罪を渡せ
―十六夜 教会 ?―
巽は、父親へと突進した。その抱えきれなくなった欲望に負けて、正真正銘の獣へと成り下がった。あんなにも執着し畏敬の意を抱き続けていた父親を、その牙と爪で引き裂いた。
父親の上に覆いかぶさって、見た限りでは腹部から喰らっているようだ。そんな残酷な場面、目の前から見届けるなんて私にはとても出来ない。まだ、意識はある男に向かって更なる絶望を投下する。これが私の幸福。願い、長きに渡る夢――。
「ククク……アッハハハハハハハ! お前は、よく耐えたよ。巽、長い間ずうっとな。お前は、記録上の中では最高傑作だった。自我を保ち、力を利用するなんてな。しかし、流石に限界だろう。一度同化したものを引き剥がされてしまったのだから。相当に苦しいはずだ。それでも、ここまで来たことは称賛に値する。色々試してみたのだがな……どれもこれも、すぐに獣と成り果ててしまう。きっと、これからもその先もお前を超える存在は――」
「あぁ、長々とうるさいな。勝った気になると、饒舌だな。でも、お陰で少し分かった。最近の僕の国に似た化け物騒動は、やっぱりお前のせいだったんだな」
「……何?」
獣と成り果て、実の父親を喰らっていたはずの巽がふらふらと立ち上がって、こちらを振り返る。その口にあったのは、自身の腕。そこから、血が絶え間なく流れ落ちてきていた。父親を喰っていたのではなく、自身の腕を噛み続けていたのだ。
「忘れていないか、ここにはもう一人……丁重に管理されていた者がいることを」
不敵な笑みを浮かべて、素早く腕の肉を噛み千切る。
「何を……まさか、あの瞬間に咄嗟に自身の腕を? 馬鹿な、あの時には既にお前の自我は……」
「お前が、最後の最後まで父上を侮辱する発言を繰り返すものだから……その怒りで、つい。ただ、お陰でどうにかなってきた」
巽の体を覆っていた毛が溶けるように消えていく、鋭く伸びた牙も爪も元の大きさと長さに戻っていく。
(自分を傷付けてまで、父親に手を出さないなんて……狂っている)
「あんまり美味しくはないな。意外と満たされた。ただ、先ほどまでの苦しみはもうない。後は、怪我をどうにかするだけだが……お前の味はどうだろうな? その老体、魔力はしっかりと染み込んでいること、神とやらの力が影響していることを加味したとしても……それほどでもないだろうな。けれど、傷を治すくらいのものはあるだろうね。さてと、父上を侮辱した罪は……その命をもって償って貰うよ? 十六夜っ!」
力強く叫ぶと、私に剣を持って斬りかかる。先ほどまでとは違い、考えられた動きだった。しかし、それでもかわすことに難はない。なんせ、向こうは傷だらけなのだから。
「その時が延びただけ……調子に乗るなっ! おい、クリスティーナ! おい、おいっ! まだ直らないのか、おいっ!」
私がこんなことをする羽目になったのも、クリスティーナとかいう小娘の使う機会が壊れてしまったせいだ。壊れるだなんて聞いていない。そもそも、あのどんくさそうな小娘と一緒に戦えというのが本当に納得がいかなかった。結局、私一人で相手にすることになったのだから。
「待て、巽。私がやる。この部屋中に張り巡らされているものは、もう戻らないだろう。私も妻から聞いた程度だが、機械というのは熱やら水に弱いらしい。そのクリスティーナ? も困っていることだろう。慣れないことは……するものではない。先ほどから、お前らしさが欠けている戦い方だ。お前は、もっと積極的だった」
すると、ただそこにいるだけだった颯が立ち上がり、巽を制する。巽も驚いた表情を浮かべているものの、それに素直に従った。
「知った口を聞いてくれる。見ていろ、必ずや絶望をお前に――」
「そのこだわりが、お前を弱く変えたのだな。そんなものは捨てろ」
「弱い……? この私が? 馬鹿にするな。捨てろと言われて、捨てられるようなものでもない……分からないよな、お前にはっ!?」
刹那、腕を掴まれて、壁へと叩きつけられる。見えなかった。目の前にいるのに。こんなにも近くで。見せつけられた、実力差を。生まれの差を。決して埋まることのない力の差を。
「分かる、分かるぞ。痛みも苦しみも辛さも……全て」
慈しみ、憐れむようなその声に私は苛立ちを覚えた。そんなものを、今更求めていないからだ。
「だが……それでも、お前を許すことは出来ない。もう、終わりにしよう。自ら手放すことが出来ぬのなら、私が……」
「何を驕ったことをっ!」
「終わらせてやる。罪を私に……渡せ」
「がっ……!?」
手刀が、私の胸を貫く。もう片方の手で、私の体を押さえているとは思えぬ力強さと正確さと素早さで。この男に、老いというものはないのか。判断力はともかく、動きにおいて鈍るということがないのか。かつて、私が与えた病を抱えているはずなのに。時は、経過しているはずなのに。
「願うことなら、こんな方法は取りたくはなかった」
そう言いながら、探るように腕を動かす。その感触が伝わってくる。
(あぁ、本気か。でも、この体にそれはない)
この体を治すには、それなりの魔力と生命力が必要になるがそれくらい安いもの。この瞬間も、私の余剰に感じる生命力は修復を始めているのだから。
「もう一度やり直せたならば……しかし、お前以上に私は罪を重ねている。きっと、お前と同じ場所に行くが再会には時間がかかる。待っていて、くれるな」
「勝手な……」
「本当にすまない。しかし、これ以上お前に穢れて欲しくはない。お前をとめたかった。私は無力だ、不甲斐ない。昔のお前は……強かったぞ――」
「偉そうに……人を評価するな。お前よりも、私の方が……くっ!?」
私は、人とは違う。ちょっとやそっとのことで、死んだりはしない。どれだけ抉られようとも、この生命力が全てを元に戻す。それが、生まれながらの特権――のはずだった。
(何故……何故、意識が朦朧とする? 視界が黒く染まっていく? 感覚が消えていく? こんなこと有り得ない。一体、何が……!? あぁ!)
『奪っただなんて人聞きの悪い。一部をお預かりするだけですよ、貴方の為にね』
ある日のことを思い出す。ロキが、私の命を一部奪った日のことを。それが、半分。大事なことを忘れていた、これからの行動に左右する大事な出来事を――。
「余計な、真似……を……」
(私は七番目だろう……あぁ、でもそうか。もう半分は……生きている……)
「残念だ、ったな。私を完全に……とめることは、出来ない……無力、だ。お前、は……ハハ……」
私の手から離れた命がどうなるかは分からない。だが、基盤は同じ。きっと、私が私の代わりに全てを成してくれるだろう。憎き兄への復讐を、呪われた国の崩壊を――。
「なんせ、何も、分かって……いないのだからな。この世界のことを。こ、この世界は……普通じゃない。地獄そのもの……だ。だから、ハハ……すぐ戻る。罪は……渡さない」
笑顔を作り、消えゆく世界の中で私は兄に呟いた。




