大樹に寄り添って
―太平の龍 レイヴンの森 夜―
左目からの出血がとまらない。そもそも、どうやって止血するのか分からない。人間として過ごした日が長過ぎたせいで、龍の体の扱い方を未だはっきりと思い出せないでいる。
「あ゛ぁ……もう、マジで目が痛い」
片目の損傷で済んだのは、幸いだ。放置していても勝手に治癒はされるが、時間はかかる。その間、世界中で起こるあらゆる出来事を見届けることがいつもよりは難しくなる。この目は、俺にとって命と同じくらい大切なものなのだ。なのに、あいつは感情に任せて俺の目を剣で貫きやがった。
(あいつ……ちゃんとやるよな? この国の中くらいなら、全員監視出来るか)
両目が使えなくなるだけで、ここまで規模が小さくなってしまうとは。父親のことをちょっとディスっただけで、あそこまで豹変する人間を初めて見た。あの瞬間の巽の動きは、人のものを超えていた。龍である俺が、恐怖を覚えてしまうくらいの俊敏な動きと予測の出来なさ、流石は龍の力を宿してもなお自我を持っているだけある。
「困ったもんだよ。なぁ、ドライアド……」
俺は、そう大樹に呼びかける。返事はない。当たり前だ。ドライアドは、大樹の中で深い眠りに落ちているのだから。
「でも、あれくらいやる男なら……心を鬼にするくらいはちょろいと思うだろ?」
あの後、俺は瓦礫に埋もれたドライアドを保護して飛び立った。そして、彼女に触れた時――ある衝撃の事実を知った。
ドライアドの中には、アーリヤの力はほとんど残っていなかったのだ。つまり――彼女は、自分自身の意思でアーリヤの下にいたということになる。最初こそは、洗脳の影響があったと思う。けれど、次第にそれは薄れていった。それでも、彼女が傍に居続けたのは忠誠心があったからだろう。長い期間、一緒に過ごしたから築かれた信頼。俺が得られなかったものを、アーリヤは手に入れた。
「俺は直接干渉出来ねぇ体になっちまったし、ここで大人しく本来の役割を果たすしかねぇ。見守りながら、お前の目覚めをのんびりと待つよ。何万年だって待ってやる、だから今はゆっくりと身を休めてくれ」
俺に出来るのは、見守ることだけ。かつてのように役割を放棄し、飛び回る訳にはいかないのだ。ここで、守るべきものを守る。それだけだ。過ちを繰り返さない為にも。ドライアドが目覚める日を楽しみに待ちながら、俺はこの世界と人々を見守り続ける。
「本当、ごめんな……本当に」
精霊の命に、死という概念はない。この世界がある限り、存在し続ける。ただ、魂は傷付く。深ければ深いほど、それを癒す為に深い眠りに落ちる。そう、ドライアドのように。
傷が癒えて目覚める日が来たら、ドライアドに謝罪するつもりだ。どれだけ罵られようとも、それを受け入れる。その覚悟なら、既に俺は出来ている。
(さて、俺も寝るか)
血はとまらないが、起きていても仕方がない。多分、寝た方が早く治癒するような気がする。だから、大樹に寄り添いながら、俺はそっと目を閉じた。




