森を守る者
―アリア コットニー地区 夜―
私が、美月さんを背負ったまま何とかアーリヤの邸宅を脱出した時、辺りはすっかり薄暗くなっていた。不気味だった白い街並みも、闇に染まりつつある。そんな暗がりの中でも、凄惨な光景は目にしっかりと焼きついた。そして、その中央で倒れているジェシー教授の姿に気付いた。
地面の至る所に転がる住人だった者の亡骸の間を、歯を食いしばりながら通り抜けて彼の所に向かう。彼もすぐに気付いたようで、顔だけをこちらに向けた。
「……フフ、想像以上に大変だったぜ。最終的に、あの子は自分の力に飲み込まれて体ごと壊れて消滅しちまった。一部だというのに、恐ろしい力だ。俺は、見事にそれに巻き込まれてこうなっちまった」
「あぁ! 教授!? その体……!」
彼の体は四肢を失っていた。それでも、気丈に振舞う余裕を見せる。
「よそよそしいねぇ。昔みたいに、もっと馴れ馴れしくしてくれてもいいんだぜ。まぁ、気まずいのも分かるけどさ。神代の昔からの仲じゃんか……もっと腹割って話そうぜ、アリア」
「……やっぱり気付いていたんですね。でも、出来ません。今の私は人間としての、アリアですから。私に守れるのは、彼女の在り方だけです」
「ハハ、そうか。じゃ、仕方ねぇな。つーか、元部下なんだから、気付くに決まってんだろ。あの時のことを気にしてんじゃねぇかなぁ、ってずっと思ってたんだ」
「怒っていないのですか? 私は! 私のせいでっ!」
かつて、私はレイヴンの森に生きる精霊だった。司るは、風。しかし、私はその役割に誇りを持ったことは一度もなかった。理由は、つまらないから。ただ、それだけ。
私の司る風は、こんなにも自由に世界を旅するというのに、私はこの森を出ることすら許されない。それが、私には苦痛でしかなかった。それに、私以外にも風を司る精霊は多くいた。だから、私は掟を破った。その浅はかな考えが、悲劇を呼ぶことになることなど知りもせず。
「ハハ、俺に怒る資格があるとでも? 怒れるほど立派な上司じゃねぇ、俺は。ほとんどお前達を放置していた。気分が乗れば、たまに森によって身を休めるみたいなことをやって……都合のいい男だよなぁ、本当。そのくせ、俺の力の維持の為にお前達を縛り付けて。俺は、何一つしてやれなかった。託された身としては、愚か極まりない行為だと自覚してるぜ。ただ、気付くのが遅過ぎたよなぁ。ドライアドの件やお前の件、元凶は全てこの俺にある。ただ……もう、俺にはこの身体に留まって償う時間がない」
彼はそう悲しそうに笑うと、優しく私を見据える。その目を見て、私は確信する。彼は変わったのだ、私の知らぬ間に。人の世で生きたことが彼に影響を与えたということだろう。私も――変わりたい。
「じゃあ、貴方は……」
「心配することはねぇ。俺本体にはダメージはねぇんだから。兄弟の力の一部を取り出したものに負けるほど、ヤワじゃねぇってこった。むしろ、この地区に溢れる犠牲とそれを悲しむ奴らの想いのお陰で、力はすっかり取り戻してんだ。もう、この器は必要ない」
すると、彼を緑色の光が覆っていく。瞬く間に、光は大きな龍の形を作り出し空へと昇っていく。
(嗚呼……あのお姿、本当に)
恐ろしくも、雄大さと気品を兼ね備えたその姿こそ――彼のありのままの姿だ。ただ、その顔には後悔が滲んでいた。
「本当にすまなかった。俺は、守りたいものを何一つとして守れなかった。巻き込んで、苦しめて、自分だけはいつも……今回だってそうだ」
コットニー地区の玄関に、顔を向けて悲しさに彼は表情を歪める。
「これからは、罪を償いながら役目を果たし続けると誓おう。俺が殺した全ての者達に代わって、生きていく。勝手なことだとは自覚している。が、人の体を失った私にはそうする他ないのだ。幸い、この世界は巨大な牢獄としての役目を持っている。俺には都合がいい。罪人としての報いを受けよう、本来の居場所で。お前もいずれ、人としての生を終えたら必ず戻ってくることになるさ。もしも、お前が罰を望むのなら、そこで共に罰を受けよう。俺は、ずっとそこにいるからな」




