不自然さ
―コットニー地区 夜―
その後、ドールと分かれ無の空間と呼ばれる場所から出た僕は、このモヤモヤとした気持ちを解消する為に夕方に出会ったあの親子を探した。
コットニー地区という限られた場所であれど、それなりの広さがある所だ。見つけ出すのにも時間がかかると思っていたのだが――。
「あ……」
目が合った瞬間、母親は声を漏らした。
「えっ」
夕方、最初に出会った場所に行ってみると母親の姿があった。まるで、待ち構えていたかのような……。
「こ、こんばんは。先ほどはどうも……」
彼女は引きつった笑顔を浮かべながら、こちらに歩み寄った。
「何故、ここにいる……?」
「え、えっと……ちょっと空を眺めてて……」
「空を? わざわざ、こんな場所で?」
しかも、ここは彼女にとって嫌な場所であるはず。マフィアに因縁をつけられ、血の雨を見た場所。普通、こんな所で空を眺めようだなんて思わないだろう。マフィアの姿は既になかったが、血だまりの痕がこの暗さでも分かった。
「え、えぇ……」
(なんだ? 妙だな)
不自然さと違和感が、この場を支配している。偶然がそれをもたらしたのか、それとも必然的に用意されているものなのか――残念ながら、僕では確信を得られなかった。
「そ、それより……貴方様もこんな所でどうしたんですか?」
「……お前を探していた」
「わ……私をですか?」
「嗚呼……」
何というか、彼女の態度はわざとらしい。妙な引っかかり、胸の奥がざわざわとする感じ。気持ちが悪い。 ようやくこの気持ちも収まると思ったのに、出会ったことで余計にモヤモヤとしてくるなんて。これ以上、この母親と話していたくない。
「何用で、でしょうか?」
「勘違いするな、お前たちの為じゃない。私のこの気持ちを解決する為だけにやることだ。これをくれてやる」
(さっさと用事を終わらせよう)
僕は、野菜スティックとパンとスープを取り出した。ドールが用意してくれたものだ。僕がそれを差し出すと、彼女はそれらを震えながら恐る恐るといった様子で受け取った。
「こ……これを私に?」
「お前が死ねば、あの赤子は独りになる。私の心がそれを許さぬだけだ。これ以上のことを言うつもりはない。ん? そういえば、赤子はどうした?」
他のことに気を取られ過ぎて、あの赤子を彼女が抱いていなかったことに気付かなかった。マフィアに目を付けられていた時には、あんなに大事そうに抱いていたというのに。
流石に、あの幼子を夜の暗がりに一人放置させることは危険であるはず。母親としても、赤子と離れることは不安で仕方がないはずだ。
「え、あ……他の人に見て貰ってて……」
彼女は引きつった笑顔を浮かべたまま、そのまま一歩後ろに下がった。
「この空を眺めるのに、あの赤子は邪魔だったのか?」
「そ、そういう訳では! ただ一人になりたい時も……あるんですっ!」
僕が問うと、苦虫を嚙み潰すような表情で彼女は言った。
「そうか……まぁ、別にどちらでも良い。一つ問おう、お前には家はあるか?」
「い、一応……ありますが」
「どこだ?」
「ホーリーロード通り沿いにあります。壊れた像の目の前に……恐らくすぐに分かって頂けるかと」
(そんな通りがあるのか……)
「分かった」
無駄話をするつもりはない、僕には、これ以上にもっとやるべきことがあるのだから。これをしなければ、これからの活動に支障が出るような気がしたから優先的にやったまで。ただ、それだけだ。
僕はアーリヤ様の邸宅に行く為、彼女に背を向けて歪んだ黒い空間――即ち無の空間を発生させ、そこに向かって歩んだ。




