一発ぶん殴る
―美月 上空 朝―
「――熊鷹、もっと速く」
私は、専属使用人の熊鷹の背中に乗って空を飛んでいた。彼は鳥族で普段は人間の姿だが、今のように大きく立派な熊鷹の姿となって大空を案内することも出来る。今乗っているのは私だけだが、後十人くらいは余裕で乗れる。
お忍び外出で公的な乗り物も使用出来ず、魔力コントロールの関係で箒が使えない私の為にあるような乗り物だ。
「簡単に言わないで下さい、これでも全力ですよ。というか、もう数日はこうしてるんです。少しくらい、この私を労わってくれてもいいんですよ。美月様?」
熊鷹は、呆れ混じりにそう言った。風の切る音は、もうかなり聞いている気がする。本当は分かっている、熊鷹が全速力で進んでいることくらい。
「労わってるじゃない、普段から。こんなに慈愛と優しさに満ち溢れた主はいないと思う」
「……いないことはないと思いますけどね。せめて、一日くらい休みをくれたって――」
「そんな呑気なことを言ってる暇はない」
「はぁ……」
知ってた絶望に突き落とされた人の声だった。
(ごめんね、熊鷹。私は急がなきゃいけないの。巽がもしもゴンザレスの言ってた通りに変なことになっていたとしたら……)
脳裏に浮かぶ、かつての巽の姿。目的の為なら手段を選ばず、権力を自分勝手に使った。自分が傷付くこともいとわず、誰かが傷付くこともいとわなかった。守りたいのは国、その為に犠牲にしなくてはならないものは平然と切り捨てていた。
変わっていく巽の姿に、私はどうすれば良かったのか分からなかった。そばにいたのに、ずっと見ていたのに、巽の秘密を知っていたのに、姉なのに――取り返しのつかないことになるまで行動すら起こせなかった。
(違うって信じたい。でも、嫌な予感もする。私の目で直接確かめなきゃ)
やっと元通りになって、巽が希望を取り戻せたのだと思っていたのに。あの時、電話で聞いた巽の声は間違いなく病んでいた。まるで、あの頃の巽のように。連絡もつかなくなるし、腹が立ってあえて何もしなかったが、それは今は後悔している。けれど、思い出すと今でも少し腹が立つ。
(強がり、どこまでも手のかかる弟。何かなってたとしても、何もなってなかったとしても、とりあえず一発ぶん殴ってやる)
「っ!」
「うわ」
熊鷹が、突然降下した。危うく落ちそうになった私は、慌てて彼の毛を掴んだ。最初、それは意地悪な私への嫌がらせなのかと思った。
「何? 何なの」
「すみません、説明は後です!」
地面が少し近くなった時、私も気付いた。取り囲む無数の気配に。そして、嫌な予感がして上を見た時、黒い影がまるで雨のように降り注いできているのが見えた。逃げる隙も余裕も与えない速度で、ぐんぐんと私達に迫り――。
「熊鷹!」
「ぐあああっ!」
最後に私が確認出来たのは、その黒い無数の影が熊鷹の大きな翼に突き刺さったことと、それによって熊鷹は翼の生えた人間の状態に戻ってしまったことだ。
血を流す彼の手を掴もうとしたのだが、それより先に私は意識を失った。




