精霊は恋に堕ちた
―ドライアド レイヴンの森 数百年前―
このままでは、私は私でなくなってしまう――直感的にそれを悟った。しかし、悟っただけでどうすることも出来なかった。
「そなたは、どれだけの間、独りぼっちじゃったのかの?」
「私は……独りなどではない。私には、あのお方が……」
そうだ、私にはあのお方がいる。私に命を与え、ここで神樹を守る使命を与えて下さった方が。
「ほう、そやつと最後に会ったのはいつじゃ?」
「それ、は……」
私が、最後にあのお方と会ったのは――私が造られたその日。私にこの神樹を守り続けるよう言って、それっきり。私はずっとその言葉通りにしてきた。何も考えず、命令のままに。
女の言葉を聞いて、生まれて初めてそのことに対して違和感を覚えた。当たり前であったことは、おかしかったのではないかと。
「フフフ、所詮そなたはそいつにとってその程度の存在であるということじゃ。現に、そなたは名前すら与えられておらぬ。面倒な仕事を、そなたを造って押し付けた。ただ、それだけのことじゃ。太平を司る龍……笑えるのぉ」
「あのお方のことを馬鹿にする、な……」
意識が朦朧とし、視界がくらりくらりと歪む。女の顔が二つや三つにも重なって見える。
「立派な忠誠心じゃのぉ。疑ったことすらないのじゃろう。哀れな精霊じゃ。労わられたこともなく、愛されたこともない。現に、こんな状況でも助けに来ない。ここはあいつにとって、本来の聖域。異分子である私のことに気付いているはずじゃ」
「勝手なことを、推測だけで語るな!」
「フフ……わらわは真実しか言っておらぬがのぉ。まぁ良い、では別の世間話――アレスの話でもしようか」
「っ!?」
その名前を聞いた瞬間、入り込んでくる邪悪な力が私の中で増大していくのを感じた。
「端的に言えば……そなた、恋をしたであろう?」
「恋?」
「ふむ、分からぬか? アレスに一目惚れしたんじゃ、そなたは。しかし、アレスはそなたのことなど何とも思ってはおらんかった。それは、そなたも感じたことじゃろう? 一方的に話すだけ話して、道案内させるだけして、去っていったんじゃからの」
女は、まるで全ての出来事を見ていたかのように語った。
「何故、それを……」
「今のわらわとそなたは一心同体。そなたの体感したことは、全て分かる。感じたことものぉ」
「分かる……? 私の?」
「そうじゃ、分かる。それでも、わらわはアレスのようにそなたを拒否したりはせぬ。そなたが向ける憎しみも全て受け入れよう」
これ以上、この女の話を聞いてはいけないと思った。けれど、妙にその女の言葉は私に溶け込み――今までの境遇を全て納得させた。全ての複雑な感情の発生の理由を、丸く収めてくれた。
(私の心が見ることが出来るこの女と一緒にいれば……この感情について、分かるかもしれない)
次第に、そんな考えが私の心の中で芽生えた。
「わらわの傍におれば、アレスの近くにおれる。そうすれば、その感情もいずれ理解出来るようになるであろう。さあ、どうする?」
「私、私は……」
心が真っ黒に塗り潰されていくのを感じた。けれど、目の前にいる女こそ、いやこの方は私にとって一筋の希望の光のように見えて――。
「貴方と共に……」
だから、私は彼女を受け入れた。瞬間、視界は真っ暗な闇に覆われて何も見えなくなった。




