あの日の光景は歪んで
―アリア アスガード村 夕方―
それは、まるで悪夢のようだった。
「あ、ぁぁ……」
巽が、徐々に人ならざる姿へと変わっていく。傷だらけの体を黒き毛が覆いつくし、巨大化していく。口からは鋭い牙が覗き、大地を鋭い爪が貫く。その姿は、紛れもなく――私が探し続けていた父殺しの化け物だった。
「そんな……なんで?」
『大丈夫だよ……僕がいる』
父を亡くし、挙句犯人扱いまでされていた私を優しく励ましてくれたのは、彼だった。
『ごめん……』
森でひっそりと潜む私に、ぽつりと彼が呟いた言葉。あの時は、意味が分からなかった。彼が謝罪する必要性なんてどこにもなかったから。
けれど、今なら察しがついた。
(分かっていたの? あの時からずっと……)
頼れる人は、彼しかいなかった。だから、森に彼を召喚した。困惑する彼に事情を話して、私は一方的に感情を爆発させた。どうして自分だけと、何故こんなことになったのだと。彼はそれを聞いて……どう思っていたのだろう。
彼が変貌する間際、とても苦しそうだった。それに、沢山傷付けられて――なりたくてなったようにはとてもじゃないが見えなかった。今も自我があるようには思えないし、後になって自身のやってしまったことを聞いて沢山苦しんだだろう。自身を憎む相手が、目の前にいる。もしも、私が彼の立場であったとしたら逃げ出していたかもしれない。
(でも……巽が、お父さんを殺してしまったことに変わりはない。どんな事情があったとしても、お父さんは帰ってはこない……)
『――でも、君には嘘をつきたくなかったっていうか』
巽が、私に真実を告げてくれた日に述べた言葉。とても嬉しかった。なのに、今ではそれが歪んで見える。何が嘘で、何が真実なのか――彼を疑ってしまう。彼の痛みも苦しみも分かるのに、私は優しくなれなかった。
「さぁああぁああ! もうお腹がペコペコでしょおおっ!? この私様を食べられること、光栄に思いなさいっ! これが最後の恩返し……ボスの為に!」
もうアルモニアさんの目の前にいるのは、ただの化け物。よだれを垂らして、獲物を狙う獣だ。そんな彼を見ても、彼女は楽しそうだった。両手を広げて、前へ前へと接近していく。私様を食べろと衝撃的な言葉を発しながら。
「ぐぅぅぅ……」
それは、挑発。それに乗せられるように、彼もアルモニアさんに迫っていく。
「やめて……やめて……」
体が奥底から冷えていくのを感じる。これから起こること、それが見えてしまったから。
「そして、絶望なさい。その罪深さに……器の小ささに。貴方も、所詮は茶番の――」
その言葉が、最後まで言われることはなかった。大きな口はすっぽりと彼女を覆い隠してしまったから。
「いやっ、そんなの嘘……」
目を背けたい現実だった。けれども、その思いとは裏腹に吸い付けられるように私はその光景を見続けていた。そして、次の瞬間ぐしゃりと鈍い音が響いたかと思えば、血と肉片が辺りに飛び散っていくのだった。




