誰かの忘れ物
―レストラン 夜―
店を開けた翌日から、大忙しだった。今日から店を開けることを、従業員以外には知らせていないというのに朝から店には沢山のお客さんが来て、大行列も出来た。老若男女問わず来店し、本当にこの店は皆に愛されているのだと実感する。
(疲れる……本当に)
休んでいる暇がない。普段は人が多い時間帯とそうでない時間帯ではっきりとしているのに、今日はその境目がなかった。トーマスさん達には休むよう告げられたが、何だか忍びなくて結局働き詰め。それは、今日ここに出ている従業員は皆同じだ。
(後一時間で閉店だ……頑張ろう)
身も心もクタクタで、それを隠せる余裕もない。まぁ僕の場合、普段から隠せていないと思うが。
(それに、こんなに働き続けているけど、今日は一枚も皿を割っていないし料理も落としていない。成長したということか……)
『休めよ? お前、やからし皿割り王なんだからよ、ヘヘヘッ』
今朝、トーマスさんがにやけながら僕に言ったその言葉。そこから、僕は知った。この店でのやらかしの数々を。
とにかく一番恐れていたやらかしをすることなく、今日の仕事を終えようとしているのが唯一の救いだ。まだ油断は出来ないが、少し自分に自信が持てそうだ。
「っ!」
僕が机を片付けていた時、あの途轍もなく強大で鳥肌が立つような邪悪な力を感じた。慌てて振り返ると、背後には昨日遊園地で出会った少女がいた。
「奇遇ですわね、まさかまたお会い出来るなんて」
「いつの間に……君が」
「とても美味しいレストランだと、噂はかねがね聞いておりましたの。しばらく閉店していたようですが……その噂に間違いはなかったみたいですわ。匂いだけでも、その美味しさは十二分に分かりますもの」
彼女のいる机を見ると、既に何かを平らげた後の皿が数枚あった。しかし、それはとても幼い少女が、一人で食べるような量ではないように見えた。
(ずっといたのか? でも、この時間にこんな幼い子が一人でいたら……いや、彼女が一人でいたら流石にこの状況でも気付く)
ずっと背後で食事していたはずなのに、今の今まで僕は気付かなかった。そう、この幼い少女から発せられる謎の禍々しい力を感じるまでは。
「そんなに魅入られて……フフ、相当に欲深い方ですわね。私以上に……」
「っあぁ!」
不敵な笑みを浮かべて、彼女は立ち尽くすしかない僕の手に触れた。その瞬間、僕の体にまるで稲妻が走ったかのような衝撃が襲った。
「う゛う……」
その衝撃の後、頭を鈍器で殴られ続けるような痛みが襲った。その場に立っていられなくなるほどで、僕はしゃがみ込んだ。
それにより彼女の手から離れ、痛みは嘘のように消えた。
「ウフフ……最初は誰だって拒絶反応を起こしますわ、私もそうでしたもの。でも、大丈夫……受け入れればすぐに快感へと変わりますわ」
彼女が、さっきから何を言っているのか分からない。一方的に知っていることを話されても、僕には理解出来ない。
(もしかして、僕の記憶のない間を知っているとか? そうじゃなくても、僕の秘密か何かを知っている? もし、そうだとしたら……)
少女を見ないようにすることで何とか気を落ち着かせようとしたが、あまり意味がないみたいだ。僕は諦めて、何かを知っているかもしれない彼女を見上げた。
「さっきから……何を……」
しかし、既に少女の姿はなかった。
「――ちょっと、そこで何座ってるのよ。お客様を何だと思ってるの? こんなに待たせて! あんたがさっさと片付けないから、私が座れないじゃない!」
呆然とする僕に、隣から降りかかるように怒号が浴びせられた。恐る恐る見てみると、そこには厚化粧のやけに着飾ったおばさんがいた。
「あっ! す、すみません。すぐに片付けますから……」
僕は慌てて立ち上がり、少女の座っていた机の方を片付けた。とりあえず、その姿を急いで見せないといけないと思ったからだ。一々振り返って、先ほどの机の片付けの続きをしようものなら何を言われるか分からない。
このおばさんは絶対に厄介な人だ。余計な動作だと思われたら、絶対に面倒臭い。
(怒られてしまった……でも、ここにいるのは僕だけじゃないのに。まるで因縁でもつけられてるみたいだ)
「ふん、本当に醜い黒髪だわ。染めもしないで汚らわしい……早く追い出して欲しいものね」
(……我慢しろ、答えるな。何も考えるな……)
湧き上がってくる怒りを、僕は必死に堪えながら皿を重ねていた。周囲の人の視線が辛い。髪に関しては僕は何も悪くない。
「前は私に恥までかかせた挙句、不良に絡ませるなんて……どこまでも疫病神ね。ふん」
(前? あぁ、覚えてないからいいや。忘れてて良かったって思う時が来るとはね。不良に絡ませるなんて、僕にそんなこと出来るのかな?)
「大変申し訳ございません、お客様。あちらにお席の用意が出来ましたので……」
僕に絡み続けるおばさんに、他の店員が声をかけた。
(助かった。こんなのが永遠に続いたら、他のお客さんに迷惑だよ)
「あっそう、分かったわ。あんた、今度私の視界で余計な行動をしてたらこの程度じゃすませないわよ」
おばさんは吐き捨てるようにそう言うと、案内する店員の方についていった。
(また他の人に色々言われちゃうかもな……成長したと思ってたけど、まだまだか)
憂鬱な気持ちを抱えながら、机や椅子の上に何か忘れ物などがないかを確認していた時だった。
「ん?」
椅子の足の陰になるように、小さな箱が置かれていた。僕はそれを手に取って、様子を確認してみる。
(ただの黒い箱か……あの子の忘れ物? それとも前に座っていた人?)
僕の手のひらに収まるくらいの小さな黒い箱。手に持ってみると、少し重たい。箱は箱だが、開ける所が見つからない。何かを入れている訳ではないのだろうか、この物自体に何か意味があるのか。
(何に使うんだろう、これ)
箱に顔を近付けてみると、音が聞こえてきた。
(時計?)
秒針が時を刻むような音、それに近い気がする。ただそれ以上はよく分からない。
(まぁ、何にしても忘れ物だよね。誰の物かは不確かだけど……まぁ、レジの下のスペースに置いておけばいいよね)
僕はそれを一度机の上に置いて、再び片付けに集中した。




