」
「凄い! よく言えたね!」
自分よりも嬉しそうに、アレスは頭を撫でてくれた。それがとても嬉しくて、もっと褒めて貰いたくて、何度も自分の名前を繰り返した。
「自分、N.N.! 自分、名前! え、N.N.!」
この時は、まだ知らなかったのだ。アレスが、これっぽっちも自分の為を思っていなかったことに。利用する為だけに、自分に近付いてきていたことに。




