用済みになるまでは
―アーリヤの邸宅 朝―
「ぐはっ!?」
飛び蹴りを喰らった衝撃で、僕はバランスを崩し倒れ込んだ。
「ふ~」
それを喰らわせてきた少女は、やり切ったと言わんばかりに息を吐いた。
「……何の、真似だ」
僕は背中を押さえながら立ち上がり、その少女の方へ体を向けた。
「何の真似ですって? あんたの方が何の真似をしてんのよ。こんなこと、女の子に対してやっていい所業じゃないわ!」
「彼女が、あえてそれを望んだんだから……仕方がないだろう?」
そう、僕は助かる選択肢を何個も用意してあげたのに。彼女がそれを拒んだのだから致し方ない。
「望まなきゃいけない状態に追い込んだんでしょう!? 最低クソ野郎だわ!」
少女は、荒々しく髪を揺らして僕に迫る。
「うるさい子だなぁ。少しは落ち着けよ。それとも、何? 君も、彼女みたいに拘束されたいのかい?」
「あ? そういう趣味はないわ」
「……そういう言い方をされると、私にそんな趣味がある奴みたいじゃない」
クロエは、少し不満げな様子で鎖を僅かに動かす。体は完全に回復したようだ。動かしても、出血など傷口の開きは見えなかったし。
「あら、それは失礼」
少女はクロエの方に体を向けて、とりあえずの謝罪をした。そして、人差し指を自身の唇に押し当てた。その行為の意図は、僕には理解出来なかった。
「え……?」
クロエもまた、その行為が理解出来なかったようで不思議そうな表情を浮かべた。
「静かにしないと、このクズがうっさいからさ。フフフ……」
そう言って、少女は再びこちらに向いて不敵に微笑んだ。
「好き勝手言ってくれるじゃないか……本当に吊るしてやりたいよ。だけど、今はしないでおこう。君にはやって貰うことがあるからね」
「何、その上から目線な言い方。やって貰いたいことがある時は、お願い致します。でしょ!? 親から習わなかった!? というか、私の名前は君じゃないんですけど。エルナって言うんですけどぉ!?」
エルナは鬼のような形相で、僕を睨んだ。
「はぁ……分かった分かった。エルナ、どうかお手伝いして下さい。お願い致します~」
面倒臭いし、正直この場で八つ裂きにでもしてやりたいくらい殺意を覚えたけれど、折角見つけたクッキーの作り手だ。用済みになるまでは、こちらが大人にならなくては。
現に、見た限りでは僕の方が年上のようだから。
「感情が籠ってない。本当にやって欲しいという思いが伝わってこない。誠意を感じない」
「……っ!」
怒りで自然と手が震えてくる。用済みになるまでの辛抱だと言い聞かせ、それで堪えた。
「クッキー作りのお手伝いをして下さい。この通りです、どうかよろしくお願い致します!」
僕の方が年上のはずなのに、僕の方が立場的には上であるはずなのに。エルナに頭を下げなくてはならないのが、ただ腹立たしい。
「いいわよ、教えてあげる。ただ、その前に……」
「今度は何だ?」
僕は、顔を上げた。
「この血をどうにかしなさいよっ! 汚いじゃない!」
違和感もなくなるくらい染み込んできていたから、僕はこれでいいと思っていた。でも、彼女は嫌だったようだ。
「あぁ~すっかりお似合いだったからさ、馴染んでて違和感がなかったよ。まぁ、確かにゴミ以下の血がついたままだとクッキーの味に支障が出るかもしれないなぁ。うん、じゃあついてきて」
そして、僕はエルナを連れて部屋を出た。




