急転直下の感情
―街 夕方―
体に染み付いた血の臭いを洗い流し、街に出ても気持ちは晴れなかった。
(まだ、蝶がいるのか)
街では、相変わらず黒い蝶が飛んでいた。それに、人々も惑わされている。まだ、目的の相手を見つけられていないらしい。夕暮れのぼんやりとした光に照らされ、不気味さが増している。
(黒い蝶ばかり、僕が探しているのは黒い猫なのに)
黒猫の便りを見つければ、後はそれを傍観するだけ。道徳性も倫理観も微塵もない、人間性を疑われる行為。しかし、それでも人としての姿は保っていられる。内面は、周囲からは見えない。外面は、常に晒されている。だから、僕が大切にしなくてはならないのは外面だ。人として当たり前に出来ることを、忘れたくはない。
王道を歩むには、取捨選択はついて回るもの。何を犠牲にし、何を守るか。一線を引いて、考える。かつて、出来なかったこと。それが原因で、沢山のものを失った。変わりたい、変わらなければならない。守りたいものを、この手で今度こそ守る為。
「――みゃぁぉう」
その鳴き声に、自分でも驚くくらい素早く反応してしまった。
「そうよね……面倒よね。でも、もうちょっとよ。だって、順調だから。皆、かしこいのよ。あたしなんかいなくても、ここまでやってるんだから。あぁ、猫の貴方だってこんなに頑張っているのに。あたしは、本当に駄目な女だわ……」
鳴き声のした方向には、憂いに満ちた表情で石段に座って黒猫を撫でる女性がいた。僕が言うのもあれだが、こんなにも周囲の人々が騒然とする中では、かなり浮いて見えた。しかも、嘆きの声が大きかった。
「あたしだって頑張っているのよ。あたしだって……だけど、あたしの役割なんて代替がいくらでも利くのよ。だって、実際そうなんだから……」
どんよりとした空気に包まれていて、見ているのも辛くなってきた。けれど、彼女の腕の中にいる黒猫は間違いなく僕の探していた猫だ。もしかしたら、彼女が犠牲者になってしまうのかもしれない。黒猫は、不幸の便り。僕の力の提供源なのだから。
「みゃう」
黒猫がそう鳴くと、それに反応して女性は顔を上げた。すると、僕としっかりと目が合った。
「何? 何を見ているの? あたしが面白いから見ているの? あたしを馬鹿にしているの!? 何なの、何なのよぉ!?」
突如、彼女は激高し、手で荒々しく髪を掻き回し始めた。
「その馬鹿にした目……あぁ、あぁああぁああ! 嫌い、嫌い嫌い嫌い嫌いっ!」
まだ、僕は何も言っていない。ただ、そこにいて見ていただけ。なのに、攻撃対象として選ばれてしまった。見ていたことが気に食わなかったのだとしても、ここまで言われるようなことだろうか。
「どうして、嫌われないといけないの……あたしは、ただ猫と戯れていただけなのに。酷い、酷いわ……本当。うぅぅううっ!」
怒りも束の間、彼女は今度は泣き始めた。
「えぇ……!?」
泣きたいのは、急転直下の感情に惑わされているこっちだった。目と目が合っただけで、ここまで罵られて僕が悪いみたいに泣かれるなんて予想出来るはずもない。
徐々に大きくなっていく泣き声に、蝶に夢中になっていた街の人々も反応し始める。このままでは、僕が悪人である。面倒臭い、とりあえずこの場は落ち着かせよう。そして、僕は、泣き喚く女性に渋々歩み寄ることになるのであった。




