息子との出会いⅧ~月夜ニ舞ウ黒ノ羽~
―デボラ 数十年前―
この生活を続けて数カ月、暴れるマシューを押さえつけるのもかなり手慣れてきた。どのタイミングで暴れるのかも分かるようになった。
ただ、それは私達が慣れただけであってマシューの症状が落ち着いた訳ではない。ピーターも色々尽力してくれているのだが、今一つ効果は見られない。先日、ついに現状維持をすることだけしか出来ない、そう告げられた。
「あっという間に夜中だな……今日暴れたのは二十四回か。昨日よりは二回減ったな」
「そうだねぇ……このまま減り続けて、最終的になくなってくれればいいのにねぇ」
私達はレストランのある一階の窓沿いで、今日のことを振り返りながらかなり遅めの夕食を取っていた。ここからは、空もよく見えて綺麗だ。特に、今日みたいな満月が出ている日は最高だ。
それを見ながら、トーマスお手製の野菜パスタを食べる。彼の作る料理は、やはり絶品だ。この世のどんな物よりも美味しい。
(これを、あの子は食べると吐いてしまう……でも、何故か肉だけだったら食べられるんだよね。これも、症状の一つ。何も食べられないよりはマシだけど……あの子はどう思っているんだろう)
マシューは自分の状況に関して、不満は一切言わない。昔からそういう子だった。子育てする上で困ったことと言えば薬を毛嫌いすることくらいのもので、それ以外は超がつくくらいのいい子だったのだ。青春時代特有の反抗期もなくて、逆に不安だったくらい。
(……ずっと溜め込んでいたのかねぇ?)
私達に遠慮していたのかもしれない。いや、遠慮させていたのかもしれない。私達が、知らず知らずの内に追い詰めてしまっていたのかもしれない。
「なぁ……」
すると、突然トーマスがフォークを机に置いた。まだ、皿には溢れんばかりのパスタが残っている。
「ん?」
「俺は別にこの生活を続けるのは構わねぇよ。ずっと、マシューの様子を見てられるし。今まで、店っていう言い訳つけてあまりあいつに向き合ってこなかった。店も長引く戦争のせいで客足は減るし、材料は高騰するし……今の方がよっぽど安上がりだし楽しい。だけど……よ。もし――俺達が死んだら、あいつはどうなんだよ?」
「っ……それは、そうだね」
大事なことを考えていなかった。過去と今はどうにでもなる。けれど、私達がいなくなった未来で自己制御の出来ないマシューは生きて行けるのか? 頼りになるのは近くに住み、尚且つ事情を知っているピーターだけ。でも、全てを彼に任せてしまうのは駄目だろう。彼も彼の生活があるのだから。
「いずれ寿命ってのが来る。それは、俺達にはどうしようもねぇ。あいつはこの国で疎まれる鳥族で、鳥族からも疎まれるカラスだ。今までそれを全て隠して人間として生きていたとしても、誰かにバレれば終わりだ。今は守れる、けどよぉ……」
「そのことは、これからゆっくり考えないかい? 今急いで考えても、大したことは浮かんで来ないだろうし。それに、私達はまだ元気――」
――だから大丈夫。そう言ったのだが、ドンという大きい何かが叩きつけられるような音が外から聞こえて掻き消された。
その音に驚いて、私達は窓の方を見た。すると、窓の外には真っ赤に染まった沢山の黒い羽が舞っていた。ヒラリヒラリ……と優雅に、月明かりに照らされながら落ちていく。
「あ……あぁ……え? 嘘……」
その光景が何を意味しているのか、分かってしまった。この黒い羽は――。
「ち、違うだろ。ほら、遠くでやられたのがこっちまで来て力尽きただけだ。あいつは寝たばっかりなんだしよ。疲れてる。今、起きてる訳がねぇ……だろ」
そう言うトーマスの声は震えていた。
「み、見て見りゃ分かることだ。絶対に違う! 違う!」
そして、彼は不安を掻き消すように机を力強く叩いて立ち上がり、窓を勢い良く開いた。
「あ……あ……嘘だ。嘘だ」
窓の下を見た彼は、力を失ったかのようにその場に尻餅をついた。
「やめて……やめて。嘘でしょ」
私は震えながら立ち、ゆっくりと窓から顔を出して下を見た。自分の察したこととトーマスの言っていることを否定する為に。
しかし、真実は残酷だった。私の目に飛び込んできたのは――血だまりになった地面に倒れている、変わり果てたマシューの姿だった。カラスだと示す黒い翼はむしり取られて、そこに翼があったと分からないくらいになっていた。衝撃のあまり、声すら出なかった。ただ、変わり果てたマシューの姿を眺めることしか出来なかった。
「こうしてる場合じゃねぇ血……血をとめねぇと……」
彼はフラフラと立ち上がり、窓枠を跨いで地面に降りた。そして、腕を下敷きにうつ伏せで倒れているマシューを仰向けにした。
「マシュー……息してねぇ」
マシューの胸には、ナイフが深く刺さっていた。見えるのは、木の持ち手だけ。そこを、マシューはしっかりと握っていた。そこから全体にかけて真っ赤で、元々の肌の色すら分からなくなるくらいであった。
その後、音を聞きつけた警備隊にマシューの遺体は持って行かれた。私達は何も言わず、それを眺めていた。本当なら、私達の子供だと言うべきだっただろう。それが出来なかったのは、自分達を捨てる勇気がなかったから。国の敵である鳥族を匿うことは、当然ながら罪なのだ。最悪殺される。それが怖かったのだ。
私達は、十八年間一緒に過ごした我が子を見捨てた。守ると誓っておきながら、最初から最後まで守れなかった。マシューの実母の思いを叶えられなかった。
そう、私達は何も出来なかった。ただ、自己満足の為だけにマシューを苦しめ続けただけだ。ぼやくように毎日死にたくないと言っていたマシュー。しかし、彼らは自らの手で命を絶った。
私達が――殺したのだ。守る所か傷付け、自分で自分を殺させた。気付いてあげられなかった、私達が全てをマシューから奪ったのだ。
それから、ずっと空虚な日々を過ごしていた。争いが終わっても、私達の中では何も終わっていなかった。マシューがどうなったのか、何も分からない。どこかで奇跡が起きて、生きていてくれたなら――と淡い幻想を抱いていた。
そんな時だった、マシューによく似た男の子が現れたのは。年頃も通う学校もあの頃のマシューと一致していて、これは運命だと思った。とまっていた時が、音を立てて動き始めた瞬間だった。




