「 」
―アリア アスガード村 夕方―
「分かったよ」
震える声で、巽はそう答えた。
(ごめんね)
と、私は心の中で言うことしか出来なかった。さっきまで、あんなに話せていたのに――いや、話したからか呼吸をすることがかなり苦しかった。言葉を発する為の一呼吸、内面から抉られているかのような感覚だった。まだ、感謝の気持ちを伝えられていないのに。
「っ!」
そんな私に追い打ちをかけるように、更なる痛みが襲う。生温いもの――恐らく血が至る所から噴き出す。もはや、私には視覚的にものを捉えることが難しくなっていた。ぼんやりとは見えるけれど、詳細までは分からない。
「アリア……これで、本当に良かったのかい……」
なんて悲しそうな声だろう。泣いているのかもしれない。泣かないで、そう声をかけたいけれど出来るはずもない。痛くて痛くてたまらないから。
「こんなこと、僕は嫌だった。こんなことになるくらいなら、永遠に君に嫌われた方がマシだった。君の秘密なんて知らずに、そのまま離れてしまえれば良かったんだ」
(そんなこと言わないで……)
彼のその言葉の直後に、そっと抱き締められる感覚があった。彼に対して、複雑な感情はある。けれども、不思議とそれに嫌な感じはしなかった。むしろ、安心している自分がいることに驚いた。
「何もかも僕のせいだ……どうして、よりにもよって君なんだ。僕にこんな資格はないって分かってるけど、君という存在を失うのが寂しくて……」
(巽だけのせいじゃない。彼だって、いいえ……彼が誰よりも一番巻き込まれている)
彼が意図的に起こした訳じゃない。その責任を、気が付いたら背負う羽目になった彼のことを思うと心が痛んだ。
「あの、こんな時……に、言うのもおかしい……かもしれないけど、伝えたいんだ。僕は……もしかしたら、君の……ことが……」
(あ、れ?)
近くにいるはずの彼の声が、遠くに聞こえる。何を言っているのか、よく聞こえない。耳を澄ましてみるものの、音は遠退いていくばかり。
「す……なのか……しれな……」
(どうして? 目と鼻の先に、巽はいるはずなのに)
「友……それ――」
やがて、その声は全く聞こえなくなった。
(もう時間がないのね。私の魂は森へと帰ろうとしているんだ)
視覚、聴覚と次々に主要な感覚を失って、それを悟る。
『戻ってこい』
たおやかな風に乗って、あの方の声が聞こえる。もう見えているのだ。精霊としての私を、待ってくれている方がいる。こんな、駄目駄目な存在でも。
(私は、最後の最後まで何も出来ないまま終わるのね。あぁ、本当にこのままじゃ……)
『本当にそうなのか、アリア。そんな半端なままじゃ、俺の精霊は務まらんぞ』
あの方の厳しくも優しく諭す声。それが、私にヒントをくれた。
(いいえ、一つだけあるわ。精霊としての私が、人間としての私に出来ること)
それは、精霊の私がいたという証拠を残さないこと。全ての痕跡と一緒に、この肉体を去ることだ。残るのは、アリアの亡骸だけになる。そうすれば、万が一調べられることがあっても禁忌が明らかになることはないだろう。でも、それよりも先にやるべきことがあった。もはや、何一つとして感覚はなかったが、そのお陰で出来そうだった。
「 」
ありがとう――と伝えることが。何も聞こえなかったけれど、体が記憶していることを頼りに言葉を発した。私の願いを叶えてくれたことへの感謝、友達になってくれたことへの感謝……その短い言葉に、今までの思いを乗せて。
(さようなら。そして、ごめんなさい)
そして、私は精霊としての務めを果たす為に余力を振り絞って――。




