自分の右手
―N.N. ホテル前 夜―
(始まったか)
ホテルから、衝撃音や破壊音が響き、時折地面も振動する。イザベラが行動を始めた証拠だ。彼女のことなら、何も心配はないだろう。本当に頼りになる子だから。
(なら、こっちもやらないとね)
今、自分は予測から外れた未知の世界にいる。失敗も成功も分からない。イレギュラーだけの、刺激に溢れた世界。その中で、自分がどれだけのことが出来るのか楽しみだ。
手に取るように分かっていたことが、ぼんやりとしたものになる。喪失感や不安感はない。むしろ、興奮していた。
「――じゃあ、ガイア。そろそろ、お願い……って、あれ? ガイアは?」
さっきまで、隣で震えていたガイアの姿は見当たらない。
「足元を見てみぃ、そこにおるぞ」
変幻の龍の言う通り、視線を下に向けると、耳を押さえてしゃがみ込むガイアの姿があった。
「……何してるんだ、ガイア」
呼びかけるも返事はない。耳を押さえているとはいえ、絶対に聞こえているはずだ。この雰囲気に圧倒されて、怖くなってしまったのかもしれない。彼女は戦闘経験はほぼないし、自分も甘やかしてきたから逃げ方を知っている。だけど、今回ばかりはそれも通用しないしさせない。
「ガイア!」
自分が強く呼びかけると、彼女は肩をびくりとさせて、ようやく顔を上げた。
「絶対に殺されるもん。絶対に、むごたらしく殺されるもん! あたしみたいな奴が、こんな格好してたって全然似合わないし、気持ち悪いって思われるだけだよ! 見てよ、あの人達! 凄いものが見れると思ってるし、起こるって思ってるもん! そんな所に、こんなゴミ屑みたいなあたしが現れたって幻滅して、とりあえず殺されちゃう! こんな奴には、誰もついてきてくれないよ! あたしには無理!」
目に涙を溜めて、彼女はそう必死に訴える。そう言われても困る。彼女には、人間達にカラスは味方なのだと示す役割がある。ずっと前から、その役割だけはやって貰うと伝えていた。
もう組織の役職に就く者は、五人しか残っていない。順調に進んでしまったが為に。代役は立てられない。下位の者に、こんなにも危険な仕事は与えられない。役職を得ているからこそ、自分は信頼しているのだ。
「そんなことないよ。綺麗なドレスだし、ガイアはとっても美しい。その美しさに、種族は関係ないと思うよ。ガイアじゃなきゃ出来ない」
圧迫しても、彼女には恐怖しか植え付けられない。どうにか説得するしかないのだ。早急に。わがままばかりで困ってしまう。本当、小さい子供を相手にしているようだ。
「ね、お願い――」
とりあえず、立ち上がらせようと右手を伸ばしたのだが、血を吹き出して突然消えてしまった。
「あれっ」
「ひぃいいっ! 手が、手がっ!」
「何をごちゃごちゃと。吾輩を、こんなくだらんことに付き合わせるな。解決策はあるだろう。ガイアには甘いな、貴様は」
原因は、破壊の龍だった。自分の手を破壊したのだ、このやり取りが気に食わなかったらしい。
「痛かった……何するんですか~」
しかし、もう手は綺麗に再生していた。自分の体は死ぬことを奪われている。怪我は秒で治るし、このように破壊、切断されても瞬きする間に元通り。年も取らないし、劣化しかない。このような体になってから、時がとまっている。
「こんなくだらん会話をしている暇があるなら、さっさと動け。あの女もやっているのだろう。そんなに不安なら……」
悪びれる様子もなく、彼は自分に歩み寄る。そして、次の瞬間――躊躇いもなく、再生したばかりの右手を引きちぎった。




