新たな監視者
―学校 朝―
何とも言えぬ疲労感を抱えながら、僕は学校内をぶらついていた。周囲では、作業服の人達が忙しなく動き回っている。その邪魔にならぬように注意しながら、思案にふけっていた。
(僕が眠っている間、何かがあったって考えた方がいいのかな。気味が悪い)
僕自身、力を手放そうと思ってはいなかった。自然と出て行くのも、失ってしまったというのも冷静に考えると確率は低い。となると、やはり何者かに奪われたと考えた方がいいのだろうか。
(奪われたとしたら、一体誰に? アーナ先生? いや、でも彼女からそんな気配は微塵も……そもそも、ここにいたら普通は死んでしまうし。この学校にはいないって考えた方がいいのか……)
「みゃー!」
思案する僕の前に、突然一匹の黒猫がどこからともなく現れて立ち止まった。
「猫……首輪がないから、野良猫って奴かな?」
真ん丸の黄色い目で、じっと僕を見上げる。
「どうしたの? 僕に何か……ん?」
猫の足をよく見てみると、少し血が滲んでいた。どうやら、怪我をしているらしい。このままでは可哀想だ。僕はその場にしゃがみ込んでゆっくりと手を伸ばし、傷のある前足を軽く上げる。
「ごめんね、ちょっと足を貸してくれ」
野良猫は特に警戒心が強いと、昔読んだ本に書いてあったのを覚えている。だが、この黒猫は僕が足に触れても暴れたりはしなかった。人懐っこいタイプなのか、実は飼い猫なのか。
(新しい傷だな。まだ血が乾いてない。でも、見た目の割にはそこまで……)
「みゃーみゃ!」
あまりに大人しいものだから、傷の様子を観察していると猫が大きな声で鳴いた。早くしろと訴えるような鳴き声だった。
「あ、ごめんね。今すぐ……ん?」
僕は誰かが近付いてくる気配を感じ、顔を上げた。
「その猫は、触らない方がいいんじゃないかな~? ただの猫じゃないし。ほっといても、すぐに傷くらい治る猫だし」
そこにいたのは、ツインテールの黒髪の女性。トランプの記号が、沢山描かれた派手なワンピースを着ている。幼い感じの服装だ。年は、僕とそう変わらないように見えるが。
「は……? 貴方、誰ですか?」
「ふっふーん! 私様の名前は――」
「みゃーーーっ!」
「あぁ、ごめん!」
前足の一本を上げたままなのは、苦しいだろう。僕は急いで、傷に手をかざす。すると、柔らかな光が猫の足を包み込んでいった。手をのけると、傷は綺麗になくなっていた。浅い傷だったので、僕の治癒魔法でも簡単に治すことが出来た。
「良かった。ごめんね」
僕は足を離して、猫の頭を優しく撫でた。猫は身を委ね、気持ち良さそうに目を細める。
「……って、私様の話を聞け!」
傷を治せた満足感に浸っていると、女性が怒鳴った。そういえば、自己紹介をしようとしていたような気がする。
「あ、ごめんなさい。猫が可哀想だったし、可愛くて……」
「こんな可愛い格好で、無視された私の方が可哀想だわ! ふん。いい? よ~く聞きなさいよ。私様の名前は、アルモニア。貴方の次の監視者。クロエほど優しくないから、そこんとこよろしくね? まぁ、安心なさい。この私様が――」
「みゃう~」
アルモニアさんの身振り手振りの激しい二度目の自己紹介を聞いていると、黒猫が構って欲しそうに頭を僕の足にすり寄せてくる。それが、あまりにも誘惑的で愛らしく……つい、うっかりそっちに意識を持っていかれてしまった。その瞬間――。
「聞けって、この馬鹿男が!」
僕の顔すれすれを、ナイフが通り過ぎていった。恐る恐る顔を向けると、鬼のような形相で僕を睨みつけるアルモニアさんの姿があった。




