甘い物と姫君がオアシス
―ドライアド アーリヤの邸宅 昼―
――過去のことを、少し思い返してしまった。哀れな精霊としての私と決別した時のこと。そして、あの男と出会ってしまった時のこと。
決別したことを後悔などはしていない。だが、自然が身近にないのは寂しかった。だから、魔法でそれっぽい空間を生み出して自分にとって最適な環境を整えている。
(あれからもうどれくらい経っただろうな? 姫君と共に過ごす中で、私は多くのことを学び理解した)
この世界は、私の思っている以上に大きかった。多くの者と触れ合った。そして、心の揺れ動く様を理解した。私の中の感情もそれによって少しずつではあるが、分かるようになった。
しかし、自分の感情は姫君以外の他人には簡単に理解して貰えるものではなかった。そう、例えば――あの男のように。
(まさか、あいつが姫君のこんなにも傍にいる存在だったとはな。お陰で、様々な感情を理解出来た)
今なら分かる。私は、あの瞬間にあの男に恋をしてしまったのだということを。雷にでも打たれたかのような恋だった。それが、私の初恋。あいつが他の女と話す時、姫君と親しげに話している姿を見ると無性に腹が立ってならなかった。
その私が恋をした相手は、普通ではなかった。人間でありながら、精霊である私と大差なく生き続けている。姿や名前を変えながら――。
かつて、あいつの名前はアレスだった。あの姿と名前こそが、あいつの本来の姿だ。たまに忘れてしまいそうになる。
(しかしまぁ、運命とはおぞましいものだ)
あの男を除いた私達全員は、かつて目的達成半ばで封印されてしまった。故に、最近まで私達は眠り続けていた。強固であった封印を解いたのは、全てに失望し切ったカラスの少女。彼女の腕には、汚れた本が抱かれていた。
その少女の隣には、アレスがいた。最初の彼の姿に戻っていたのだから驚いた。しかし、そんなことありえない。何故なら、アレスの肉体は年を取り死を迎えたから。私は、その肉体が朽ちていく様をこの目でしっかりと見届けた。
(新たな器として魂を宿した肉体が、まさか……あいつの妹の子孫だったとは。あんな偶然があるものなのだな。声や姿、それらがほぼ出会った時のアレスにそっくりであるなんてな)
私が好きになった男の若い頃と瓜二つ。髪形などに多少の違いはあったとはいえ、微々たるものだった。新たな器の名は、アレンといった。
(どれだけ姿が変わろうともこの思いは変えられなかった。なのに、私が好きになった奴とよく似た姿になってしまったら……ますます、気付いてくれないあいつに腹が立つようになった。変に思い返してしまったせいで、イライラしてきた。しかも、目の前に役立たずがいるせいで余計に腹が立つな)
私の部屋にノックもせず入ろうとしてきた巽という男。類稀なる能力を買われ、姫君の傍にいる。私達と違って、絶対的な不死身。それでいて、凄まじい負の感情。それくらいしか利用価値のない奴。大した功績もないくせに、傲慢な態度を取る。不死身でなければ、この手で抹殺してやっていた所だ。
「――あの、もういいですか?」
巽は、一刻も早く立ち去りたそうに足踏みをした。
(何なんだ、この男は……!)
悪びれる様子も見せない。一発くらいなら殴っても、事故として処理しても許されそうなものだ。しかし、この男は姫君の大切な所有物。私如きが、傷を負わせていい存在ではない。悔しいが、ここは堪えなければ。
(……もう、ブリオッシュはないよな。甘い物を補給しに行くか。確か、キッチンにアップルパイがあったはずだ。甘い物は私にとって、姫君の次にオアシス……そうだ! 姫君と一緒に食すとしよう。こんな男はもう放っておこう)
「もういい。キッチンに行くから、そこをどけ」
あらゆるストレスを発散する為の最善の方法を思いついた。私は、巽とその後ろにいる少女を押しのけキッチンに歩みを進めることにした。




