命を賭して
―コットニー地区 早朝―
「――あ~あ、言っちまったなぁ!?」
辺りに響く下品な声。けらけらと嘲笑いながら、赤子を抱いた一人の男――ロイが姿を現す。
「い、嫌……そんな、私はっ!」
母親は、顔を真っ青にして悲痛な声を上げる。
「可哀想になぁ。馬鹿な母親のせいで、何も知らずに死んでいくことになるなんてよぉ!? ぎゃはははは!」
ロイは卑劣な笑い声を響かせながら僕の横を通り過ぎ、母親の前に立つ。
「お願い……します。私はどうなっても構いませんから、その子だけは……!」
「そういうことをする時は、もっと静かにやらないといけませんよ? いつ、どこで、誰が聞いているか分かんねぇからなぁ!?」
「きゃあっ!?」
座り込んで震える母親を、ロイは荒々しく蹴り飛ばした。
「おらおらぁ! 見世物じゃねぇんだよ、てめぇらは働けやぁ!」
「言うことを聞かねぇと、てめぇらもぶっ殺すぞ!?」
連れの柄の悪い男達が、周囲で様子を伺っていたカラス達を威圧する。それに恐怖した彼らは、慌てて逃げていく。マフィアの言葉はだたの脅しではない。常識や良識など失っているマフィアは、実際に行動をする。
それが分かっているからこそ、彼らは飛び散るように逃げ去ったのだ。
「さて……まずは、こいつを――」
「やめろ」
僕はロイに接近し、背後に立った。
「ハハッ、脅しのつもりかよぉ!? いいのかぁ? 下手に私に触れると、この子供が死ぬぞぉ!?」
彼は視線だけを僅かにこちらに向けて、卑しく笑う。そして、子供の首に刃物を向けた。流石にマフィアのボスをやっているだけあって、単純な接近には気付いた。
「いい度胸だ……」
(下手に近付けないってことか)
しかし、こんな奴に遅れを取る訳にはいかない。多少のハンデがこちらにあるとはいえ、今まで数々の鍛錬をこなしてきたのだからどうにか出来るはずだ。この男が相手ならば。
脳裏に浮かぶのは、惨めに無様にアレンさんに踏まれる哀れな様。どれだけ高圧的であったとしても、僕はその姿を知っている。そんな奴に負けるなんて、僕のプライドが許さない。
(どうしたものか)
一度、彼から距離を取る。腕の中で眠る赤子、地面で転がる母親――これらを殺さずに勝つ方法を見つけ出さなければ。
(この際、やり方にこだわっている場合ではないな。何が何でも絶対に――勝つ。あの力を使ってでも!)
「私に喧嘩を売るということは……どういうことか分かっているな? 今の私は、お前より上の立場だ。この場所で上の者に歯向かうということが、どれほど愚かか。命が保障されると思うなよ?」
「ハハハハハハ! ぽっと出の若造がイキがってんじゃねぇぞぉぉ!?」
「身のほどというものが分かっていないようだ。その思いは揺らがぬようだな。その度胸を買って、私も命懸けで行かせて貰う!」
「やってみろよぉ!? 出来るもんならなぁ!?」
この男は、死に嫌われ、生きることに呪われた僕という存在を舐めているようだ。命懸けの勝負に乗った時点で、既に決着が着いているということを――この男はまだ知らない。




