精霊は恋をするⅣ
―ドライアド レイヴンの森付近 数百年前―
「――着いたぞ」
案内の時間は、あっという間だった。アレスの一方的な会話を黙って聞いていただけ。その会話に所々、アーリヤという女や妹の話が出てきた。その話を聞くのは、つまらなくて苦しかった。
「うわ~! 凄い、こんなに簡単に森の外に出られるなんてなぁ!」
アレスはステップを刻みながら、私の下から一歩、また一歩と遠ざかっていく。私のことなんてもう忘れてしまったみたいに。
「待て……」
絞り出した声は、遠くに消えていく彼には届かなかった。結局、彼は一度も振り返ることはなく、こちらに気を遣う様子もなく去っていった。
(利用して、利用し終わったらさよならか……)
「フフフフフフ……ハハハハハハハハハ!」
滑稽で、くだらなくて、悲しくて、自分が情けなくて――笑いがとまらなかった。そんな私を見て、森に生きる動物達の恐怖に怯える声が聞こえた。
「……見るなっ!」
誰かに無様な姿を見られている。そう思うと、羞恥の感情が湧き出てこの場に留まっていることが耐えられなくなった。だから、逃げた。ずっと居続けた場所に、神樹のある私の居場所に。
―ドライアド レイヴンの森 数百年前―
ここに来るまでの記憶はほとんどない。ひたすらにただ真っ直ぐに走り続け、神樹の前で崩れ落ちた。
「うぅぅ……う、ぅうっ……」
神樹に触れた瞬間、涙が溢れてとまらなくなった。泣いたのは、生まれて初めてだ。何故、こんなにも涙がとまらないのか理解出来ない。制御不能になった涙が、地面を濡らす。
(これではまるで、アリアのようではないか……)
内心、見下し続けていた相手だ。感情を剥き出しにし、人間のような振る舞いが多い同じ精霊であるアリアを軽蔑していた。自身の持ち場を勝手に離れ、好奇心のままに行動する彼女を。
でも、どうやらそれは間違っていたらしい。私が知らなかっただけなのだ。ずっとあのお方に言われるがままの生活をしていた私が未熟だっただけなのだ。
どれだけ泣いても涙がとまらなかった。悲しみや怒り――その感情をぶつけるように泣き続けた。その期間は半年だったかもしれないし、数年に渡ったかもしれない。それでも涙は枯れなかった。
「哀れな精霊じゃのぉ」
無防備に流れていた涙を、背後から何者かに拭われた。優しく、慰めるような手で。
「誰だっ!?」
「わらわはアーリヤ。そなたが羨む相手じゃ。フフフフ……」
「え……?」
顔を恐る恐る声のする方へ向けた。すると、そこには邪悪な気に包まれた紫髪の女性がいた。見てすぐに分かった。人間ではない、私によく似た別の存在であると。
(アレスが私を見て、驚かなかったのは……既に……)
「こんな所で独りで泣き続けても仕方あるまい。わらわと共に来い」
「断るっ! お前なんかと一緒に行くものかっ!」
私は身の危険を覚え、即座に女を振り払い距離を取る。その時に見えた周囲の景色は、紫色の霧に覆われて不気味な様子に様変わりしていた。私があんなにも愛した緑溢れるレイヴンの森は、もうそこにはなかった。
「強がるでない、わらわには分かる。そなたの気持ちが」
「分かるものか!」
私が怒鳴ると、木々がそれに反応するように激しく揺れた。
自分自身でよく分かっていない感情を、他者が理解出来るはずもない。この女は、わざわざここを見つけ出し私を嘲笑いに来たに違いない。
「わらわは負の感情より生まれた存在。そなたと同じ精霊。一つ相違点を挙げるなら、わらわは龍によって作られた存在でないということかのぉ」
「負の感情……?」
「そうじゃ。わらわは人間によって生み出された。じゃが、それ以外、わらわと同じじゃ。ほぼ同じ存在である、そなたとわらわは分かり合えるはずじゃ。寿命という概念も存在せず、老いというものもない。のぉ、わらわはそなたを救いたい。孤独に埋もれ、使命に脅かされるそなたの運命を――」
女は、私に手を向けた。
「うあっ!?」
刹那、体がふわりと勝手に宙に浮き、身動きが出来なくなった。そんな私の体に邪悪な力が入り込んでくる。
「そなたの深い悲しみや怒り、憎しみ――それがわらわにとって素晴らしい力になるであろう。偶然の産物であるようだが、あの男には感謝せねばならぬのぉ。流石は、わらわを造った男じゃ。さて……後、一押しと言った所か」
その絶え間なく流れ込んでくる力を、拒絶することは出来なかった。




