奇跡すら願えない
―街 夜中―
「――タミさん! タミさん、しっかりして下さい! タミさん!」
耳元で呼びかける声、気が付くと僕は外にいた。
「うぅ……」
何やら周囲が騒がしい、それにぼんやりと見える視界は夜中とは思えないくらいに明るい。まるで、火にでも照らされているように真っ赤な光……それと同時に感じる溶けそうなくらいの熱さ。
「はぁ……良かった、貴方は無事のようですね」
男性の顔が、目の前に現れた。その表情には僅かな安堵と、隠し切れていない絶望の表情があった。
「ピーター……さん?」
(何故、僕は外に? ベットに飛び込んで、そうしたら爆発音……!?)
そこまで考えた所で、寝ぼけ半分だった意識が覚醒する。
「トーマスさんとデボラさんは!?」
僕は起き上がり、二人がいるかどうか確認した。しかし、そこに彼らの姿はなかった。その代わり、僕はおぞましい光景を目にしてしまった。
「燃えてる……そんな……」
賑わいがあり、愛されていたレストランが遠くで真っ赤な炎に包まれていた。人が入り込む隙など、どこにもないくらい。侵入者を拒むように炎の壁が、レストランを覆っていた。その光は、街全体を明るく照らすほどに強いものだった。
「な……んで?」
「爆発音がしたと思ったら……もう既にこの状況で。タミさんだけが、ここに……二人がどうなっているのか、分かりません。一階部分はほぼなくなっていて、二階が辛うじて残って燃えています。皆で消火活動をしていたのですが、魔法や魔術をどれだけ使っても……火は強さを増すだけで……」
確かに、レストラン周辺は海のようになっていた。その海に炎が反射して、幻想的にさえ見えた。しかし、実態は絶望の中の錯覚、何も打つ手がない哀れな僕らの傷口に塗り込まれる塩のようなもの。
その幻想的で絶望的な光景を皆、ただ呆然と唖然と見つめていた。
『もう彼は大丈夫だろう? さっさと追い出すべきだよ』
『……根拠はない。だけど、何か嫌な予感がする。胸騒ぎがするんだ、これは死者からの警告だ。俺は……守りたいんだ。二人を、店を!』
刹那、脳裏にマシューさんの言っていたことがよぎる。
「僕の……僕のせいで……助けなきゃ、っ!?」
二人を助けなければ、と僕はレストランに向かおうとした。だが、それを拒むように僕の腕をピーターさんががっしりと掴んだ。
「駄目です! 行ってはいけません!」
「どうして!? このまま……このままなんて嫌だ! 何も出来ずに……僕はまだ……ただ迷惑をかけただけだ! まだ助かるかもしれないっ! 僕が……僕なら!」
「現実を見ろっ! 勢いや願望で命を無駄にするなっ!」
彼の目からは大粒の涙が流れていた。その涙には、悔しさと悲しさが滲んでいた。もう、彼は察してしまっているのだろう。最後に二人がどこにいたのか、生活習慣をよく知っている彼なら。
「だって……だって……こんなの……」
僕だって分かっていた、一番分かっている。もう何もかも手遅れだということくらい。奇跡を願うことも、今はただ酷だ。
「傷付くべきは彼らじゃない……」
僕がこの店に来なければ、さっさと元の居場所に戻っていれば、二人も二階に呼んでいれば、奇跡だって願えたかもしれないのに。
今の生活に甘えていた僕のせい、幸せを感じていた僕のせい、こっちの生活が楽しいと思い始めていた僕のせい。そう、何もかも僕のせい。
「僕はなんてことを……あぁ」
救いたいと動かしかけていた足は絶望の沼にはまって動かせなくなり、力が抜けて体を支えることも出来なくなった。
これが全て夢だったなら、僕の夢の中の出来事だったなら、どれだけ幸せだっただろうか。
いつものように朝が来て、美味しい朝食を食べて仕事に出る。自己嫌悪に浸りながら一生懸命料理を運ぶ。夜中まで働いた後は、夕食を食べて疲れを癒す。そして、また朝が訪れることを疑うことなく眠りにつく。
しかし、その当たり前は否定された。日常は訪れなかった。平穏は音を立てて崩れ、幸せは儚く散った。
「ごめんなさい……」
今更後悔しても、全てが手遅れだった。燃え盛る炎は、沢山の思い出ごと飲み込んで消していってしまったのだから。




