今ならば
―アマータ 街 夕方―
夢で見た衝撃が、私を現実へと繋ぎとめる。ただ、状況は変わらず絶望のまま。目の前には、私を飲み込もうとする化け物がいたからだ。体は動かないし、抵抗する余力は残っていない。
「……バ、ランサ?」
それなのに、口は勝手に動いていた。はっきりと喋れていたなかったと思う。それでも、奇跡か偶然か――化け物の動きがぴたりととまった。
「あァ……」
「そう、なのね」
こんな状態になって、あの人に記憶を封じられてしまったのに、私の呼びかけに応じているように見えた。一方の私は、何一つ思い出せない。先ほどの光景を見ても、懐かしいとも感じない。実の娘を目の前にして、特別な感情を抱けなかった。
あの光景に嘘はないはずだ。血縁関係にある彼女の体液が、私の中に流入したことで反応した結果、一部の記憶が映し出されたのだと考えられた。記憶転写魔術が確立される前は、よく使用されていたという。限られた範囲でしか使えないこと、成功率が低いこと、衛生面で問題があることなどから、今では禁忌扱いだ。つまり、この状況は、偶然の産物によるものだ。
(あれが、私だなんて。線も細くて、幸薄そうなあの男が……? バランサと離れた後に、私はこの体になって……同じように記憶を封じられたの? 細いけど、あれは美しくない。健康的じゃないわ。あんな体じゃ、守られるのも華がない。しかも、守ることだって出来ないじゃない)
彼女の記憶の中にあった、私の本当の姿を見て絶望した。娘に守りたいと思わせる父親なんて、あるまじき姿だった。
「お父さんのこと、好きだった……?」
血を分けた娘だと分かってなお、第三者的立場でしか考えられなかった。この問いかけは、恥ずかしい自分の過去を救いたいと思う醜いものだった。
そんなことも知らないバランサは、僅かに覗く瞳から涙をほろりと落とす。「ふざけんなァ、くそ親父」と、彼女の声が聞こえた気がした。そして、それが最後に感じた彼女の意思だった。
「ごめんね……」
親子としての時間を与えてあげられなかった。私にとって、彼女はもうたった一人の娘ではない。あくまでも組織の中の家族の一人、そうとしか考えられなかった。
(貴方が、あの人を嫌う理由は……ここにあったのね。覚えていなかったとしても、意識の奥底に刻み込まれてしまうほどの苦痛。だけど、私は……どんな人でも、あの人が好きなの。だって、不器用なんだもの)
「アァ゛ァ゛ァ゛ッ!」
咆哮を上げ、化け物は動き始める。私を飲み込み、力を得る為に。それが、本能だから。
(本能に従ってしまう衝動、私も同じ。痛いほど分かるわ。家族として、その苦しみを受け入れてあげるわ)
体が変貌することは、力を得られても苦痛を伴うもの。一人で苦痛に喘ぐのは、悲しい。娘として想ってあげることはもう出来ないけれど、今までを一緒に過ごした家族として受け入れてあげることなら出来そうだった。
(過去は変えられないし、未来も私達にはもうない。けど、今なら私達にもあるから――)
腐臭漂う空間に飲み込まれながら、私はそっと目を閉じた。




