カラスになれなくて
―アルモニア 回想―
研究所、それがあったのはレイヴンの森だ。神を自称する人間が造り、救いを求めたカラス達が集った場所。私様の両親も、救いを求めたカラスだった。
『ここでなら、普通に生活出来るって。カラスとして生きていけるって。良かったわね、アルモニア。もう我慢することもないのよ』
『嗚呼、父さん達ここで頑張って働くから。お前は、もう苦しむことはないんだ』
両親がどういう経緯で、研究所の話を手に入れたのか。どうして、そんな上手い話を信じてしまったのか。私様には、もう確認する術はない。過去に戻って変える力でも落ちてこない限りは。
研究所での生活が始まってすぐ、私様達は地獄を見ることになった。カラスとして生きることは出来ていた。けれど、基本的な尊厳は全て奪われてしまったのだから。両親と引き離され、私様は一人ぼっちで生きることになった。
『アルモニア。残念ながら、君はカラスとしての実験対象になり得ない。生まれ持って翼がないのが残念でならないよ。カラスの黒い翼にどこまで影響が出るかも知りたいからね。折角、大金はたいてまで沢山のカラスをここに置いている意味がない』
闇にまみれた研究所の所長、マーラ。両親に、甘言を囁いた張本人から私様はそう宣告された。私様は、結局こんな所でもカラスとして認識して貰えないのだと絶望した。
『だけどまぁ、君は美しい。失うのは惜しい。健康体ではあるしね。だから、君には助手としてやって貰おう。知識と技術をしっかりと見につけて、被験者をちゃんと観察するんだよ。きっと、君の大切な人の変わりゆく姿も見れるだろうからさ……』
それから、勉強漬けの日々が始まった。ただひたすらに机に向かい、紙の束を読み漁り、それを頭に叩き込む。理解出来るとか出来ないとか関係なく、ただ全てを丸暗記した。これをこなせなければ、私様は殺されてしまうと思ったから。
怖くて、苦しくて堪らなかった。だけど、何としてでも生きたかった。被験者達がマーラに気に入られようと様々な方法で誘惑し、生き長らえていたから。飽きられたら捨てられ、最悪殺される。それを何人も見てきたからこそ、私様は死に物狂いで学び続けた。自分に強く言い聞かせて。
『私様は出来る、私様だから出来る。他の馬鹿には出来ない。私様だから……私様だから!』
選ばれた、特別な存在なのだと自分自身に言い聞かせた。
そして、ある日マーラにガラス張りの部屋に連れて行かれた。そこで見た光景は、今でも鮮明に思い出せる。
『う゛う゛う゛う゛っ!』
『痛い痛イ痛いいタいよぉ!』
『喰わせろぉぉぉぉっ!』
鳥族としての威厳を失った姿の者、同胞を獣のように襲って食らう者、内面からの激痛に悶え苦しむ者、身をボロボロにして観察室から出ようとする者、ひたすらに泣き喚く者――そのいずれもが失敗作の諸症状に苦しんでいた。ここは、失敗作の観察場であることを理解した。
そして、文献を叩き込んだ私様には、彼らがもう使い物にならないことは分かった。つまり、行き着く先は処分。ただそれだけだった。
『君は、これを見てどう思う?』
『別に。私様と違って、馬鹿だからこうなってるんでしょ。使えないなら捨てればいい』
『しびれるなぁ。冷たいレディは、気持ちをたぎらせる。でも、この中には君のご両親もいるんだよ。気付かない? まぁ、そうか。すっかり異形になっちゃって、実の子供の君でも分からないよね。ほらほら、あそこだよ』
マーラが指差した先、そこには巨大なカラスのようなものが鎖に縛られて暴れていた。最初に見た時、一番観察する価値がないと思ったそれが両親だと言うのだ。失敗作の末期の状態、完全に手遅れだった。妄言だと反論出来なかったのは、噂話を信じ騙された馬鹿な両親だから――こうなっていても仕方ないと心のどこかで思っていたから。
『どう?』
『……あんな失敗作が、この私様の親? アハハ、笑えるわ。私様に観察しろって言ったわよね。あんな末期を見せられても困るわ。早く捨てて』
優れた私様に、劣った両親なんていらない。その後、その異形はすぐに姿を消した。
どうせ、ここから出られる訳なんてない。なら、必要なのは自分自身の価値を高めることだけだ。価値を下げるもの、それは全て排除しなくてはならない。たとえ、それが家族だったとしても。
そんな諦めの境地の中、突然研究所という名の牢獄は破壊された。今思えば、最高傑作の脱走から始まっていたのだと思う。マーラや関わっていた大人達はカラスや人間も見境なく殺された。そして、残された子供のほとんどが記憶を改ざんされ捏造され、組織に所属することとなった。器に見合わない力を宿す者達を監視し、万が一の際は苦しませず抹殺する為。それまでの間、彼らを守る為。
そして、私様は、その知識量だけを買われて生かされた。でも、それももうすぐ終わる。私様の番は、すぐそこにまで来ているのだから。




