面影
―アマータ モニカの家 朝―
「――ほら、モニカ。朝ごはんよ」
どれだけ呼びかけても返事はない。料理の匂いを嗅がせてみたりしても、それに対して一切の反応を示さない。起きてはいるし、意識もあるのだけれど、虚ろな目で遠くを見ているだけ。そんな生活を続けて、どれほど経ったのだろう。
苦労も多いけれど、やっぱり楽しい。本物の輪に入ることは私には出来ないけれど、一緒にいれることがただ幸福だ。
「気持ちは分かるのだけれどね。そろそろ、あの子達も――」
「何故、肩入れする」
「え!?」
驚いた。喋らないと思った相手が、何の前触れもなく口を開いたのだから。しかも、かなりしっかりとし口調で。
「カラスだろう。敵意はないことは理解した。しかし、所詮は他人の家族。ここまで親切にする理由が分からない。この期間、ずっと観察していた。何を企んでいるのだろうかと。だが、そこに偽りはなかった。だからこそ、疑問に思う。分からない。嘘をつき、他人の家族に寄り添うその真意が」
「演技してたの? とんでもない子ねぇ……やだわぁ。そうねぇ、最初は他人だったかもしれないけど。今は、もう他人じゃないでしょ? 経緯はどうあれ、ここにいるのはもう私の本心よ」
「もう……?」
「貴方を陥れたのは、私の組織。その尻拭いをすることになったのよ、簡単に言えばね。でも、その尻拭いがすっごく楽しかったのよ。私、お節介だし。貴方の子供達、とっても素敵だもの」
私は、多分特異な存在だろう。大人は何も言わずとも白い目で見るし、子供には無垢なナイフを向けられる。男と女、そのどちらとも形容し難い私を嫌悪する。それが当たり前、愛されなくて当たり前。
そんな私が唯一属せるのは、カラスという枠だけだった。しかし、その枠は消されようとしていた。醜い争いで、隅からも押しやられ消えてしまいそうだった。だから、守りたかった。守れないなら、それがある状態で全てを終わらせてしまいたかった。カラスはいたではなく、カラスはいる――その現状のまま記録を終わらせたかった。
「素敵……か。それは、そうだな。こんな女に似ず、よく出来た子供にばかり恵まれる。いずれ、あの子らも見切って出て行くだろう」
「あらあら、随分と自己評価が低いのねぇ」
「自覚している。愚かさも醜さも」
「それでも、あの子は貴方を愛しているわよ。そう思うのなら、ちゃんと向き合いなさい。今からでも遅くないわ。私がどれだけ頑張っても、母親は貴方一人だけなんだから」
演技をしていない今でも、彼女の虚ろな目は変わらない。希望など、どこにもない目だ。私は、この目知っている。よく見てきた。一番自信のあったものを奪われたのだ、無理もない。
その悲しみを全て理解することは出来ない。私に出来るのは、ただ受けとめて抱き締めること――ただそれだけだ。
「な……急になんだ!」
「私は、どんな時も貴方の味方。貴方が、アシュレイを認めてくれていたことは知っているわ。とっても優しくて素敵な人。自分自身のことを否定しないで。否定すれば、貴方を愛しているあの子達も否定することになるんだから」
今の彼女に、家庭以外の居場所はない。近所から訪ねてくる人もいなければ、電話がかかってくることもない。仕事というコミュニケーションツールを奪われた不安感と孤独は計り知れない。
そんな彼女の気持ちを受けとめ、前に進ませる。それが、いずれここを去らねばならない私に課せられた最期の使命だと思っている。
(エトワールから受けたあの報告……もう、いつ私の番が来てもおかしくないわ。情けないわね。ここに来て、時間が惜しいって感じるなんて)
動揺する彼女を抱き締めながら、私がいなくなった先、僅かにある終焉までの道のりで彼女らが幸せなれることを祈った。
(私がいなくなっても、世界の終焉までの間、幸せを感じていられますように。温かな家庭を……その為には、彼女が回復しなければ駄目。何をやっても無意味だわ)
「……どこまでも変な奴だ。その感じ、あの馬鹿を思い出す」
彼女の声は震え、僅かに鼻にかかっていた。
「あの子のこと、思ってくれていてありがとう。女性に覚えていて貰えるって、きっとあの子にとって最大の幸福だと思うわ」
「ふん、だろうな……」




