悲劇の幕は下がらない
―ドミニク劇場前 夜―
黒猫の姿を見失わないように必死に走っていくと、何と劇場前に戻ってきてしまった。黒猫は、濡れるのも気にしない様子で劇場前で座り込んでいた。
「え……?」
僕が見届ける、いや傍観しなければならない相手というのはまさか――。
「そんなの……そんなの出来る訳ないっ!」
あんなことを言ったけれど、いざこの状況を目の前にすると、そんな非情の選択をする余裕などなかった。
所詮、僕は新参者。ただ成り行きで彼らに手を貸しただけ。それでも、僕は彼らがただ傷付くのを傍観することなどしたくなかった。非力な僕に、何かが変えられることなどないと分かっていても体は動こうとしていた。しかし――。
「っう!?」
何かに掴まれている感覚を覚え、足を動かすことが出来なかった。何事かと足元へ視線を向けると、衝撃の光景がそこにはあった。なんと、地面から泥の人の手のようなものが現れて僕の両足を力強く掴んでいたのだ。
(なんだこれはっ!?)
逃れたくとも、足をしっかりと掴まれている為に動けない。ならばと、僕は泥を魔法で砂に変えようとした。ところが、その手は魔法をものともせず、何か意思を持っているかのように足を掴み続けた。
明らかに、意図があって僕を拘束し続けている。強力な魔力も感じるし、恐らくこれは――太平の龍が仕掛けたものだろう。
「離せぇええっ!」
この足がちぎれようとも構わなかった。太平の龍に言われたことを破り、後から侮辱されたって構わなかった。自覚しているから、己の未熟さなど十分に。
「みゃー?」
すると、そんな僕が気になったのかじっと劇場を見ていた黒猫が僕に擦り寄ってきた。
「はぁ……はぁ、お前はどうしてここに……」
「みゃ~あ?」
無垢な表情で、焦燥に駆られる僕の心を少し落ち着かせてくれた。けれど、この黒猫が太平の龍の言う暗示の役割を担っている可能性がある為に油断は出来なかった。
一度見た時から分かっていたが、この黒猫は学校にいたものと同じ匂いがする。言葉を理解しているような動き、そしてこの天候で一点を不自然に見つめ続けている状況――この黒猫がそうだと考えるには十分だった。
「本当は、何か……知っているのか?」
「みゃ~!」
この黒猫の言っていることさえ分かったら、全てが楽に終わるのに。そんな魔法の類を、僕は知らない。知らないし分からないから、黒猫を見つめることしか出来なかった。そんなことで、僕がこの場から動けないでいると――悲劇の幕は上がってしまった。
「いやあああああああああああっ!」
「ぐああ゛あ゛!?」
耳をつんざくような悲鳴と、劇場内から徐々に漂ってくる血と獣の臭い。強雨の中でも、この距離だから強烈に感じた。
「あ、あぁ……あぁ」
それでも、手は僕を解放してはくれなかった。僕が抵抗と無茶が出来ない程度に、その光景をしっかりと焼き付けろというように。その残酷さは、僕から立つ気力を奪い去った。




