番外編 IF激辛バレンタイン
―ジェシー 学校 夕方―
「じゃーん!」
俺が赤いバラの花束を登場と共にに差し出すと、アーナ先生は顔をしかめる。
「何ですかぁ? 帰って下さい~。見ての通り、私は忙しいんですよぉ」
そう言って、彼女はいくつか紙を掴んでひらひらと揺らす。
「今日はバレンタインデーだぜ? そんな寂しいこと言わずに、そろそろ受け取ってくれよ」
「じゃあ、その辺に適当に捨てといて下さい」
「酷っ!? 受け取らないだけじゃなくて、捨てとけなんて酷っ!」
「例年通りじゃないですかぁ?」
「例年より酷いぜ!? 去年までは、とりあえず飾っといてくれたじゃねぇかよ~」
毎年バレンタインデーになると、俺はアーナ先生に赤いバラを贈っている。この赤いバラには特別な意味がある。けれど、俺の愛は未だ受けとめて貰えない。毎年毎年玉砕している。
「だって、いらないですもん~」
「表面上だけでもいいから、とりあえず飾ってくれよ!」
「はぁ……いいですかぁ? 好きでもない人から貰う重苦しいプレゼントほど、面倒臭くて腹立たしいものはないんですよぉ?」
「グサグサくるねぇ……いいぜ! 俺は諦めねぇ!」
俺の経験の中で、拒絶されるということがなかった。だから、こんなに燃え上がる想いを孕むようになってしまったのかもしれない。
「マジでキモイんですよぉ。ストーカー野郎と何ら変わりはないですよぉ?」
「え? そこまでじゃないだろ?」
「毎日毎日暇があれば紅茶を飲みに来る奴が何をほざいてるんですかぁ? 来るなって言ってるじゃないですかぁ」
「そうか……分かった。アーナ先生をそこまで不快な気持ちにさせていたのなら……俺は保健室に、紅茶を飲みに行くのを――」
彼女を振り返らせたい、そうは思っているが彼女を苦しめたい訳ではない。無理矢理手に入れたものに、幸せなどありはしないのだ。あくまで、彼女の気持ちを引き寄せるだけ。そこに、嫌悪感や不快感があってはいけないのだ。
「一日に一回にする!」
でも、紅茶はしっかりと頂きたい。それだけは譲れない。
「一日に一回ってことは、毎日来るつもりなんですねぇ!? はぁ……」
アーナ先生は珍しく声を荒げ、疲れたようにため息をついた。
「今日は、俺の勝ちだな」
普段だったら、彼女のペースに巻き込まれている。なのに、今日は彼女がつっこんだ。つまり、俺の勝ちだ。多分。
「そんなことで勝った気にならないで欲しいですね。子供じゃないんですから。まぁ、もういいですよ。折角、色々用意してあげたのに……そんなくだらない姿を見せられると、萎えますね」
「え!? 何!?」
彼女は、机の引き出しの中から小さなピンク色の箱を取り出した。そして、その蓋を開けると――そこにはチョコがあった。
「これは……チョコ!?」
「ええ、チョコですぅ。教授はウザいですけど、普段からそれなりにお世話になっていることに違いはないですからねぇ。巷の流行に乗って、作ってみましたよ」
チョコは、可愛らしい小さなハート型の茶色いチョコが五個あった。願わくば、これを全部貰って、しっかりと味を噛み締めながら頂きたい。
「……食べてみますぅ?」
「いいの!? 信じられない、こんなことってあるんだ!?」
「えぇ、これは現実ですよぉ。ただぁ……」
「ただ?」
すると、彼女はいやらしく不敵に微笑んだ。
「この中の内、四つはデスソースが入ってるんですぅ。普通の味を引き当てられるかは、教授の運次第って所ですかねぇ」
「え?」
デスソースといえば、舌から体が燃え上がるほど辛いと聞いた覚えがある。時に死者も出てしまうほどの辛さを誇るもの。
(なんて物を入れてんだ!?)
「どうしたんですかぁ? 食べないんですかぁ? 私のこと、好きなんですよねぇ? 想いを受けとめて欲しいんですよねぇ? デスソース入りのチョコの中から、普通の美味しいチョコを見つけ出せるくらいのことは出来ますよねぇ?」
悪魔だ。目の前にいるのは笑顔で人を殺す悪魔だ。いや、悪魔は言い過ぎだ。小悪魔くらいだ。今の彼女に殺されたなら、血すら残らないような気がする。
「くっそぉ~……」
「いらないんならいいんですよ、バラは捨てるだけですぅ」
「駄目だっ! それだけは! 分かった。分かったから、だからっ! せめて、バラは飾ってくれっ!」
「はい、じゃあどうぞぉ」
差し出されるパンドラの箱。この中にあるのは、ほとんどが災い。その中の一つの幸福を、俺は掴み取らなければならない。それを持って、彼女への愛を証明しなければならない。
ならば――やるしかない。俺は、恐る恐るその箱に手を入れる。そして、一つのチョコに狙いを定め手に取ろうとした時だ。
「それでいいんですかぁ?」
「え?」
「そのチョコにはもしかしたら、デスソースが入っているかもしれないんですよぉ。そんなにあっさりと決めてしまっていいものかなぁと」
そう言われると、手に取ろうとしたチョコにはぎっしりとデスソースが入っているように感じてくる。ならば、と俺は隣のチョコに手を伸ばしたのだが――。
「ウフフフ……」
俺の不安を煽るような笑い声、思わず手がとまる。
「何だよ!?」
「いいえ、別に……それを選ぶんだなぁと思いましてぇ」
「くっ、俺を揺さぶってんのか?」
「揺さぶってなんかいませんよぉ。私の言葉に対して、勝手に揺さぶられているのは教授の方なんですから……ねぇ?」
嗚呼、俺のバレンタインデーは甘酸っぱいものとは程遠いらしい。甘酸っぱい所か、激辛だ。けれど、それもいい。他者とは違う恋、それもまた一興。
「フフ、流石はアーナ先生だ。俺を簡単に手のひらの上に乗せやがる……そういう所が、大好きなんだ」
そして、俺は一番端っこにあったチョコを手に取って、覚悟を決めて口の中に放り込んだ。
「んま……ん゛んっがっ!?」
甘い壁を通り抜け、舌をつんざくような辛さが刺激する。甘さと辛さが混ざって、何とも言えない味が口中に広まっていった。
「ウフフフフ! 残念でしたぁ!」
不幸を嘲笑う、天使の仮面を被った小悪魔の笑い声。恥ずかしいものだ、好きな人の目の前で醜態を晒してしまったのだから。
(でも……アーナ先生が笑ってくれるなら、それでもいいかもなぁ……)
好きな人の笑顔は、どんなプレゼントよりも――美しく尊い。俺は、この笑顔を守りたい。いや、守らねばならないのだ。




