劇薬は身を
―美月 アーリヤの邸宅 夕方―
状況の著しい変化に、頭が追いつかない。最初、私達の敵として立ちはだかった巽が、突如としてアーリヤに歯向かい始めたのだから。
「巽っ! 駄目だわ……やっぱり声が届かない」
「無視されてるんですかね?」
「分からない。だけど、私達を何度か確認していたのは間違いないわ。夢中で、声に気付いていない可能性もあるけれど。私達には二人の会話が聞こえてくる訳だし、聞こえない位置ではないのよね。なのに、私達の声は……説明出来ない何かがあるのかしら」
「分からないことだらけですね。ただ、何にせよ……これでアーリヤの意識が私達から逸れました。今が……きゃっ!?」
「うわっ!?」
邪悪な気が、場に充満していくのと同時、大きく建物が揺れた。その衝撃で、壁の一部が崩れて私達はようやく解放された。
「痛たたた……大丈夫ですか?」
「うん、それにしてもこれはラッキーね。無駄な力を使わずに済んだし、早く巽を助けに行かないと。ただ……何なのかしら、この危険な香りは」
目に見えて分かる、二つの邪悪な気が対立しぶつかり合い、引っ張り合っているのが。どちらも強大でおぞましい。アーリヤと巽がお互いに怪しく目を光らせ、その気を増幅させていく。お互いに直接手を出している様子はない。一定の距離感で、アーリヤは睨み、巽は飄々とした笑みを浮かべて視線を絡ませている。
「あ、あの……あの巽は正気ではあるんですよね? 雰囲気がかなり違うんですけど……」
アリアが不安げな様子で、私の顔を覗き込む。
「うん。私には分かるわ、あの子の意思で全て行われていることだと。あの子も自分の口ではっきり言ってたでしょ。アーリヤの力を返すつもりはないって、自分の中にある以上自分のものだと……力への渇望、あの子らしいわ。ま、何にせよ敵は同じみたいだし……私達のやることは一つよ」
「そう、ですよね。このチャンス生かさない訳にはいきませんよね」
私達はもう自由、縛る物はもう何もない。それに、危なっかしいが味方が一人増えた。後のことは、後になってから考えた方がいい。今は、目の前で起こっていることを受けとめるべきだ。
「だけど、普通にやれば私達では足手まといになってしまう可能性の方が高いわ。だから……」
そして、私は魔法を使い、事前にクロエから貰っていたある物を空間から取り出す。
『――とっても危険なことだけど、リスクを背負わずして勝てるような相手じゃない。タイミングをしっかりと見計らって使うのよ。一時的とは言っても、完全に力を解放することになる。龍の力が使われた特殊なお酒だから、自然と収まるけれど、その後の疲労は計り知れない。後はしっかりと自分を持って戦えば、きっと……それだけの力がクロエにはあるもん。頑張ろっ!』
私にとっての劇薬――お酒だ。感情の解放と共に、普段は秘められた魔力も解放される。その力の大きさは、建物一つを優に破壊しうる。それを一度経験した。それ以来、なるべく関わらないようにしてきたものだ。
「美月さん、それは……?」
透明の瓶に入れられた少量の液体。事情を知らない彼女には、私の考えていることが読み取れないだろう。ましてや、これがお酒であるということは思いもしていないはずだ。
「劇薬かしらね。ちょっとドキドキするわ。お願いが二つあるんだけど……いいかしら?」
「そんな危険な物を……?」
「大丈夫、死ぬほどではないわ。でも、ちょっとヤバめなのよね。そのことで、アリアにいくつか頼みたい。一つは、引かないでってこと。後、もう一つは――」




