ドールの影
―コットニー地区 昼―
それに応じるかの如く、周囲を優雅に飛び回っていた黒い蝶が集まって渦を巻き始めた。それは大きく太く、天へと昇る一本道を作っているかのように見えた。
「この地に彷徨う哀れな魂達よ、否が応でも冥界へと来て貰おう。話はそれからだ」
女性は、僕には見えない何者かに呼びかけるように声を発した。
「い゛や゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……!」
「がぅああぁっ!」
「怖いよぉぉぉ!」
黒い渦からは、大勢の人達の悲鳴や叫び声が響いて聞こえた。老若男女の声、憎悪や悲痛を滲ませながら遠くへ消えていく。見えない所で、見えない誰かが苦しんでいる。
「怨念や無念が大きい魂は、これだから厄介だ。私がこうしてやらねば、冥界に逝くことすら出来ない。はぁ……」
両手を天に掲げたまま、不満を彼女は漏らす。そんな彼女の耳元に、遠くから一匹の蝶が現れて寄り添った。
「ん? 何? ほう……」
どうやら、何か会話をしているらしい。時折頷きながら、言葉を返している。彼女が、思い込みで想像の会話をしていなければだが。
「なるほどな。いいだろう。それで、そいつらが救われるのなら。ちょうど、目当ての男もいることだ。勝手に成仏してくれるのなら、こんなにも楽なことはない」
(なんだ……?)
彼女の耳元から離れ、黒い蝶は僕の目の前へと飛んできた。そして、蝶はひらりふわりと舞い始める。その蝶の羽は、舞うと徐々に崩れて粉になって降り注ぐ。
「これは一体?」
粉が地面に降り積もると、そこから黒い霧が現れた。瞬く間に、黒い霧は一つの小柄な少女のような人影を形成していった。ワンピースを着ているのも分かる。その影は、優雅に佇みこちらを見ているように感じた。
「キング……」
目の前のことを処理し切れていないのに、さらに予想外の出来事が襲う。しかも、声には聞き覚えがあった。
「まさか、ドールか?」
影は影のまま、鮮明にはならない。匂いだって感じない。けれども、分かった。その声色は、かつての同胞のものだったから。アーリヤの下僕として、その身を捧げ続けた愚かな同胞だ。本来、人形である彼女の明確な生死は分かっていなかった。
「お久しぶりですわ。私のお気に入りのワンピースを、見て頂けないのが不本意ですが……このような形でも、再度お会い出来たことを光栄に思いますわ」
ドールの影は、ワンピースの裾を小さく持ち上げた。懐かしい仕草だった。
「私は、どうしてもキングに謝りたいことがありましたの」
「僕に謝るだって? 謝るのは、僕の方だ。恐怖に怯え、助けを求めてきた君を……さらに痛めつけて利用した。ずっと……後悔していた」
「そんなのは些細なことですわ。キングがそうなる理由を作ったのは私。アーリヤの命令といえども、それを忠実にこなしていた私に責任がありますわ。それが、私自身に返ってきただけ……因果応報になりますわね」
「些細なことって……君がこうなってしまった原因かもしれないのに……」
アーリヤの下についてから、今までにないくらい僕はどんな理由であっても許されない罪を重ねた。いくつもいくつも。もう、元の綺麗な自分なんて見えないくらい。
「キング……私の話を聞いて下さい。あまり時間がありませんわ」
「あぁ……ごめん。つい……」
「ごめんなさい。キングの話は沢山聞いていたいけれど、時間が本当にないんですの。私には見えますわ、そろそろ順番が巡ってくるのが。ごほん……」
そして、ドールは小さく咳払いをして語り始めた。




