錯覚
―ドミニク劇場 夜―
「……やはり、探偵さん。貴方の存在は厄介でした。招待客以外が来ること自体が想定外だったのに、貴方は探偵として捜査が出来るほどの知識があった。お陰で、ありとあらゆる計算が狂ってしまいましたよ。まぁ、ここまで時間稼ぎが出来たこと……それは、幸運でしたね。その二人の排除が、貴方に暴かれてしまう前に終わらなかったことが無念でなりませんよ」
「その二人ってのは……」
エメの復讐に燃える瞳に映っているのは、執事と少年の姿だった。
「そうですよ。探偵さん、私は貴方に危害を加えるつもりなどこれっぽっちもありません。ですから、ここから出て下さいませんか? 貴方は、私の復讐の相手ではない。間違えて殺してしまったら、それは私の道に反する行為なのです」
「それは出来ねぇな」
「何故です? 貴方は殺さないと申しておりますのに」
「はい、そうですか。ありがとう……なんて言ってここから出て行ったら、依頼人が死んじまうだろうが。それは困る。だって、依頼料が貰えねぇからな」
探偵のその言葉を聞き、エメは弾けるような笑みを浮かべて手を一度叩く。
「では、私が今お支払いしましょう。幸い、この屋敷には大金があります。本来なら燃やしてしまうつもりでしたが、そういうことならそれを譲渡しましょう。あの男と繋がりを持たぬ者の手に清い方法で渡るのなら、憤りは感じません」
「何様なんだ? お前は。俺は、こいつから貰わないといけねぇの!」
そして、彼は生まれたての小鹿のように震える少年を指差す。
「何故? 何故……分からないのでしょう。赤の他人である貴方が、たかが一つの依頼程度でここまで拘る理由が分かりません。その依頼料よりも、巨額のお金であることは理解出来ているはずですよ」
エメは、首を傾げる。心の奥底から、探偵の意図が理解出来ないからだ。
「たかが依頼、されど依頼。それをこなすことが、今後の信用に関わる。今まで、どんな依頼でも俺は受けてきた。それを、今ここで投げ出す訳にはいかんだろうが。救える命があって、救える者がいる。こいつらだけじゃねぇ、お前も……ここで救う」
それを聞いた瞬間、エメの顔から笑顔が消え激高した。その様子は、まるで爆弾が破裂したようであった。
「救いなど、今更求めていない! 本当に勝手だ……本当に。今の私にとっての救い、それは復讐を成し、あの男……父の痕跡を葬りさることだけだっ!」
エメは目に力を込め、少年達にその怒りに満ちた視線を向けようとした。それは、弟や娘に向けたものと同じ。つまり、猛炎の術を使おうとした。
しかし、察知した探偵が二人の前に庇うように立ち塞がった。
「っ!?」
慌てて、エメは目を閉じた。
「その魔術は、まだ開発途中だろう? だが、それなりに使いこなしているみたいだな。ここにあった資料で見て学んだのか?」
「……そうですよ。父は、物を誰かに預けるということをしない人のようでした。だから、ここに全てあったのです。どうせなら、これを使ってやろうと」
悔しさを滲ませながら、エメは目を開く。その瞳は、炎のような色に染まっていた。
「どれだけ使いこなしても、消しきれないリスクは背負っているようだな。短期間に使い過ぎたせいか? それとも、そういう副作用が元からあるのか?」
「資料によれば、前者のようですよ。面倒なもので、半日は空けなくてはならないようです。それを破ると、このように視界が炎のように真っ赤に染まってしまうみたいです。厄介なもので、永遠にこのまま……これでは、まるであの化け物達のようではありませんか。しかも、目を使った魔術の発動にはそれなりの時間経過が必要なのです。全く、貴方のせいですよ。不発に終わった上、こんな姿になってしまうなんて」
「あ、あの……」
探偵とエメが話していると、恐る恐るといった様子で少年が割って入る。
「先ほどから、父と……その、まさか……」
「あぁ、そうでしたね。私も、息子なんですよ。前妻の、ですが。つまり、貴方やあの小娘とは腹違いの兄弟ということになるんでしょう。哀れですね、あの男の血を引くばかりに……私の復讐心の対象になってしまうなど」
平然とした表情で、エメが衝撃の事実を述べる。それを聞いた少年は、呆然と口を開いたまま硬直してしまった。こんな場面で立て続けに兄と姉の存在が明らかになったのだ、その驚愕の大きさは計り知れない。
「先代から聞いておりましたが……そうでしたか、貴方が」
色々と悟った表情で執事は、心痛な面持ちでエメを見つめた。
「先代は、既に逝去されているようですね。彼には、何度も父に会うことを拒まれましたよ。命令とはいえ、子供の私には中々に手荒な方法で。その間に、母も亡くなり……行く意味を失いました。先代には、もしもまた私が現れたらどんな手段を使ってでも追い返すよう言付けでもされましたか?」
「えぇ。旦那様のお手を煩わせてはならないと」
「……私が煩わしいと? ただ、母の治療費を求めただけなのに? 子供が父に頼ることの何がいけなかったというのか……父は、母を愛していたと信じていた心すら嗤うというのかっ!」
やがて、エメの目からは涙が溢れ出て頬を伝う。
「私の救いは、母が助からなかった時点で失っている! その時からずっと、父の持つ全てのものを奪いたくて壊したくて堪らなかった。ようやく、ようやく……成せるはずだったのに! 探偵さん、この話を聞いても貴方はまだ……」
「認められないな。どんな理由であっても、殺人は許されない。それに、お前が殺したほとんどの人は無関係の者ばかり。もはや、それは復讐でもなんでもねぇだろう。罪は償わなければならない。それが、お前がこれからやるべきことだ。ここまでのことやったんだ、それくらい出来るよな?」
罪を償えと、ここまで自分の生きてきた全てを否定されたエメはうな垂れる。復讐を成すことだけが、生きがいだった。生きる意味だった。母を失ったその日から、ずっとそのことばかり考えていた。万物を持つ父から、全てを奪う方法だけを考えて生きてきたというのに。
『何も知らないくせに、なんて偉そうなんでしょう。この男が、どれだけ恵まれているのか分かる。その瞳、その身なり……私の立場など到底理解出来るはずもありませんね。この男に、これ以上無意味なだけ。ならば……』
そして、エメはゆっくりと顔を上げ、探偵に狂気に歪んだ笑みを向けて大きく一度頷いた。それを見た者達は、言葉がエメに届いたのだとそう――錯覚させられた。




