全てを果たせ
―イザベラ ホテル 夜―
「――勝負あったな」
「そうみたい……ね」
壁際に追い詰められ、首元には刃が煌めく。限界だった。想定なら、もうとっくに世界は滅びているはずなのに。これまでと同じように時は進んでいく。
(何か……相当良からぬことがあったみたいね)
「それにしても、私も随分と舐められたものだ。末席とはいえ、騎士の肩書を持つ私に不敬だとは思わないのか?」
「何が気に食わないの?」
透き通る青い目は、一切の曇りがない。誰よりも何よりも正義感が強く、その真っ直ぐさは煙たがられることもあったという。城では直接顔を会わせたことはなかったが、誰よりも評判の高い若い騎士だった。
そんな彼とこんな形で相まみえ、敗北する――イザベラという悪魔の名には、勿体ないくらいの終わりかもしれない。予期せぬ出会いだったが、贅沢が出来た。でも、わがままが許されるなら、もっとあの人の役に立ちたかった。
「貴様……私以外のことに力を使い続けている。その為に、次第に私への対処が疎かになり、隙を突けた。何故、悪魔を名乗る貴様が……このホテルを崩れぬように守り続ける必要がある? 悪魔というのは、そのような生物ではないと認識しているのだが」
気付かれてしまった――その動揺を悟られぬよう、私は笑みを浮かべる。
「フッ、悪魔の何を知っているの? 悪魔だってね、ただ悪さをするのも退屈なの。希望を見せて、絶望に突き落とすのも好きな者もいるの」
「個性、だと?」
「えぇ、多種多様よ。心だってある。思い出だってあるし、想うことだってある」
脳裏に浮かぶは、仲間達の顔。虐げられて、蔑まれ、孤独に苦しんでいたからこそ集まった。お互い、それぞれの思惑があったのは知っている。綺麗な絆とは程遠いものだったと自覚している。それでも、私は――皆を愛していた。
「……私達と何も変わらないな。イザベラよ、本当に悪魔として扱っていいのか」
「はぁ?」
ガラハッドから投げかけられた思わぬ質問に、思わず驚く。
「このガラハッドの目を欺けるとでも思っていたのか。更なる混乱を避ける為、乗じたまでのこと。貴様は……お前は、カラスだろう。その翼、紛い物ではない。私のよく知る翼だ」
「人間の貴方に何が――」
「知り合いがいたのだ。経緯は不明だが、カラスでありながら人間の機関に属していた。変わり者の愉快な女だった。奴は、自分がカラスであることを隠してはいなかった。むしろ、誇りに思っていたようだ。それを見ていたから、お前の行為に違和感を覚える」
「……あぁ、そう」
彼の言う、人間の機関に属していたカラスの変わり者で愉快な女が誰なのか、私にはすぐに分かった。私の妹――アシュレイだ。
アシュレイは、ボスの根回しで警察になった。内部からの監視と介入が目的だった。たった一人の妹、信頼していた。けれど、彼女は裏切った。それすらも、ボスは把握していたという。ショックだった。
「カラスは、カラスであることを重んじると聞いた。お前にとって、屈辱ではないのか。それを投げ捨てなければならぬほどに重要なことなのか」
「そうやって、私の努力を無駄にする訳ね。貴方には関係ないわ。そんなことより、さっさと殺しなさいよ。悪魔じゃなくても、カラスは人間の敵なんでしょう!? こんな騒ぎを起こした大悪党よ、さざ!」
「それは出来ない、あの男に頼まれたことだからな。それに、私まで道連れだ」
「本気なの? 生ぬるいんじゃなくって?」
「風呂は、ぬるま湯が好きでな。先ほどは、冷静さの欠いた発言をした。本来の目標を達成する。生け捕りだ。それに、ここで殺せば……多数の犠牲は免れない。自暴自棄になるな、私と同じように最低限の目的を果たせ。出来得る限りの全てを果たせ。これは、取引だ」
最大の目的は、世界の終焉。最低限の目的は、皆の幸福。今の私には他を犠牲にせず、この男を打ち倒す力はない。打ち倒せたとして、そこから先の道は私には用意されていない。ここで消えることが、私の定めだったから。
(あぁ……ごめんなさい)
情けない。でも、何もやらないよりかはずっといい。少しでも、あの人の手助けが出来るなら――と、私はホテル全体へ意識を完全に向けた。




