雨に霞む
―夜 街―
僕は、獣の喉元を狙って剣を振るった。急激に距離を詰められた獣には、僕の動きが予測出来なかったのであろう。最期は、非常にあっさりと訪れた。
「グルアアアアアア!」
喉元から噴き出す血と共に、獣は彼は地面へと倒れる。
(知性なんて微塵も感じなかった。獣としての能力は、土台となった人間の能力を引き継ぐのか? こんなにもあっさり……)
そして、すぐに獣は動かなくなる。すると、まとっていた毛が溶けるように消えて人が姿を現した。
「……っ!?」
確認の為に、彼の顔を覗き込んで驚いた。
(エメ役の人!?)
パンフレットに載っていたエメ役の人物と顔が同じだった。しかし、あの美しさはもはや見る影もなかった。やつれてこけた頬、目の下に出来たクマ――よく見なければ、僕はきっと同一人物であると気付けなかっただろう。
(いつから? いつから彼は……)
座長さんが言っていた、彼は将来や演技のことで悩んでいたと。そこをつけ込まれ、日に日に人と離れていく自分自身に怯え続けていたのだとしたら、それが原因で劇に参加出来なかったのだとしたら。
(いつまで、彼には自我があったんだ? すれ違ったのあの時には、まだ彼に意識はあったのか? じゃあ、意図してここに? 駄目だ、分からない。この仮定があっているかどうかも分からないのに、考えられるはずがないんだ)
あの時までなら、彼に直接話を聞くことも可能だったかもしれない。けれども、もう既に彼は事切れている。真相は、彼をこうした人物しか分からないだろう。
「くそ……」
ああしていれば、こうしていればと後から後から考えが浮かんでくる。きっと、どうしていても誰かが傷付くことは変わりなかっただろうけれど。信頼し合う仲間を、無意識の欲望の果てに手をかけることは防げたかもしれないのに。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ」
(どうか、彼が苦しみから解放されて極楽へ行けますように。彼の罪は、彼のものではないんだ……)
「みゃ~?」
僕が屍となった彼に手を合わせて極楽へ行けるよう祈っていると、黒猫が不思議そうにこちらを見上げていた。
「君は帰りなよ。ここにいたって、濡れるだけなんだから」
「みゃぁう」
猫はそう一鳴きすると、僕に背を向けて尻尾を振りながら満足そうに帰っていった。やはり、この猫は言葉を完全に理解して動いている。
(御使い……あの名称が、役割を示すものなのか? あぁ……これ以上は、考えても理解しようがないな。これ以外に、僕に出来ることは……)
そして、僕は雨に霞むドミニク劇場へと向かった。むせるような血の臭いに襲われながら、あるかどうかも分からない光を見つける為に。




