迷える魂
―マシューの部屋 夜中―
ピーターさんは床に青白く輝く粉を撒いて、それで魔法陣を描いた。そこの中心に僕は座っているように言われた。暴れたりしないように、僕は身を縛られた。その様子を魔法陣の外から、トーマスさんとデボラさんを心配そうに見つめている。
「さあ、始めましょう。日が昇る前に」
「はい……」
ピーターさんは魔法陣の中に入って、僕の目の前にあぐらをかいて座った。そして、指を噛み千切るとそこから血を出した。その指を僕の額に持っていき、何かを描いた。
(これは……文字? 記号?)
しかし、それは僕の知るものではないように思えた。画数の多い一文字という感じ、学があればこれが何なのか分かったのだろうか。
「ドァエナクソムサトチラ、ホデムツンニラ……」
(この言葉は……!)
少し独特な発音だったが、この言葉には覚えがあった。意味は分からない歌に使われていたもの。僕の専属使用人であった少女が、歌の際に発していた音。しかし、そのことを深く考える余裕はなかった。
「うぅぅぅ!」
額が燃えるように熱い、何かを描かれた場所が恐ろしいくらいに熱を発している。僕はその熱さに耐え切れず、思わず下を向いた。すると、魔法陣が眩いくらいに輝いていた。
――この魔法……こちらに意識にまで介入を……ぐあああっ!――
脳内で苦しむような叫び声が響いた。それに問いかける余裕は、こちらにはなかった。何故なら、僕も痛く苦しかったからだ。
「タミ!」
「入るな、デボラ! 危ないからここにいろって言われただろうが!」
やがて、額全体に熱は広がり、あっという間に全身に伝達されていった。まるで、鉄板の上で焼かれているかのような気分だ。
「あ゛あ゛あ゛つ゛い゛! い゛や゛た゛!」
「聞きなさい! マシュー君! この体は貴方のものではない!」
突然僕の中に別の感情が入り込んでくる、僕の体が僕の体でなくなっていく感覚を覚えた。それと同時に、熱が弱くなっていくのを感じた。
「ッハ……ウルサイ! ソンナノ知ッテル! 俺ハコイツガ許セナイ! 出テ行カナイカラ、俺ガ殺シテデモ追イ出ス!」
勝手に動く口、沸々と湧き上がってくる怒りという感情。
「何故、許せないのですか?」
「アイツト同ジ臭イガスル……コイツハアイツト仲間! 父サント母サンヲ殺ス為ニ……」
「あいつ?」
「関係ナイ……オ前ニハ! 邪魔ヲスルナラ、オ前モ敵ダ! ココデ殺シテヤル」
縄を振りほどこうと、体を左右に動かす。しかし、きつく縛られていて無意味だった。
「黙りなさい、今の貴方は何も出来ない。大人しくしなさい。貴方のやり方では、何も伝わらない!」
すると、ピーターさんは僕の顎を両手で掴み顔を上げさせた。その顔は、とても怖かった。怒っているのが伝わってくる。
「ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛……」
「憎しみは貴方を縛りつけるだけです。目を覚ましなさい。そして、ちゃんと見なさい。貴方を思ってくれている人達の顔を!」
「黙レ黙レ黙レ! 何モ知ラナイ癖ニ! タダノ医者ノ分際デ! オ前ニハ関係ナイ! ココデコイツモ……オ前モ殺スッ!?」
目の前から突然ピーターさんの顔が消えたと思ったと同時に鈍い音が響いた。痛みは感じなかった。けれど、音だけでどれくらい痛いのかは察せた。
「デボラさん……!?」
デボラさんの隣では、ピーターさんが驚いた表情で腰を抜かしていた。怒りを顔いっぱいに滲ませ、息を切らしている。全身全霊で僕の頬を叩いたのだと分かる。その痛みは、僕の代わりにマシューさんが感じているようだ。
「ごめん、我慢出来なくて入って来ちゃったよ。でもね、息子が馬鹿やってんだ。何もせずに指くわえて鑑賞なんて出来る訳ないだろう?」
そう申し訳なさそうに笑って、僕の前に座った。
「そ、そうですか……体に何もないのなら良かったです。あ! そうか……デボラさんの体質だと、魔力を封じ込めるここはあまり意味が……なるほど。では、このまま続けましょう」
気を取り直すようにして、ピーターさんは姿勢を元に戻した。
「お~い……俺は?」
遠くから、トーマスさんは苦笑を浮かべながら問いかける。
「全身に酷い倦怠感が襲い、それが数日続く可能性がありますが……」
「あぁ!? それだけの理由で、俺達は外で鑑賞しとけって言われたのか!? そんなの、全然平気だ!」
トーマスさんは飛び込むように、魔法陣の中に入った。
「うぅ……確かにこりゃ……でも、見てらんねぇ! 息子が道を間違えたんなら、男の俺がケツ拭いてやんねぇとな」
彼は一度身震いをしたが、深呼吸をしてすぐに覚悟を決めた表情を浮かべる。
「ドウシテ……」
