花咲く前に枯れ果てる
―アレン アーリヤの邸宅 夜―
「――消えた」
アーリヤ様の低い声と同時に響く、甲高い食器の割れる音。
「あれ? どうかしました?」
視線を向けると、彼女が先ほどまで優雅に紅茶を飲んでいたマグカップが粉々に割れていた。
「アーリヤ様、お怪我はありませんか!?」
音に反応して、彼女の対角線上の位置で熱心に本を読んでいたアシュレイが飛んでくる。アシュレイは、すぐに跪くと飛び散った破片を確認した後、椅子に座るアーリヤ様の手を取る。
「怪我などしておらぬわ。食器に傷を付けられるほど、わらわはか弱くないでの」
不機嫌そうな様子で、そんなアシュレイを睨む。今は触れて欲しくないのだろう。だが、そんなこと気付いていないのか、気にもしていないのかアシュレイは続ける。
「良かった。麗しいアーリヤ様の御手に、傷などあってはなりませんから」
「……アシュレイ、わらわから離れよ」
「でも……」
「離れよ!」
「も、申し訳ございません」
声を荒げられ、流石に慄いたのか、ようやくアシュレイは慌てて彼女から離れる。
(珍しくかなり気が立ってるな。こんなこと……中々ない。一体、何があったというんだ?)
八つ当たりされてしまう可能性もあったが、事情は聞かねば分からない。俺は覚悟を決めて、彼女に近付く。
「まぁまぁ、そう怒らずに。アシュレイも心配してくれてる訳なんですから。それより、何が消えたんですか?」
「……タレンタム・マギアの選抜者達の心の中で育まれていた種が、自然に消滅したのじゃ。急激に成長したかと思えば、花開く前に枯れ果てた。今までこんなこと……一体何故!?」
椅子に座って怒りに震えていた彼女は立ち上がり、俺に迫る。
(おぉ、怖い)
「まぁ、そんなこともありますよ。彼らも日々成長しているでしょうから。それに、あの学校は一応太平の龍のお膝元ですし」
「わらわの力が、奴に負けたということか……」
握り締められた拳が、小刻みに震える。
「今回は、ね。でも、あんなちっぽけな集団を失ったくらい大したことではないでしょう。アーリヤ様には、もうあの巽君がいるんですよ。他の者とは比にはならないくらい大きな負の感情を持ち、種を育てる存在。彼さえ失わなければ、アーリヤ様は完全に復活出来ます」
今の彼女は完全体ではない。長い間封印されていたことが原因で、力の一部がまだ眠っている状態なのだ。その力を覚醒させる為にも、彼女にとってのエネルギーである負の感情を集める必要がある。
それを妨害された。だから、彼女は怒りに震えている。
「そうじゃ、そうじゃが……負けたという事実は変わらぬ! わらわはそれが許せぬのじゃ!」
(時が経てば、彼女は力を取り戻せる。だけど、それを待っていれば……向こうも完全体になってしまうかもしれない。急激に進ませる方法……やはり、巽君しかいない。あの足拭きマット君を急かさないとなぁ)
巽君に絶望的なショックを与えれば、こちら側が先に覚醒することが出来るかもしれない。これは時間との戦い。遅かった方の負け。
(あいつはちゃんとやってるんだよね? あまり彼女の力の覚醒は見られない。ここまで気が立っているのは、そのせいもあるだろうし……はぁ、困ったもんだな)
「分かりました。なら、次の勝負では勝ちましょう。俺にお任せ下さい」
俺は彼女の手を取って跪き、そっと手の甲にキスをした。




