気にもしない
―コットニー地区 夕方―
「――はっくしょん!」
急激に鼻がむず痒くなって、僕は恥ずかしいくらい大きなくしゃみをしてしまった。
(風邪でも引いたか? でも、まだそんな時期でもないような……いや、風邪は年中無休か)
周りにいるカラス達は僕のくしゃみなど、いやそもそも僕そのものに気にかけている余裕はなさそうだ。忙しなく、彼らは与えられた奴隷的な仕事を今日を生きていく為にこなしている。
(きっと、僕がここにいることすら見えていないんだろうな。自分達のことだけで、今この瞬間をやり過ごすことだけで精一杯なんだろうし)
彼らの目に、希望はない。死んだ魚のような目だ。見ているだけで、虫唾が走る。
(どうでもいい、僕が気にしてどうする。奴らのことなど、いてもいないものだと思えば……)
カラス達は、僕のことなど気付いてすらいないのに。そんな自身の不甲斐なさを恥じた。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
色々考えながら歩いていると、何かを訴える赤子の泣き声が近くから聞こえた。
「うっせぇんだよ、この餓鬼黙らせろよ!」
「すみません、すみません!」
声のする方を見てみると、そこには生まれて間もない赤子を抱く髪の長い女性とそれを睨みつける柄の悪いマフィアの姿があった。
母親は赤子を守るように抱き締めながら、必死に頭を下げていた。マフィアの方は、片手を挙げて今にも殴りかかろうとしていた。
(……どうでもいい、どうでもいい)
関係のないことだ、そう思って立ち去ろうとした。しかし、
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
その泣き声が、僕を冷静にはしてくれなかった。足は前に進まなかった。それどころか、足は母親達の方へと向かっていた。
「耳障りなんだよっ!」
「――やめろ」
そして、気が付いたらそのマフィアの腕を掴んでいた。
「あぁ!?」
マフィアは振り返り、こちらを睨む。
「不快だ。私の目の前で……こんなことが許されると思うなよ」
どうして、自分はこんなに怒っているのだろう。よく分からない。
「てめぇ……急にしゃしゃり出てきた奴か。よ~く聞いているぜ、ロイさんからよぉ。てめぇに、俺らは従うつもりねぇ。だから、この手離せや。コラァ!」
「従わせるつもりはない。お前らのこともどうだっていいからな。可能性としてあるなら、お前達が勝手に私に従うことくらいのことだろう」
自然と、手に力が入った。すると、握った部分からミシミシと鈍い音が聞こえてきた。
「くっ! 離せや!」
マフィアは、僕の拘束から逃れようと腕を振り回す。しかし、その程度のことで僕からは逃れられない。こんな奴に負けるほど、僕は甘ったるい教育は受けてない。
(嗚呼……僕は一体何をやっているんだ? こんなことをしている場合ではないのに……)
「心配するな。今、離してやろう」
滅茶苦茶に入り混じって訳が分からなくなった感情、それをぶつけるようにして僕は――彼の腕を握り潰した。
「ぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああ!?」
飛散していく物体と血、響き渡る絶叫に近いマフィアの声。それらは、まるで雨のように周囲に降り注いだ。