僕の中にあったのは、理解されないもどかしさと悲しみと悔しさ。今にも涙が溢れてきそうだった。
「ドウシテ分カッテクレナイ!? コイツハ危険ナ男ナノニ! 二人ヲ殺ソウトシテイルノニ! コイツハ、世界ヲ滅ボス男ノ仲間ナノニ!」
後半二つに身に覚えがなかった。二人を殺そうなど、これっぽっちも思ったことがない。思う理由がない。世界を滅ぼす男の仲間に下ったことなどないはずだ。彼に憑りつかれたのが記憶が曖昧になってからだとしたら、やはり彼の勘違いだと思う。
「馬鹿だねぇ、あんたは。タミの中にいるんだったら、あんたがタミのことを一番分かってなきゃダメだろう。タミがそんなことをいつ考えていたんだい?」
「……考エテイナクテモ分カル! アイツノ仲間ナラ!」
「あいつあいつって、誰だよ。俺らは知らねぇし、分からねぇ。世界を滅ぼす男? そんな大それた奴の仲間になる奴が、こんな所でアルバイトして何になるんだよ。社会勉強か? まぁ、知らねぇ間に利用されているってことはありそうだがな。少なくとも、こいつが自分の意思で世界を滅ぼそうだなんて余程のことがねぇとありえねぇだろ。しかも、俺らを殺す? ハハ、くだらねぇ。こんな老いぼれ達殺しても何もねぇだろ。そういう趣味なら分かるけどよ、タミにそういう趣味ねぇだろ」
トーマスさんも僕の近くであぐらをかき、呆れた表情で言った。
「マシュー、あんたがタミを認識したのは部屋に運んでからだね? この子は、ずっと前からここで働いてたんだよ」
「ズット……?」
「あぁ、そうだよ。冬の終わりにタミは来たんだ。かれこれ数カ月経ったが、誰よりも一生懸命働いてたんだ。まるで、店を手伝ってくれてた頃のあんたみたいだったよ」
「恐ろしく不器用で、お前ほどこなせたりはしなかったが……それでも、思わず俺達はこいつとお前を重ねちまった。顔が似てるからとか、それだけの理由じゃねぇ。何かをやろうとする姿勢が、お前に似てたからなんだ」
「ソレダケガ理由デ……俺ノ言葉ヲ信ジテクレナイノカ……」
「信じる信じないじゃないんだよ。あんたは間違ってるんだ。殺しても何も解決なんてしないよ。ただ、殺したという事実が残るだけさ。死んでそんなことをしたら駄目だろう。生きていた時に駄目なことは、死んだって駄目に決まってるだろう!」
その言葉の直後、心の中いっぱいに動揺が広がっていく。自分の成そうとしていることの無意味さを、改めて突き付けられて彼は酷く混乱しているようだ。
憎悪、怒り、悲しみ……それだけが彼の行動の源だったというのに、それが彼らと話すことで溶けるように消えていく。ならば、自分の感じたものは一体何だったのかという思いが僕に伝わってくる。
「落ち着きましたか、マシュー君。私は、貴方に謝らなくてはなりません。ずっと、見て見ぬふりをしていました。それが結果として、貴方の感情を暴走させるに至ったと自覚します。もっと早くに行動していれば、貴方も苦しまずに神の下へ行けたというのに」
「俺……ハ……」
きっと、彼は優しい人だったのだろう。だからこそ、僕という存在が許せなかったのだと思う。同じように施された忌まわしき技術や、白髪の男との接点を感じ……彼が傷付けたくないと思った相手を傷付ける可能性があると思った。
彼は二人を守りたかったのだと思う。ただ、それだけだったのだろうと思う。ただ、あまりに負の感情が大き過ぎてこんなことになってしまった。だから、守る為に僕を殺そうとした。
彼は間違っているのかもしれない。けれど、一番間違っているのは――彼が死ぬ原因を作ったあの白髪の男だ。
「今度こそ、私は貴方の心を救います。心のモヤをある程度は晴らせました。これで、やりやすくなったはずです。さ、デボラさんトーマスさん、魔法陣から出て下さい。私も出ますので」
「何をするんだい?」
「浄化です。一度孕んでしまった悪しき思いは、そう簡単には消せないのです。マシュー君の魂の大半は、それに侵されてしまっていますから。それを切り離すことで、マシュー君の魂は救われるでしょう。しかし、そうなればもうここには……いいですね?」
ピーターさんは、デボラさん達に確認をした。
「あぁ」
「構わないよ」
二人は覚悟を決めたように、大きく一度頷いた。
「分かりました」
そして、三人は僕だけを残して魔法陣から出た。僕を囲う人はいなくなったが、彼は何もしなかった。どこか優しい表情でピーターさんは僕を見つめ、手を向けた。すると、魔法陣が今度は赤く燃えるように発光し始めた。
「ううぅぅぅ……ああぁああぁ!」
その光に体が包まれ、彼は絶叫した。しかし、やがて苦しみを訴えるその声は穏やかなものへと変わっていった。
今日はもう1話投稿します!




