小さな汚れ
―ボス 学校 昼―
自分が命令を下してから数分後、エトワールが体をこちらに向けて戻ってくるのが見えた。
「あれ? 何か戻ってきてますけど」
「ジェシーがやってくれるみたいだね。よく見えないけど。う~ん、このベール取りたい」
景色が、遠くまでははっきりと見通すことが出来ない。この格好をしている時は、基本的に推測だけで物事を進めなくてはならない。
「それは駄目ですよ。どこでどう誰が見ているのか分からない……最初に、そう言ったのはボスでしょう?」
「はぁ……そうだね。さっさとこんな立場捨ててしまいたいよ。持っててもな~んも徳がない」
ただただ縛られるだけ。上に行けば行くほど、堅苦しい職場であればあるほど。
「もう少しの辛抱じゃないですか」
「確かにそうだけど、目標が近くなればなるほど我慢するのが難しくなってくるんだよ」
今までの時を考えれば、目標達成までの期間などまばたき同然だ。けれど、ここに来て気だるさを覚えた。目標が見えてくればくるほど、今まで積み上げてきたものから逃げ出したくなってしまいたくなる。久しく、忘れていた感覚だ。
「ふ~ん……」
ヴィンスは自分の話に興味を失ってしまったようで、近付いてくるエトワールに視線を向けて笑顔を浮かべた。
「お帰りなさ~い」
「ただいま戻りました。命令の実行に関しましては、俺ではなく……ジェシーが適任であると判断致しました。信頼関係もしっかり築かれているようで、私が下手な言葉で説得するよりはそちら方が良いかと」
エトワールは、顔全体を分厚いマスクで覆い隠している。しかも、出会ったのは最近のこと。警戒されることがあっても、信頼関係なんて微塵もないだろう。この場にいる者では、ジェシーを除けばエトワールくらいのものだと思っていた。
(ま、ジェシーが調子を取り戻したのならそれでいいか)
「そうだねぇ、言う通り」
「結構あっさりしてますね」
「まぁ、平和的解決が出来るなら誰でも良かったから。ヴィンスは絶対に無理だろ? 絶対血祭りになると思ったから」
幼い頃からよく見てきたから分かる。彼は一度スイッチが入ると、どうにもならない。気絶させるか、飽きるか――ともかく、彼には向いてない。
「平和的解決なら、ますますジェシーの方が適任であるように思うのですが……俺は」
「確かに、太平を司る龍ですよね。元々は」
「こんなちっぽけな争いに力を使っていたら、いつまで経っても彼は復活出来ないでしょ。全盛期の彼ならともかく……今は仮初の姿だよ。それに、元々は、小さなな争いは必要だと考えているような奴だったんだ。人間になってしまったせいで、色々足かせが邪魔をしているようでさ。本来、彼の太平は広義的での太平だ。ま、そういうことさ」
こんな一対一の人間関係のこじれくらいで、力を使っていたら何も進まない。切り捨てるべきものとそうでないものに分けるのなら、これは間違いなく前者。
「ま、それもそうですね。こんなに広い世界で、小さな汚れを気にしていたら……何も進みませんね」
そう、こんな小さな汚れは自力で解決出来る。経験がモノをいう。ジェシーの底力を、自分は――信じている。




